「沖縄の怒りを、誰に、どう伝え、誰と手を組むのか」。その根源的な問いの難しさを改めて実感したシンポが20日、沖縄国際大学でありました。
オーストラリア在住の学者・ガバン・マコーマックさんとカナダ在住の平和活動家・乗松聡子さん(東京出身)(写真右)が、共著『沖縄の<怒り>-日米への抵抗』の出版に伴って来県。「沖縄の怒りをどう伝えるか」をテーマに学生・市民と対話し、その声を今月24日の東京の集会で紹介したいという趣旨で行われたものです。2人の基調発言のあと、同著で乗松さんが「歴史を動かす人々」としてインタビューした在沖活動家8人のうち5人(知念ウシ、与那嶺路代、宮城康博、吉田健正、浦島悦子の各氏)が乗松さんの紹介で順次発言するという異色の進行でした。
これには意味があります。同著は沖縄の歴史・現実を世界に紹介する意図で、まず英語版が出版され、それに大幅加筆して日本語版ができ、近く中国語、韓国語版も予定されているもの。「沖縄の怒りを代表する本を出版する資格が私たちにあるだろうか。基本的にはないと思う」(乗松さん)、「歴史を作る人と歴史を記録する人では格が違う。歴史を作る人の方が断然偉い。この本の核心は沖縄の『歴史を動かす人々』の声」(マコーマックさん)というのが、同著を貫く2人の基本姿勢だからです。
「沖縄人」ではない私が「沖縄問題」にどう向かえばいいのかを考え続けている私には、こうした2人の姿勢(謙虚さという一語では表せません)こそ最も学ぶべきものでした。主張の内容には、「基地は本土へ移してまず不平等を解消すべき」など、賛同し難いところもあります。会場からの意見もさまざまで、「基地」「独立」問題の複雑さを改めて痛感しました。
学生・若者の意見を聴きたいという乗松さんらの希望に反し、その参加者が少なく、発言がなかった(多くの発言はここでも中・高齢者)ことは、残念でした。それはただ残念なだけでなく、沖縄の現状を象徴し未来を暗示する、ゆゆしいことだと思います。
<今日の注目記事>(21日付琉球新報1面トップから。沖縄タイムスも同様に1面トップ)
☆<県内の体罰163件 12年度小中高 教委把握の4倍超>
「県教育庁は20日、2012年度の1年間に、県内公立・私立の小中高校で起きた体罰が163件あったと発表した。統計は、教職員と児童生徒、保護者を対象に実施したアンケートの結果。昨年4月からことし1月までの間、同庁と市町村教育委員会が把握して国に報告した37件と比べ、4倍超の件数に上った。県教育庁が年間を通しての体罰の件数をまとめたのは初めて」
この数字が全国と比べて多いのか少ないのかわかりませんが、沖縄の「体罰」「子どもと暴力」の問題は、多大な軍事基地の存在と無関係ではないと思います。
19日、「5・15平和とくらしを守る県民大会」と同時刻に、同じ宜野湾市内で、日の丸がうち振られる「祖国復帰41周年記念大会」が行われ、桜井よしこ氏(国家基本問題研究所理事長)が講演しました。県民大会へ行きたかったのをがまんして桜井氏の話を聞きにいきました。桜井氏は昨年末にも来県し、少なくない影響を与えたと聞いていたからです。
確かに、元キャスターとしての話術、ソフトな語り口は聞かせるものがありました。でも、話の中身には随所にトリックがちりばめられていました。
第1は、「国際情勢の2つの危機」です。中国、北朝鮮、韓国批判は常套句。「長崎沖に大挙おしよせた中国船」を「侵略の危機」のように取り上げましたが、やって来たのは漁船です。それをあたかも軍艦のように描くのはトリック。自民党政府による売国的な「日台漁業協定」「日中漁業協定」については一言も触れませんでした。「中国、北朝鮮の脅威」を繰り返しながら、「こんな国の『公正と信義に信頼』できますか」と憲法前文を批判し改憲につなげるのも、「諸国民」と「国家」を故意にすり替えるトリックです。「もう1つの危機」として桜井氏が強調したのが「第2期オバマ政権の大きな方向転換」。軍事費の大幅削減によって日本の負担がより多くなりそう、だから安倍首相は「戦後体制の見直し」を進めていると言いました。これは本音でしょう。
