アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「あえて、批評」の勇気と見識

2013年07月27日 | インポート

PhotoPhoto_2 「へいわってなにかな/ぼくはかんがえたよ/おともだちとなかよくし/かぞくがげんき/えがおであそぶ・・・せんそうは、おそろしい/「ドドーン、ドカーン」/ばくだんがおちてくるこわいおと・・・ああ、ぼくは、へいわなときにうまれてよかったよ・・・へいわなかぞく/へいわながっこう/へいわなよなぐにじま/へいわなおきなわ/へいわなせかい/へいわってすてきだね/これからもずっとへいわがつづくように/ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ」
 今年の「沖縄慰霊の日」(6・23)の県主催式典で、与那国島の小学校1年生が読み上げた詩「へいわってすてきだね」の一部です。感動的な詩として大きな反響を呼びました。
 ところがこれに対し、ちょうど1カ月後の今月23日付沖縄タイムスの文化欄コラム(唐獅子)で、「あえて、批評を!」と題し、次のような文章が掲載されました。「私はあの式典での朗読に、指導者の”影”を強く感じた。その指導者とは単に教師のみを指すのではなく、式典の企画者・主催者、もっといえば大人全体も意味している」。寄稿者は浦崎浩實さんという映画批評・劇評家。浦崎さんは続けます。「児童が平和について考えることは大切だろう。しかし長じてもどう向き合うか、かなり難しいテーマであり、ましてやそれを詩で表現するのは難易度が高い。そのことを大人たちはどこまで自覚しているか」「私は(この詩を)無批判にたたえる大人たちの方が不気味だ。平和とは守り抜く強い決意が必要なほど獲得困難なものだと私は考える。だから当該児童を表現者とみなして、あえて言う。『へいわってすてきだね』とのことばを紡いだのなら、これからもその言葉の真の意味を問い続けてほしい。表現とはそういうものだ」
 この批評をどう思いますか?確かに1年生にしては”出来すぎ”で、指導が入ったかもしれないが、それでもいいではないか、素晴らし詩なのだから、その意をくめば、と思う人もいるでしょう。1年生にそこまで「表現者」としての責任を求めるのは酷だとの意見もあるかもしれません。
 私は浦崎さんがどういう方かまったく知りません。でも、この批評には同感です。素晴らしい批評だと思います。「表現の過程で指導を受け、書き換えていくと、自分の思いと出来上がった作品とに乖離が生まれる。『表現者』であれば必ずそこで傷を受ける。幼くとも必ずそういう表現者はいる。優先されるべきは児童生徒の自立性のはずだ」。これが浦崎さんの基本的立場だからです。そして「あえて」批評した背景には、「沖縄では批評が育ちにくい」という指摘に対する問題提起があるからです。
 沖縄のみならず、表現者は自立した個人として尊重されなければならない。それが子どもであっても。そして「美しい」言葉の裏にある真実を見抜かなければならない。そう教えてくれた浦崎さんの勇気ある批評に拍手を送ります。

 <今日の注目記事>(27日付沖縄タイムス1面トップ、関連2面)

 ☆<辺野古埋め立て 県に3500通 意見9割は対象外 「利害関係」該当せず>
「米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた埋め立て申請をめぐり、県内外から寄せられた『利害関係人』による意見約3500通のうち、県が利害があると認める意見は1割に満たない見通しであることが26日までに分かった。埋め立てに伴い、経済活動や日常生活に実態的な利益・不利益が生じることを『利害』と捉え、名護市外から寄せられた意見の大半は利害関係人に該当しないとみている。ただ埋め立て区域周辺で日常的に活動する自然保護団体など判断の難しいケースもあり、来週以降、慎重に審査を進める」
 この記事が正確だとすれば、まったく言語道断の話です。環境保護や基地反対の意見がなぜ「利害関係なし」なのか。またく理解できません。名護市住民以外は対象外というならなぜ県内各地で申請書の縦覧を行ったのか。仲井真県政の姿勢が問われています。

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