ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 柳田国男著 「火の昔」 (角川ソフィア文庫2013年新版)

2018年03月09日 | 書評
火と照明、煮炊き、暖房の生活を振り返る。忘れてしまった昔が甦る。 第4回

7) 家の燈火: 昔都会では家に人の出入りが多く、灯りは一つだけでは済まなくなりました。そこで各部屋に照明の明かりをつけることになるのですが、今日のように電灯やランプさえなかった時代には、菜種油を灯すあんどんを天上に取り付けました。これを「八間」と呼びました。形が八角形だったからで、広い範囲を照らすことが出来ました。ろうそくは高かったので、普通の家庭では臭いのは仕方がないとして魚油を使用しました。魚油・ごま油・茅の実・椿油は次第に菜種油に変わりました。これは大きな生活改良です。菜種は中国からはいって来た栽培種ですが、日本の農村の景色を一変しました。日本では水田一本やりだったのが、それ以来日本に畑作が盛んになり、麦畑や肥料用としてれんげ草が栽培されました。これにより菜種の量産と油の絞り技術が工夫され、照明用の菜種油の価格が下がり、一般人も利用できるようになったのです。江戸時代後期の蕪村は「菜の花や 月は東に 火は西に」という句を詠み、一面の菜の花畑の農村風景を描いています。

8) 油とあんどん: あんどん(行燈)の燃料油の変遷について記します。胡麻の油は高価だったので燃料以外に使いました。代わりに荏という実の油や椿油、かやの実が使われました。かやは普通はいぬがやを使いましたが、少し匂いが強く食料にはならずもっぱら燈火のために使いました。九州では「ヘボガヤ」、中部地方では「ヒョウビ」、東北では「ショウビ」と呼びました。京都では「へーべー」とよび、越後では「ヒョウミ」、東京では「ヘッタマ」とも言いました。この油の特徴は寒中でも凍らないことで、大昔の遺跡の石器や縄文式土器からヒョウビの実が発見されました。山奥の村では今でも使われていることがあります。最近はもうこの名前は忘れられ、油と言えば菜種油をさすほど普及しています。行燈は移動式照明具です。形は丸行灯(別名遠州行灯)、角行燈(引き出しが付いています)がありますが、丸行灯は半分が解放されていますので明るく、角あんどんは四面が和紙で囲われていますので少し暗くかつ心出しに多少不便です。角行燈の引き出しには心やはさみなどの小道具や小銭を入れておくものでした。

9) 燈心と燈明皿: 油を入れて燈心を灯す皿を「スズキ」と言いました。行燈の下から三分の二くらいの高さに十字に木をうってその上に燈明皿を置きました。あんどんも元はちょうちんの一種で移動する時の(懐中電灯の役目をする)照明でしたが、次第に一つ処におく灯となりました。移動する照明の用途は後にボンボリや手燭となって残っています。灯心はい草から出来ており、燈心草ともいった。空気にさらしておくと痩せて細くなるので、ミョウバンに浸し痩せをて防止しました。油に浸した灯心はふらふら移動しやすいので燈心おさえという瀬戸物で抑えました。この燈心や燈蓋皿の管理は12,3歳ごろの娘の役割でした。燈明皿からこぼれたり心から下に落ちる油を受ける役目が上下二枚の燈明皿であったり、燈蓋皿です。手に着いた油は自分の髪に撫でつけます。この女性らしいしぐさはあんどんが無くなってもなお残ってています。

(つづく)