第2は、沖縄タイムス、琉球新報批判です。桜井氏は「最近沖縄タイムスの購読をやめた」「沖縄の新聞は県民の真意を伝えない」と批判を繰り返し、「八重山日報を読むようになって情勢がよくわかるようになった」と言いました。桜井氏の県紙批判は両紙がいかに奮闘しているかを逆に証明するもので、「八重山日報」を愛読しているというのも本当でしょう。「八重山日報の論説委員は自衛隊出身」(18日の大田静男さんの話)なのですから。もちろん桜井氏はこの点には触れませんでした。
第3は、「立派な日本国民としての沖縄人」の強調です。「沖縄人=日本国民」を何度も繰り返しました。「沖縄独立」論については中国紙の論調を引く形で間接的に批判しただけでしたが、沖縄の自立・自決権確立への「危機感」が透けて見えました。桜井氏は沖縄に「安全保障でひけを取らない体制」「日本国民としての気概」を求めて講演を締めくくりました。
会場から拍手が起こったのは2回。1つは「尖閣、東シナ海の危機的情勢」。もう1つは沖縄タイムス、琉球新報批判でした。
旧態依然とした「右翼演説」のようですが、そこには日米同盟関係・東アジア情勢の新局面、自立・独立へ向けた沖縄県民の新たな動きが反映されており、そこに彼女(彼ら)の本音の「危機感」があることがわかりました。
<今日の注目記事>(20日琉球新報1面トップから。関連で特集、社会面)
☆<普天間・嘉手納周辺 防音 認可外助成なし W75内89園3500人 本紙調査>
「米軍基地から発生する騒音に対し、国が実施している防音対策事業で、補助の対象外となっている認可外保育園が、米軍嘉手納基地、普天間飛行場周辺の補助対象の地域内に少なくとも89園あり、約3500人の園児が米軍機の騒音にさらされている実態が琉球新報社が実施した独自調査で明らかになった。・・・回答を得た58園のうち、約7割の保育園が、負担が大きく防音対策を実施できない状況にあることが分かった。8割を超える保育園が、国による認可外への防音工事助成の必要性を訴えている。/調査は、嘉手納基地、普天間飛行場の周辺の7市町村で実施。関係自治体に登録する計154園の認可外のうち、約6割が、国が防音工事の助成対象としている、うるささ指数(W値)75以上の騒音地域内に立地している」
子どもたちへの二重の犠牲は早急に改められなければなりません。
沖縄の現状と進路を東アジアとのつながりで考えたい-そんなシンポ「<沖縄>を創る、<アジア>を繋ぐ」が18日那覇市内でありました。副題は「40+1年&60年+1年」。前者は「復帰」、後者はサンフランシスコ講和条約発効です。パネラーは李鐘元(早稲田大学教授=写真右)、丸川哲史(明治大学教授)、大田静男(八重山郷土史家)、仲里効(映像批評家)の各氏。コーディネーターは長元朝浩氏(沖縄タイムス論説委員長)です。
特に印象深かったのは、李さんと大田さんの発言です。李さんは「1970年代からすでに国家の主権の意味が変わり、国境は低くなってきている。協力しながら問題を解決する相互依存と共同がアジアでも急速に進行している」とし、その点からも安倍政権の歴史認識や「国防軍」構想がいかに「歴史の逆流」であるかと指摘。そして、「『辺境』(境界線)からの視点とイニシアチブで、『地域』を創る。それによって『国家』を変える」ことの重要性を強調しました。
一方、大田さんは尖閣諸島情勢、自衛隊誘致問題で揺れる与那国、右派市長誕生以来右傾化が急速に進む石垣、教科書問題での竹富町への圧力、地元の声無視・頭越しの「日台漁業協定」などを列挙し、「八重山・先島は大変な状況だ。オスプレイ反対などで一枚岩になっている沖縄に風穴を開けるため、八重山が狙い撃ちされている」と警鐘。「いったん戦争が起これば私たちはどうなるか。『戦争だけはやってくれるな』と念仏のように唱えるしかない」。
李さんと大田さんは真逆のことを言っているようで、実は表裏の関係でしょう。大田さんが警鐘を鳴らす八重山の危機を突破することが、李さんの言う「地域を創ることで国家を変える」ことになり、中国、台湾、朝鮮半島と「繋がる」のだと思いました。
