ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 柳田国男著 「火の昔」 (角川ソフィア文庫2013年新版)

2018年03月08日 | 書評
火と照明、煮炊き、暖房の生活を振り返る。忘れてしまった昔が甦る。 第3回

4) たいまつの起り: たいまつ(松明)と言う言葉は「手火」からきているようです。伊邪那美の命が「タビ」を使ったことが日本書紀神代紀にあります。手元を明るくするくらいの短いものでした。ろうそくの流れ落ちたロウを再度溶かして紙こよりに塗ったのが「紙燭」といいましたが、手元燈みたいなもので。これで遠くまで行けるものではありません。もし2里も3里も夜に出かける用事のある人はろうそくちょうちんを使いました。1本で1時間は持ちますので、2,3本ろうそくをもってちょうちんで足元を照らして出かけたものです。たいまつは松明と書きますが、松以外にも麦わら、竹くず、檜のけずりくずを利用しましたが、長時間の利用には大変な量のたいまつを用意しなければなりません。そしてたいまつは野火となる火災の危険もあり、ろうそくちょうちんに変わて行きました。今でもたいまつを使用する習慣は虫送り、雨乞いなどに残っています。

5) 盆の火: 神さまも夜には明るい方がいいだろうと思って、盆には迎え火・送り火を門口で焚きます。春と秋の彼岸にも入りの日に火を焚く儀式があります。信州には108本の線香を砂に立てる線香山の習慣もありました。子供たちは草鞋のたいまつに火をつけて振り回す行事があります。魂送りにはたくさんの燈火をにぎやかにして灯りをつけました。精霊贈りと言って舟型にろうそくを灯す行事は今も残っています。零が見つけやすいようにと家の門口に高い燈籠(高燈籠)を竿の上に括り付けました。盆燈籠は家の軒先に吊るします。新盆の家は必ず立てておくべきものでした。

6) 燈籠とろうそく: 高い竿のの先に火をあげて、空を来る神霊を案内する風習は、まだろうそくや灯籠ががない時代からありました。たいまつに火をつけてから引き起こす「柱たいまつ」は燃え尽きるのが早い欠点があります。そこで竿の上に「ほかご」をつけてそこへわらくずや柴を入れて燃やす方法もありました。燃料の補給は下から火をつけた小さなたいまつをほおり投げるのです。これを投げたいまつと言います。これは一種の競技になりました。運動会の玉入れと同じやりかたです。燈籠は高灯籠の上げ方と同じで「セビ」で上下しました。経費の点から燃料はろうそくから油に変わり、油を燈蓋にいれました。東北では「タンコロ」、上方では「ヒョウソク」と呼びました。こういった照明の歴史を知らないと、今の時代(太平洋戦中)のありがたさが分かりません。

(つづく)