ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 柳田国男著 「火の昔」 (角川ソフィア文庫2013年新版)

2018年03月10日 | 書評
火と照明、煮炊き、暖房の生活を振り返る。忘れてしまった昔が甦る。 第5回

10) 油屋の発生: 燈火の油の普及には油屋という流通業の商売の役割が決め手でした。室町時代の俳諧師山崎宗鑑は油売りでした。油売りは首の下から膝の下まで覆う腹掛けをしているのですぐにわかります。汚れ仕事で、かつ一滴もこぼさない技能を要する熟練職でした。油座という同業組合を作り、値段を規制し、修行徒弟制度を作りました。油は他の商品に比べると高価なので、小さな油てんこという徳利で秤買いをしました。その使いは子供たちです。また農家は材料を持ち込んで油にしてもらうことがあります。その際油屋は銭を取らず、材料の一部を引き取って残りを油に搾ります。材料の一部が油屋の商売に使われます。旧暦11月15日は油しめの日と言って祝っていました。寒い冬を前にして、灯火用だけでなく食糧用の油を使い始める儀式だったのです。油を使った食物を食べる日です。

11) ランプと石油: 前節を受けて、町の油屋が利益の出る商売となり、農村には菜の花畑が広がる景観を生み出しました。明治にはいってしばらくすると石油という新しい燃料が入ってきました。これによって以前の菜種の燈火道具が一切利用できなくなりました。はじめはブリキで作ったカンテラを使いましたが、小さくてかつ危ないので、ガラスのホヤのついた豆ランプが農家では使われ始めました。日本での石油生産地は秋田県の一部にあります。ホヤにはガラス細工技術が必要で、形は丸ホヤやタ竹ホヤがあります。竹ホヤは日本独特の形で、煙突付きです。石油ランプは電灯にとってかわられましたが、離島や山小屋には残っています。石油ランプが伝統に代わる一時期、都会では街路灯に「ガス燈」が流行しました。銀座の風物詩でした。

12) 松のヒデ: 菜種油のあんどんの前の時期に「ヒデバチ」という照明器具がありました。松のヒデをを燃やす最も古風な道具でした。石で作った餅つき臼のようなくぼみに松脂の豊富な枝を引きちぎって燃やすものです。関西では「コエ松」といい、東北では「アブラ松」、浜松では「ベタ松」、岐阜では「ロウ松」、京都では「ジンド」、鹿児島では「ツガ松」と呼んでいました。一種のかがり火です。昔の燈火の欠点は、いつも火の管理者が必要で、心切役はそばにいて太い心を切ってはホクソツボに投げ込みます。農家の夜なべには、この「ヒデマツ」が必要になり、火の番は子供でした。この炎の下で子供は本を読んで勉強します。だから顔が煤で真っ黒になって「黒猫」と呼ばれました。

(つづく)