なお、仲里さんの「沖縄の68年体制(革新共闘)のゆるやかな崩壊」論はたいへん興味深いもので、別途考えたいと思います。
<今日の注目記事>(19日付沖縄タイムス社会面トップから。1面トップも同記事。琉球新報も1面と社会面で)
☆<「心身引き裂かれた」 元慰安婦・金さん 学生に「痛み」語る>
「『8年の歳月を軍人の慰み者として使われ、心身を引き裂かれた。この痛みが分かりますか』-。声を絞るように語る元従軍慰安婦の金福童さん(87)。初来県した金さんを囲む学生交流集会が18日夕、西原町の沖縄キリスト教学院大学であった。日本軍『慰安婦』被害者に初めて接した学生たちは、涙を流しながら語る金さんの証言に聞き入った。/21年間、毎週水曜日に韓国の日本大使館前で公式謝罪を求めてデモを続ける金さんは、目が不自由で足元もおぼつかないが、支えながら登壇した。目頭を押さえながら壮絶な慰安婦被害を語り、いまだに公的謝罪をしない日本政府への怒りに声を震わせた。・・・『(謝罪もせず)日本政府が憲法を変えて、戦争ができる国にしようとしていることは、胸が痛くて言葉にならない』と険しい表情をみせた」
月1回行われる「若い教職員のための平和教育講座」(沖縄平和ネットワーク主催)が17日ありました。今回のテーマは「戦跡保存運動の現状と課題」。講師は村上有慶さん(戦跡保存全国ネットワーク代表)です。沖縄に戦争遺跡が多いのは自明のことのように思っていましたが、それが地道な市民の運動とたたかいによって保存・維持されていこと、沖縄での戦争遺跡保存運動には特別の意味があること、また課題も多いことが分かり、目からウロコでした。
全国で戦争文化財の調査が行われた遺跡は544あり、うち沖縄は169(31%)と多いのですが、実際に指定されているのは全国205中、沖縄はわずか14(7%)にすぎません。調査すれども指定せずという現状です。背景には「太平洋戦争の評価」など政治的問題があります。
「沖縄が戦跡保存運動に欠かせない」理由を、村上さんは4点指摘しました。
①「民衆の視点」を持たない保存運動は軍国主義賛美につながりかねない。住民の戦時体験記録、戦災の全面的調査が必要。
②「三位一体」-口述を基礎とした戦時体験記録、戦跡保存、平和祈念資料館-の取り組みを核にした運動の広がり。
③「被害の視点」から「加害の視点」へ。朝鮮人強制連行問題など戦争に内在する差別や加害の欠落があってはならない。
④「保存」から「活用」の視点が大事=「平和ガイド活動」の原点(写真右は首里第32軍司令部壕を説明する平和ガイド)。英霊顕彰ではなく、住民の視点から平和の大切さを伝える。
遺跡や資料館を訪れてもただ見て回るだけになりがちでしたが、体験者の話と結びつけることが大切なことを改めて学びました。平和ガイドさんがいない時は展示されている体験談のテープやパネルを活用する遺跡の巡り方を心がけたいと思いました。
村上さんが何度も強調したのは、年々戦争体験者が減少していく危機感です。沖縄への修学旅行にも影響しかねません。これは戦跡保存だけの問題ではありません。、またもちろん沖縄だけの問題でもありません。われわれ戦後世代の責任を改めて痛感します。
<今日の注目記事>(18日付琉球新報社会面見開きから)
☆<平和行進 「基地ノー」声高く 連帯 思い一つに>
「米軍基地や戦跡の続く道のりを一歩一歩踏みしめ、平和の大切さをあらためて考えた5・15平和行進。時折大雨に見舞われながらも、参加者は『基地のない平和な島をつくろう』『命どぅ宝』などと声を上げて歩み続けた。県外からの参加者は、基地負担に苦しむ沖縄の現状を目にして、『問題を全国に持ち帰って広めたい』と、国全体で共有することを誓った。在沖米軍に風俗活用を提言した橋下徹大阪市長に対しても批判が相次ぎ、『沖縄に基地ありき』とする差別的な政治を糾弾した。米軍基地を抱える韓国からも市民らが参加した」
