アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「洗骨」にみる沖縄(琉球)の深い家族観・死生観

2013年05月08日 | 日記・エッセイ・コラム

TozawasanNakazatosan 5日まで那覇市民ギャラリーで戸澤裕司さん(写真左。石川県出身)の写真展が開催されていました。粟国島出身の仲里チヨさんのカジマヤー(97歳)祝いから、他界、そして7年後の「洗骨」までを、チヨさんの息子正雄さん(写真右)とともに巡った記録です。
 私は「洗骨」に関心があって見に行きました。そしてそれまでの「洗骨」についての認識を改めさせられました。
 「洗骨」は、土葬された遺体の骨を一定期間後に洗い改めて納骨するもの。戸澤さんも言われるように、本来家族だけの儀式で他者が同席して写真に撮り、さらに展示するのはきわめてまれです。沖縄に先立つ東京の展示会ではずいぶん配慮しても、遺骨を目にする機会が少ない都会のこと、「衝撃的だ」「不敬だ」との声が上がったそうです。
 沖縄では「躊躇しつつも」大型プリントでの展示に踏み切ました。「失われていこうとする大切な文化風俗の心のよりどころ、人間ドラマの最終章をきちんと受け止めていただきたいとの想い」からです。戸澤さんや正雄さんは、「洗骨」は先に亡くなった配偶者と墓(厨子)でようやく一緒になる「いわば再びの結婚式」で、「厳かな中にも喪が明ける晴れやかな雰囲気が漂う」儀式だといいます。戸澤さんはさらに、「リアルな骨や死を大切に扱う」死生観が、「3・11」後の重い心を軽くしてくれたと言います。
 私はその言葉に驚きました。なぜなら以前読んだ本では、「洗骨」は女性だけの「辛い仕事」で、「社会に差別が生じると、差別された人間のする仕事も、卑しめられるようになる」、その廃止は「昭和初期の頃からの(女性の)悲願」であり、女性の解放と一体だった、と書かれていたからです(堀場清子氏『沖縄から見た日本』)。
 戸澤さんは、「洗骨」に対するそうした捉え方は本島北部にはあったかもしれないが、少なくとも粟国島はまったく違うとし、死者にまつわる風習を軽々に判断することを戒めてくれました。読み直してみると、確かに堀場さんが主に取り上げていたのは北部の大宜味村の例でした。
 沖縄(琉球)の文化・風習は奥深い。それが死や先祖、神にかかわることならいっそう。さらに地域によって、島々によって千差万別。「沖縄」についての一知半解は危険であり、またその奥深さから学ぶべきものは多いと、あらためて教えられました。
 

<今日の注目記事>(沖縄タイムス8日付第2社会面ベタ記事から)

 ☆<新石垣供用停止 元地権者ら訴え 東京地裁で結審>
 「新石垣空港の安全性など事業認定の要件を満たしていないとして、同空港の元地権者ら141人が認定取り消しを求めた訴訟の第15回口頭弁論が7日、東京地裁であり、結審した。原告の八重山・白保の海を守る会の生島融事務局長は『空港は開港したが、滑走路陥没などの危険性はこれからも続く』と意見陳述した。判決は9月17日。生島氏は『滑走路の下に空洞や洞窟があり陥没する恐れもある。危険な場所に空港を建設するのは人の命に関わる』と空港の供用停止を求めた」
 県紙でこの扱い(琉球新報にはなし)ですから、本土の新聞には掲載されていないでしょう。しかし、人命にかかわるのはもちろん、沖縄で進む「開発」を考えるうえでもたいへん重要な問題です。引き続き注目していきたいと思います。


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