アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

ある「原発避難」夫婦のたたかい

2013年04月20日 | 日記・エッセイ・コラム

Yamadasan 与那原町議選に立候補した龍野愛さん(4月8日のブログ)の事務所(子育て応援隊広場)で、毎日のように黙々と作業を手伝っている一人の女性がいます。山田友香さん(36)。「3・11」から半年後の一昨年9月、千葉県から移ってきました。
 「耳の中でいつも何かが鳴っている」。そういいながらも友香さんは時間を見つけては、同じ「原発避難者」の龍野さんを応援します。体調が悪くなったのは10カ月前。長女のららちゃんを出産してからです。ららちゃんは「総動脈幹症」という先天性心疾患と「5Pマイナス症候群」という染色体異常(ほとんどが「突然変異」で遺伝で生じることはまれといわれています)の2つの重い病気とともに誕生しました。今も入院中です。元保育士で明るい性格だった友香さんは、自身こころの病に苦しむようになりました。その友香さんを支えるのが夫の真さん(38)。沖縄移住に際して新たに自動車整備の資格を取りましたが、仕事が軌道に乗るのはこれからです。
 慣れない土地、転職、経済的不安、長女の先天性難病、低福祉・沖縄での将来への不安・・・友香さんのこころを押しつぶすには十分過ぎます。ららちゃんの病気の原因は明らかになっていませんが、福島第一原発の放射能汚染の影響は十分考えられます。でも、いまの友香さんは、自分と子どものことで精いっぱいです。人は深い悲しみ苦しみに突き落とされると、怒り、たたかう前に、自分の「運命」を受け入れる作業が必要なのだと、教えられます。
 友香さんは龍野さんの選挙投票日の21日、両親がいる東京・小平市へいったん帰ります。独りで。沖縄には真さんとららちゃん、そしてお兄ちゃんの洸(こう)くんが残ります。洸くんはいつも元気で笑顔がかわいい小学2年生。「ららちゃんはとても強いんだよ」。懸命に妹を思いやります。友香さんは真さん、洸くん、ららちゃんに心残しながら、沖縄を離れます。「必ず帰ってきます」という言葉を残して。

<今日の注目記事>(「琉球新報」20日付1面トップから)

 ☆新連載「主権この手に 第1部 切り捨て」
  <米兵は私に銃を向けた 宮森小で長男犠牲 交渉の場 伊波春代さん>
 「1960年春、旧石川市内の消防署。伊波春代さん(86)は米軍の交渉相手と通訳の2人に向き合っていた。宮森小学校ジェット機墜落事故で犠牲となった小学6年生の長男正行さんの賠償金交渉の席だ。/米軍から提示された賠償額は2500㌦。遺族の要求とは大きな開きがあった。『これくらいの金なら私も持っている。あなたの子をまな板の上に差し出すのなら、私が2500㌦を支払う』と言い放ち、米兵に迫った。『正行を返せ』/突然、米兵は伊波さんに銃口を向けた。それでも怒りは収まらなかった。『殺せ。殺せるなら殺せ』。春代さんは銃口を握り、自分の喉元に突き付けた。・・・(4・28「主権回復の日」について)『もう少し沖縄のことを考えてほしい。まだ何も終わっていないのに』。春代さんはささやくように、しかし、はっきりした声でつぶやいた」
 沖縄にとって「主権」とは何かを、「屈辱」と闘った人々の体験から考える連載です。


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「屈辱の日」沖縄大会実行委の失態

2013年04月19日 | 日記・エッセイ・コラム

KesseisoukaiSyuukaitirasi 「1952年4月28日はサンフランシスコ講和条約の発効日で、敗戦後駐留軍が置かれていた日本が独立を回復した日です。しかし、その代償として沖縄はアメリカの施政権下に置かれました」
 この文章をどう思いますか?政府検定済みの教科書にはだいたいこう書かれていますから、そのまま読み進めてしまいそうです。でも、前半の文は4・28で「日本が独立を回復した」と言っていますから、明らかに間違いです。これが安倍首相が強行しようとしている「主権回復」式典の文章なら分かります。ところがなんとこれは、「政府の『主権回復・国際社会復帰式典』に抗議する 屈辱の日沖縄大会」(4・28実施)実行委員会が作成したチラシの文章なのです(写真右)。
 18日夜那覇市内で、同実行委員会(自民、公明を除く超党派の県議団、各種民主団体などで構成)の結成総会が開かれました(写真左)。前泊博盛・沖国大教授の特別講演のあと、質疑応答で一人の女性が挙手して立ち上がり、この文章の間違いを指摘、「これでは地域に配れない。書き換えてほしい」と発言しました。うかつにも私もその指摘で気が付きました。しかし、これについて実行委員会からはなんのコメントもなく、まもなく会は閉会しました。
 私は気持ちがおさまらず、共同代表の一人に見解を求めました。その人は「教科書にはこう書いてあるが・・・」と苦渋の表情を浮かべながら、「私はその作成には携わっていない。相談してみる」と言いました。
 発言した女性のところに行き、「私も同感です」と言いました。女性は「チラシには仲井真県知事が式典不参加を表明したことは書いてあるけれど、代わりに副知事を出席させることの不当さには何も触れていない。これもおかしい。絶対書き換えてほしい」ときっぱり言いました。私は二度教えられました。
 発言した女性の聡明さと勇気にはほんとうに感服します。大会まであとわずかですが、実行委員会にはぜひチラシを作り直していただきたい。これはたんなる誤植ではなく、大会の本質にかかわる根本問題なのですから。