「連帯」を強調したいい記事ですが、「国全体で共有することを誓った」のが「(基地・沖縄)問題」ならいいのですが、「基地負担」の「共有」だとしたら首をかしげます。「基地は沖縄はもちろん、本土にもいらない。基地は共有ではなく即刻撤去」と誓った人も多かったのではないでしょうか。
沖縄の米軍基地で働く日本人は、なぜ、どういう思いで働いてきたのか-その体験を聴くシンポジウム「基地で働く-軍作業員の戦後」が16日、那覇市内で行われました(主催・沖縄タイムス)。沖縄タイムスが昨年「復帰」40年を記念して始めた連載(現在まで124回)でとりあげた73人の日本人基地作業員の中から、照屋菊さん(普天間飛行場で女性初のチーフバーテンダー)、宮里信善さん(牧港補給地区で謀略ビラ作り)、赤嶺時子さん(牧港補給地区解雇後、保育園設立)が貴重な体験を語りました。
照屋さんは「ヤギのえさまで食べなければならなかった」貧困の中で、家族を支えるために15歳で、義務教育を中断しながら、米兵住宅のメイドとして働きはじめました。成人後は労働組合の「スト破り」といわれながら「家族の生活が自分の肩にかかっている板ばさみ」に苦しみながら、フェンスの中で働き続けなければなりませんでした。
宮里さんも中学卒業とともに基地に就職。ベトナム戦争のさなか、米軍が北ベトナムの戦意喪失を狙って投下した謀略ビラを作るのを手伝わされたという特殊な体験があります(写真右はベトナム紙幣に似せて作られたビラ)。石鹸(沖縄産)の中に宣伝ビラを入れたり、米軍放送しか聞こえないトランジスターラジオを投下した話も聞いたことがあります。「戦争に加担している」という良心にさいなまれ、「早く(ベトナム戦争が)終わってほしい」と毎日思い続けながら働かざるをえなかった日々。謀略部隊は今もあり、その恐怖もあってこれまで家族にも話してこなかった体験を、「若い人たちに知ってほしい」との思いから、この連載で初めて告白しました。
赤嶺さんも自分が書類を処理して搬出した物資が「ベトナム戦争につながっている」と思うと耐えられず、「戦争の加担者という負い目」が常にありました。ベトナム戦争の終結とともに解雇され、仲間とたいへんな苦労をして保育所を開設。「初めて仕事に誇りを持つことができた」といいます。
講演した鳥山淳・沖縄国際大学准教授が、「沖縄の戦後体験を考えるうえで、基地労働問題は不可欠。米軍の記録にもない当事者の体験を体系的に記録しておくことはきわめて重要」と強調した通り、3人の証言はまさに”生きた沖縄の戦後史”でした。取材した磯野直記者は、「40年以上昔の話だから簡単に聴けるだろうと思ったのは大変な間違いだった。つらい記憶はいまも体験者の心の中に残り続けている。しかし当事者が語らなければ、事実はなかったことになり、歴史の改ざんを生む。当事者が安心して語れる社会を作りたい。語っていただく時間はもう多くは残されていない」。
人はだれも「理想」と「現実」の間で苦しみます。「貧困」と「戦争加担」のはざまに置かれた基地労働者の人々の苦悩はどれほどだったでしょう。想像力と共感力で、貴重な体験が語られ、残される世の中にしなければと痛感しました。
<今日の注目記事>(17日付琉球新報社会面より)
☆<橋下発言 高まる批判 苦難の歴史無理解 特飲街設置も性犯罪多発>
「橋下徹大阪市長発言の波紋が広がっている。国内外での批判の高まりを受けた16日も橋下氏は発言を撤回せず、県内の沖縄女性史やジェンダー問題に詳しい識者から批判が相次いだ。1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約による切り捨てで、売春防止法適用外となった沖縄。米兵のために特飲街も設置されたが、終戦直後から頻発した女性や子どもたちへの米兵による性暴力はやまず、特飲街の女性もまた暴力の標的とされた。苦しみの歴史を理解せず、男性の性欲を盾に女性を『モノ』のように扱う発言に、県内25の女性団体も憤った。『女性や沖縄への侮辱でしかない』との怒り心頭の声は、勢いをましている」
沖縄女性史家の宮城晴美さんは、「米軍に風俗業を活用しろという橋下氏の発言は、基地存続のために、沖縄の女性を利用しろという考えだ。それで犯罪が抑えられるはずがない。兵士による性暴力をなくすには、基地そのものをなくすしか方法はない」と強調しています。
