アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「3・11」後の思想停止と天皇明仁

2019年03月11日 | 天皇制と大震災・災害

     

 きょうは8年目の「3・11」です。いまだ5万2千人にのぼる避難者、増加する孤独死・自死、故郷・コミュニティの喪失、そして増加する子供の甲状腺がん、垂れ流される放射能汚染水、先の見えない廃炉計画などなど、課題は山積し、むしろ年々増加しています。

 放射能の危険から子ども・市民を守るため「チェルノブイリ法日本版」の制定をめざしている市民団体(「育てる会」2018年3月結成)の柳原敏夫共同代表はこう指摘しています。

 「本当の問題は…私たち市民の側にある。私たちはこの悪夢(東電福島原発事故―引用者)の出来事を前に『うそ!』『夢でしょ!』と今なお茫然自失のショック状態の中にいる。そのためこの現実と対決できず、引きこもりか、さもなくばオリンピックのお祭り騒ぎの現実の中にいる。私たちは放射能を忘れたがっている」(今、憲法を考える会発行「ピスカートル」2月25日号)

 安倍政権は「復興」の名の下に被災地・原発事故の現実を隠ぺいしようとしていますが、「市民」の側にもそれに追随し、「3・11」から目を背ける現実逃避があるのではないか、という指摘です。

 この「市民」に現実逃避・思考停止を促す役割を果たした1人が、天皇明仁であったことを忘れることはできません。

 明仁天皇は震災から5日後の2011年3月16日、「ビデオメッセージ」で直接「国民」に語り掛けました(写真左)。これは明仁天皇が自分で思い立って実行した(川島裕元侍従長「文芸春秋」2011年5月号)もので、憲法で規定されている天皇の行為を無視した行為です。それはその後の「退位メッセージ」(2016年8月8日)でも踏襲されました。

 3月16日の「ビデオメッセージ」の中で明仁天皇はこう述べました。

 「海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています」

  これは「海外の論調」を紹介する形をとりながら、「日本人」に対し「取り乱す」な、「秩序ある対応」をせよ、と言っているに等しいものです。それはすなわち、怒りを抑え、政府・国家に対する反発・批判を控えよ、ということにほかなりません。

  しかし、政府(歴代政府)の災害対策、とりわけ原発事故対応・原発政策は、批判されて当然であり、怒りはまったく正当です。政府・国家に対し正当な怒り持ち表明することから、新たな動きが始まるのではないでしょうか。
 それを抑え、「秩序ある対応」を求めることは、「国民」を去勢し、国家への順応を求めるものと言わねばなりません。それを天皇が「ビデオ」で直接「日本人」に求めたことの意味はきわめて重大です。

 その後、明仁天皇・美智子皇后は再三被災地を訪れ、政府が選定した(政府を批判する恐れのない)「被災者代表」らと会い、「激励」しました。「被災者代表」は涙を流さんばかりに喜びました。
 これは東日本大震災に限らず、天皇・皇后の「被災地訪問」の定番となった光景ですが、それは、ある意味で、被災者の政府・国家に対する怒り・批判を吸収し、被災者を国家に取り込む行為と言えるのではないでしょうか。

 重要なのは、それが被災者に対してだけ向けられたものではなく、その光景を全国に流すことによって、またメディアがこぞってそれを賛美することによって、「日本人」全体の政府・国家に対する怒り・批判を抑える効果を生んでいることです。

 それが「3・11」以降の「日本人」の現実逃避・思考停止につながっていると言えるでしょう。
 そして、ここに「象徴天皇制」の国家にとっての存在意義があるのではないでしょうか。

 今年の「3・11」は明仁天皇が天皇として迎える最後の「3・11」です。この機会に、明仁天皇の「ビデオメッセージ」が果たした役割、そして賛美されている「被災地訪問」が何をもたらしたのか、何を目的としたものかを検証し、「象徴天皇制」を再考することが必要なのではないでしょうか。


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