ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 柳田国男著 「火の昔」 (角川ソフィア文庫2013年新版)

2018年03月07日 | 書評
火と照明、煮炊き、暖房の生活を振り返る。忘れてしまった昔が甦る。 第2回

1) やみと月夜: 世の中が進んだということ、今が昔に比べてどのくらい良くなったかということを、考えるには火の問題が一番分かり安いでしょう。ということで出だしの話は闇から始めます。戦時中は(昭和18年頃)燈火管制をしなければならぬほど、燈火は明るくなっています。昔はその闇を明るくするために大変な努力をしてきました。「親と月夜はいつもよい」という子守歌があります。暗いことは恐ろしいことだったのです。だから燈火がまだ発達しなかったころ、月夜ほどうれしいものはなかったのです。太陰暦という古い暦では、月の15日が満月、その反対の月の終わりの日を「つごもり」、翌日を「ついたち」といいました。いろいろの行事はこの満月の晩を待って行いました。月の23日は夜中過ぎまで月が出るのを待つ行事を「二十三夜さま」と呼びます。夜に月が隠れた後の闇を「暁やみ」といい、二十日過ぎて月の遅く出る前の暗さを「よいやみ」といいます。暁やみは静かで厳粛な闇で、畏れ慎むことで、家の中で静かに休むことがすべてでした。

2) ちょうちんの形: ちょうちんは日本語ではないので、中国から入って来たものと思われます。しかしその形は異本独自の進化をしています。ちょうちんの構造は、竹などのひごを曲げて輪にしてその上から和紙を貼ったものです。輪の直径を漸次変えることで、まあるい卵型にしたことが日本的なちょうちんの特徴です。真ん中の輪を大きくしてふっくら丸くすることで、炎のあるところが紙から遠ざかって、焼ける危険性を少なくしています。ちょうちんをそのまま地面に立てておくことができないので、つっかい棒を支柱にし、鯨のひげで弓張りしたのが「弓張じょうちん」です。1600年代中ごろの工夫であった。また雨が入るのを防ぐため上蓋をつけたのを「箱じょうちん」といい、子ども用の小さなものを「ほおずきじょうちん」といいます。そのための小さなろうそくを「仰願寺」と言います。

3) ろうそくの変遷: ろうそくは奈良朝にその名が見えますが、用途は朝廷とお寺でしか用いられませんでした。非常に高価で庶民には縁のない物でした。明治時代に入ってろうそくの進歩は心(芯)の変化です。紙をまいてひねった紙しんかトウキビののずいを使ったものです。ずいはそのままでは早くロウを消費しますので先端を叩いたり切ったりして小さくしました。小さなちょうちんに小さなろうそくが必要で「燈心」の工夫が施されました。ろうそくの傍には必ず心切の晩が必要でした。切った心は「ほくそとぎ」という土器に入れました。そして西洋から木綿の糸をより合わせた糸心が導入されました。これで心切りは必要なくなりました。ろうの材料は「蜜蝋」は日本では利用できなかったので、主として「はぜうるし」が利用され、煙が出て粗悪品であるが「松やにろうそく」もありました・。ろうそくが普及しだしたのは菜種油が量産された江戸時代からです。はぜうるしに菜種油を混ぜて加温したろう液をしんの上に塗り重ねてバウムクーヘンのように少しづつ太くしてゆきます。そしてロウを晒す技術が発展して、白い美しい色艶を持った「白ろう」が売られました。古い「松やにろうそく」だけはラッソクという名を残しています。ところによると「よじろう」(松脂の事をヨジロというから)という名も残っています。

(つづく)