「5・15」は41年前と同様、時折激しい雨の中でした。那覇市のメーン通り・国際通りにこの日、2時間違いで2つの対照的なデモ行進がありました。
1つは「5・15を問う沖縄行動実行委員会」主催(写真左)。「祖国復帰」はアメリカとヤマトによる琉球の再併合であるととらえ、「安保破棄」「琉球の自決権確立」「独立」などをスローガンに、「オスプレイ配備・辺野古移設反対」を強調します。
もう1つは「頑張れ日本!全国行動委員会in沖縄」主催の「日の丸大行進」(写真右)。中国敵視に貫かれ、「中国は人殺しをやめろ」「東アジアの守りの要・沖縄の基地」「立て直そう教育・安倍救国内閣」などがスローガン。「オスプレイは安全」と言い切ります。行進に先立つ集会では、「君が代」「海ゆかば」の合唱に続き、80歳代の女性などが「決意表明」しました。
参加者は前者が約50人。後者は3倍の約150人(全国動員)でした。
このほか与儀公園では「政府の沖縄施策糾弾!5・15集会&デモ行進」(平和運動センターなど)が行われ、「憲法改悪反対」などを掲げ豪雨の中を行進したと新聞で知りました。
さらにこの日、準備を続けてきた「琉球民族独立総合研究学会」が正式に設立され、記者会見に続いて、夜にはシンポジウムが行われました。
「独立」と「日の丸」。まさに両極端です。でも沖縄にはそのいずれでもないグループがあるはずです。共産党沖縄県委員会に集会などの予定はないか電話で聞きましたが、「街頭行動を予定していたが雨で中止」とか。
この日に限ったことではありません。沖縄と日本の現状に危機感を募らせ、新しい道を切り開きたいと思う。けれど「琉球民族」論にも「独立」論にも疑問がある。そんな県民(おそらくこれが多数派)が参加できる集会・シンポなどの企画、運動、告知があまりにも乏しいと、ずっと感じています。それが「日の丸」派を増やしている一因ではないでしょうか。
<今日の注目記事>(沖縄タイムス16日付1面トップから)
☆<慰安婦発言 女性25団体 橋下氏に抗議 「人間の尊厳冒涜」>
「日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)が『慰安婦は必要』と発言した問題で、県内の女性関連25団体の代表が15日午前、県庁で会見し、発言の謝罪と撤回を求める抗議声明を発表した。女性たちは『男女を問わず人間の尊厳を冒涜する差別発言であり、公的立場にふさわしくない』と橋下氏の発言を強く非難し、国政政党の共同代表と市長職の辞任を求める声が続出した。抗議声明は一連の発言を『あからさまな差別を正当化するものであり、女性のみならず、全ての人間の尊厳を傷つける。私たちは驚き、呆れ、また心底から怒っており、看過できない』と強く批判している」
1972年5月15日、那覇市民会館で行われた「復帰式典」で屋良朝苗沖縄県知事(当時)はこうあいさつしました。「沖縄県の復帰は疑いもなく、ここにやってきました。しかし、沖縄県民のこれまでの要望と心情にてらして復帰の内容をみますと、必ずしも私どもの切なる願望がいれられたとはいえないことも事実であります」。米軍基地の残存・強化に加え、核兵器持ち込みの密約まで明らかになったいま、屋良知事の指摘はますます悲しい方向で実証されています。市民会館の向かいにある与儀公園では、大雨の中、式典と並行して抗議の県民総決起大会が開かれました(写真左)。
その与儀公園に、蒸気機関車D51(デゴイチ)の実物が1両保存されています(写真右)。北九州市門司区の国鉄(当時)労働者有志が、「復帰」を記念して沖縄の子どもたちを北九州に招待しました。72年夏、小学5、6年生72人が8日間、国鉄職員の里親のもとで暮らしました。沖縄を離れるのは初めて、まして機関車など見たことがなかった沖縄の子どもたちにとってはまさに夢の生活、夢の乗り物でした。口々に「機関車がほしい」。それを聞いた里親の国鉄職員らが実物の機関車を贈ろうと決めました。しかし600㌔離れた島に重さ90㌧のD51を運ぶのは至難の業。それを全国の1400万円余の募金が後押ししました。そうして運ばれてきたのがこのD51です。当時招待された子どもの中には、わずか8日間の里親と今も家族づきあいを続けている人がいます。人の絆は時間の長さでも、距離の遠さでもありません。
