ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

文芸散歩 柳田国男 「先祖の話」 (角川ソフィア文庫2013年新版)

2018年03月29日 | 書評
1945年3-4月東京大空襲下で書かれ、日本人の死生観の根源から霊の行方を見つめる書 第3回

2) 家とは

第9節 「武家繁栄の実情」: 長子相続が通則となっていた中世)鎌倉・室町時代)では、親は子供のために苦労していた。武蔵国で有力な武家として「武蔵七党系図」ができていた。有力な武家はだいたい3,4戸の分家をしている。長男夫婦に本家を渡し、若い郎党を連れて原野に隠居をして開墾に着手した。それが分家して新たな苗字の家を作り、娘には猶子、養子をとってこれまた面倒を見た。しかしそのような空き地など無くなってしまうと、武力で人の土地を略奪することもあり、訴訟の絶え間がなかったという。本家の雑用役となって郎党・家来になることも多かった。又兵役のため京都に出て、知り合った家に養子に入ったり、地方では名門家の若者は受けが良かったので、人事の交流が盛んとなった。関東武家の武力・政治の特権から、わずかな期間で関東武士は九州、奥羽まで分散した。
第10節 「遠国分家」:  坂東八平氏や武蔵七党の名流が広く全国に見られるのはこのためである。飛び飛びの所領こそは、本家に依存しない独立の分家を立てるには最も適した状態であった。中世以来この家々についている根本の財産を「トク」と呼んでいる。家督や所得の起源かもしれない。
第11節 「家督の重要性」: 家督を分けて貰ったのなら分家、自分で稼いで作ったのなら別本家と呼ぶ。商家の子弟は分家には何の意味もなく、独自にご先祖に成り得た人が多かった。ただ民法上は分家である。すると本家には精神上の家督しか残らない。子孫末裔を死後にも守護したい、家を永遠に続けるという念願が家督には具現されているのである。
第12節 「家の伝統」: 家督と不動産は同じものではない。物以外の無形のあるものを相続するという意味もある。商人では「暖簾」といい、得意・信用という。伝統というのは形ではなく。、無形のものを教え訓練し身に付けさせることである。商人や職人の世界では家督の中心をこれにおいている。医者・学者・役人・軍人階級では地位職分を持つことで家を建てることがある。家門はこの意味で年代を超越した縦の結合体である。
第13節 「まきと親類と」: 分家には異地分家と異職分家とがある。本家の統制が及ばないから、一代で別本家を立てることができた。kれが大家族制の解体の過程とも見える。地方には合地・地類(地縁)という家には血縁関係のない家族が団結している。関東では遠い親戚が重親類といって同姓のよしみを忘れず団結している。将来国際進出が盛んになれば、同族連合は解体する運命にある。共同生活を続けていた家々の結合は変化してゆくであろう。
第14節 「まきの結合力」: 同一苗字を持つ古くからの結合体であった、遠地に別れて住む先祖の出た家が特別の理由をもって団結している時、これは親戚とは言わず「一家」、「一統」、「ヤウチ」、「クルワ」、中部以東では「マキ」という。古い約束だけは保存され、それを守らないと義理を欠くという。その一つは毎年の年頭作法、先祖祭への参加などである。

(つづく)