41年目の「5・15」。沖縄では「祖国復帰」への批判が高まり、日本は「祖国」などではないとの声も少なくありません。対照的に、「琉球独立」論がかつてなく広がっています。
日本ははたして沖縄の「祖国」なのか、「復帰運動」は正しかったのか。大局的な政治的社会的視点とともに、草の根の庶民の視点も含め、「5・15」の全面的な検証をすすめ、沖縄と日本の進路を探ることは急務です。それはもちろんウチナーンチュウだけの問題ではありません。私たちヤマトンチュウ自身の課題です。D51に示された沖縄と本土の絆を今に。
<今日の注目社説>(15日琉球新報の社説から)
☆<本土復帰41年 自己決定権の尊重を 揺るがぬ普天間閉鎖の民意>
「1952年4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約に基づき米国施政権下に置かれた沖縄が日本に復帰して、きょうで41年を迎えた。『復帰してよかった』と心から喜べない。残念だが、そんな思いの県民が少なくないだろう。・・・基地、振興策で多くの矛盾を抱える状況にいら立ち日米の対沖縄政策を『植民地政策だ』と批判する声が増えている。・・・必ずしも『独立』が県民の多数意見ではない。が、人間としての尊厳を傷つけるこの国の有り様を嘆き、悲しむ中で、『日本に復帰すべきだったのか』『自己決定権を取り戻すには独立しかないのでは』といった意見を各地のシンポジウムなどで耳にすることが多くなった。県民は憤っている。深く悩み、悲しんでいる。日本にとって、沖縄とは何なのだろうか」
「5・15」を前に、全国でたたかう民衆の「交流の夕べ」が13日、那覇市内で行われました。テーマは「日米安保破棄」です。昨年11月、日本政府が「復帰40周年記念事業」として糸満で天皇出席の下「海づくり大会」を実施しましたが、それに反対した時に生まれた共闘の延長線です。嘉手納爆音訴訟団事務局長の平良眞知さん(写真右)の基調講演のほか、アイヌモシリ、宮古、奄美、辺野古、沖縄キリスト者、浦添、札幌、山形、神奈川・厚木基地、与那国(メッセージ)などが相次いで報告。その一端を紹介します。
☆伊江島で実弾爆撃訓練・・・嘉手納基地には多数の戦闘機が常駐しているが、最近さらに全国各地から「外来機」が増えている。実弾で爆撃訓練を行うためだ。防衛省になぜ本土(三沢)でやらないのか質すと、「危ないから」だという。沖縄は危なくないのか!象徴的な沖縄差別だ。(平良さん)
☆京大にアイヌ、琉球の人骨・・・日本の11の大学にアイヌの人骨が無断で墓から奪われ展示されている。京大には琉球の人骨もある。いっしょに取り戻そう。(アイヌモシリ)
☆正念場の自衛隊誘致とのたたかい・・・地元新聞(宮古毎日)の右傾化が急速。公開質問状でたたかっている。多良間小学校では自衛隊による懐柔・浸透策が進んでいる。(宮古)
☆天皇裕仁の犯罪・・・昭和天皇は「天皇メッセージ」のほかマッカーサーと秘密裏に何度も会い、アメリカの力を借りて天皇制維持を図った。「象徴天皇制」と「憲法9条」と「日米安保」は一体。「5・15」は日米合作の「沖縄再統治」にほかならない。(反戦反天皇制労働者ネット)
☆「マスコミ報道」のウソ・・・8月の町長選で自衛隊誘致を一気に白紙にもちこみたいが、最近気になるのがマスコミ報道。八重山諸島は連日中国船に侵犯されて住民は不安を強いられているとして安保の必要性を強調しようとしているが、そんな実態はまったくない。(与那国)
☆沖縄とヤマトの連帯・・・沖縄との温度差というが、ヤマトの人間は厚木基地も横田基地も知らない。それで沖縄のことが分かるわけがない。ヤマトでの反基地闘争をおいて沖縄との連帯はありえない。(厚木基地爆音防止期成同盟)
安倍政権の改憲策動に対し、いまこそ日米安保と天皇制を問い直さなければならない。改憲・反動攻勢に対抗する力は、たたかう民衆の連帯以外にない。そう実感した夕べでした。
<今日の注目記事>(14日付琉球新報、沖縄タイムスより)
☆橋下大阪市長の「海兵隊員は風俗活用を」「従軍慰安婦制度は必要」発言(13日)に対し、沖縄では怒りが沸騰しています。両紙の社会面から声を抜粋します。
●「地方自治体を預かる長が女性の人権を無視する発言をするとは。その資質を疑う。人の痛みが分からずにどんな行政ができるのか。軍隊の犠牲になるのは常に女性だ。もし母親や娘が同じ立場に置かれた時、同じことが言えるのか」(沖縄女性史家・宮城晴美さん)
●「こういった認識を公の場で平然と言えるのだろうか。人権どころか、女性はもう道具同然ではないか。戦時中であろうとなかろうと、女性を道具として使うこと自体がおかしい」(県女性団体連絡協議会・伊志嶺雅子さん)
●「風俗で解消するという発想は自分の体験から出たのではないか。性暴力の理由を肯定し人権意識を喪失している」(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表・高里鈴代さん)
●「男性にとっても侮辱的だ。男性の健康的な性の在り方をも抑圧して、戦争や基地が成立していることを、この発言は暴露している」(ライター・知念ウシさん)
●「維新の会の底が知れた。本質が出た。強い国、美しい国の裏で、弱いもの、小さいものを踏みつけても気付かない鈍感な風潮が今の日本にはある。今回の発言を許すのか、許さないのか、試されている」(ジャーナリスト・油井晶子さん)
こんな人物をメディアがもてはやし、少なくない国民が支持していることこそ、問題です。
あさって「5・15」は1972年に沖縄が「祖国復帰」した日。と、今までは何の疑いもありませんでしたが、沖縄ではそうではありません。40周年の節目の昨年は「復帰」を問い直す様々な企画があったようですが、今年はまた、安倍政権が「4・28独立式典」を強行した直後という特別な意味をもって迎えることになります。
12日「復帰とは何だったか」と題するシンポジウムが那覇市内でありました。主催は「琉球民族の自決権と一国二制度を実現する会=金城実会長(彫刻家)」。同会はこのシンポで4年間の活動に幕を閉じました。シンポジストは平良修(牧師=写真右)、石川元平(元沖教組委員長)、新川明(ジャーナリスト)、屋良朝助(琉球独立党首)の各氏。コーディネーターは仲里効氏(評論家)。当時「復帰運動」の中心を担った石川氏と「反復帰論」の旗手だった新川氏が同じ壇上に並ぶこと自体、異例だそうです。内容は広く深く、とても簡単には紹介できませんが、胸に迫った象徴的な言葉を3つ挙げます。
1つは、金城会長の言葉。「『復帰論』と『独立論』は捕虜収容所で生まれた双子だった」。1945年の沖縄戦終結以来、その2つは切っても切れない関係にあったというのです。
2つは、新川氏の言葉。「『祖国日本』意識をどうすれば心の中から拭い去れるか。それが独立問題の最大の課題である」。沖縄が日本を「祖国」と思っている限り、どんな抗議をしようが日本政府には「痛くもかゆくもない」と言います。
3つは、平良氏の言葉。「沖縄の独立は将来の世界国家へのワンステップ。できるだけ国境を低くすること。ヤマトの人にも沖縄の独立に手を貸してほしい。連帯こそ大事だ」
いずれも重い言葉です。ほかに知らなかったことも多々ありました。これをきっかけに、「復帰」と「独立」についてさらに学び、考えたいと思います。
<今日の注目記事>(沖縄タイムス13日付2面、平安名純代・米国特約記者電から)
☆<沖縄に「不相応な重荷」 米議会調査局 普天間県内移設疑問視>
「米議会調査局が1日付でまとめた日米関係の報告書の中で、米軍普天間飛行場の移設問題について、米議会では県内移設を定めた現行計画の総費用や期間に関する懐疑的な見方が高まり、沖縄では反対がより強固になるなどと分析し、実現性を疑問視していることが11日までに分かった。また『日本が米国による安全保障の利益を得ている間、沖縄人は不相応な重荷に耐えている』などと踏み込んだ。・・・沖縄では一般市民の新基地建設計画への反対はより強固になったと説明。昨夏のオスプレイ配備や昨年後半に起きた米兵らによる一連の事件が住民の怒りをあおるなど『都市部における外国の軍隊の存在に対し、沖縄人が何十年もためてきた不平は弱まりそうにないようだ』と結論付けた」
日本政府や本土のメディアよりも米国議会のほうが沖縄の現状を正確にとらえているようです。
若手経営者らで組織する日本青年会議所沖縄ブロック協議会が主催する「憲法タウンミーティング」が10日浦添市内で行われました。「憲法改正」を主張する同会が、護憲派の意見も聞こうと開いたもので、元同会会長の花城大輔さん(41)(左の写真中央)と、護憲派の沖縄大学講師・高良沙哉さん(34)(同右)が真剣な討論を展開しました。
同会や花城さんの改憲論で注目されたのは以下の諸点です。(カッコは私の一言コメント)
〇「改憲の必要性」・・・同会が改憲が必要だとする最大の理由は、「制定以来憲法が改正されていないのは世界で日本くらい」論。「押し付け憲法」論よりむしろ自分たちの手で憲法を作りたいという「改正願望」。(変わっていないのはそれだけ優れているから。守るのも自主的行動)
〇「3・11」から「国家非常事態対処条項」へ・・・「3・11」に対する政府の対策の遅れは公のために個人の権利を制限する「非常事態条項」がなかったからと主張。(震災・原発対策の遅れ、無策は政府の怠慢あるいは意図であり、法律の問題、まして憲法の問題ではない)
〇「天皇元首」・・・「日本の国柄」の特徴は「万世一系の天皇制」だとして元首化(花城さんは象徴)を主張。(花城さんが天照大神からの神話をとくとくと語ったのには驚きました。若い人たちにも「天皇制」がこうも浸透しているのかと)
〇「集団的自衛権」・・・論点は自民党などとほとんど同じですが、「軍事的援助を受けているのだから仲間と助け合うのは当然」という”正義感”も。(日米安保によるアメリカへの従属をまったく捨象しているのが同会の最大の特徴。質問時間があれば安保条約への見解を聞こうと思ったのですが、質疑はまったくありませんでした)
〇「個人」より「公」・・・「行き過ぎた個人主義」は「公」「共同体」のために制限されるべきだと主張。(従来の改憲論と同じですが、”善意”であるだけにやっかいです)
高良さんは丁寧・明快に反論・解説しました。特に「個人の権利が脅かされていないかという視点を忘れてはいけない」と強調しました。
集会は約80人の参加で、私が見るところ9割くらいは同会関係、つまり「改憲」支持ではなかったでしょうか。でも高良さんに対してヤジひとつなく、真剣に聴いていました。その姿勢は、偏狂右翼とは違い、好感が持てました。論点ははっきり言って稚拙ですが、それだけにこの”素直さ・正義感”は、改憲勢力に利用されやすく、また知識が乏しい善意の若者にも浸透する危険性がある、と感じました。
<今日の注目投稿>(12日付琉球新報「声」欄より)
☆平良宗潤さん(県歴史教育者協議会委員長)<講和条約発効前から闘いは始まっていた--県民にこそ服務すべき>
「1952年4月1日、琉球大学校庭で琉球政府の創立式典が行われていた。立法院議員が第1区から順に呼名され、全員が起立して直立不動の姿勢をとっている中で、一人だけ最後尾の席に、返事もせず座り続けている議員がいた。これがのちに有名になる瀬長亀次郎の宣誓拒否の場面である。彼の宣誓拒否は、個人英雄主義的にやったのではなく、県民にこそ服務すべきという基本的立場からであった。県民の意思を踏みにじり、沖縄を全面的占領支配下に置いたアメリカへの抗議と抵抗の意思表明であった、と後に語っている(『不屈館ブックレット』)。・・・瀬長さんが一人座ったままでいた、という行為によって「民主主義のショーウィンドウ」を演出する(アメリカの)もくろみは失敗した。瀬長さんの宣誓拒否こそは沖縄県民の米軍支配に対する公然たる闘いの始まりを象徴的に示したのであった」