<今日の注目される”書かれなかった記事”>(19日付「沖縄タイムス」「琉球新報」から)

 「屈辱の日」沖縄大会実行委員会結成総会について、「沖縄タイムス」は1面で<「屈辱」発信体制整う>、第2社会面で<式典「合点ならん」>、「琉球新報」は第2社会面で<1万人結集目指す>とそれぞれ報じています。
 これはこれで見識です。でも、上記のチラシ問題については、一言も触れていません。もちろん記者は一部始終を取材しています。にもかかわらずコラムでさえ取り上げていません。私はこれに「合点」がいきません。
 どんな組織・催しであろうと、おかしいことはおかしいと言わなければ、運動は前進しません。


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「4・28」は「屈辱の日」だけではない

2013年04月18日 | 日記・エッセイ・コラム

FukutusinpoHinomaruhwiyou 「4・28」は、「不屈館~瀬長亀次郎と民衆資料」(那覇市、3月オープン)にとっても特別な日です。その意味を学び直そうという同館初の講演会が17日夜ありました。講師は同館運営委員長で県歴史教育者協議会委員長の平良宗潤さん(写真右。左は館長の内村千尋さん)。
 「4・28」が安倍内閣がいう「主権回復の日」などでないことはあらためて記しません。平良さんが示した資料の中で大変興味深いものがありました。「日の丸併揚」(写真右)です。沖縄の船舶は国籍識別のため日章旗の掲揚を要求しますが、日米政府が認めたのは日の丸の上に喪章のようなものをくっつけたもの(67年7月から)。そのため国籍識別にはならず沖縄の船舶が攻撃を受ける被害は絶えませんでした。あくまでも「日本」であることを認められなかった沖縄の悲劇の一例です。
 「4・28」が沖縄が切り捨てられた「屈辱の日」であることは間違いありません。でも、それは沖縄だけでなく、安保条約や地位協定によってアメリカに従属することになった、「日本全体の屈辱の日」ととらえることが大切だと平良さんは強調しました。
 気づかされたのは、「4・28」は「屈辱の日」だけではないということです。沖縄では米軍支配に抗する人民のたたかいが瀬長さんらによって進められましたが、その中心になったのが沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)。結成は1960年4月28日でした。さらに、「沖縄返還」は国際的な課題にもなり、アジア・アフリカ人民連帯会議は「反帝反植民地の国際連帯の日」を確認しました。それが1963年4月28日だったのです。
 「4・28を卑下したり自虐的にみる必要はない。それはたたかいの日でもある」。平良さんの言葉に、歴史を人民のたたかいの視点から見る大切さをあらためて教えられました。

<きょうの注目記事>(18日付から)

 ☆<「屈辱の日」 那覇市庁舎に紺色 寒冷色「無念、失望」込める>(琉球新報1面トップ)
 「政府がサンフランシスコ講和条約発効を記念し『主権回復の日』式典を28日に開催することについて、那覇市は17日、沖縄などが日本から分離された『屈辱の日』の深い悲しみを表す紺色を市役所に掲げると発表した。イメージカラーの掲示で、4・28に対して『残念、無念、失望』など、政府の認識とは異なる『複雑な思い』の歴史認識を明示する」

 ☆<4・28式典中止訴え>(沖縄タイムス1面)
 「政府主催4・28主権回復式典の中止を求める集会(主催・同実行委員会)が17日夕、県庁前県民広場で開かれた。沖縄平和運動センター加盟団体ら約300人(主催者発表)が参加。・・・名護市辺野古で座り込みを続けるヘリ基地建設反対協議会の安次富浩共同代表は『沖縄を日本と切り離し、米軍基地を集中させることを日本政府は当然視してきた。沖縄を差別する構造が残っているから、辺野古や東村高江に基地を押し付けるんだ』と批判した」

※きのうのこの欄で、安次富さんの言葉の引用中、「緊張関係」としたのは「緊張緩和」の打ち間違いでした。ごめんなさい。


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映画「旅立ちの島唄~十五の春~」・・・離島の貧困

2013年04月17日 | 日記・エッセイ・コラム

TabidatiposutaYosidakantoku 映画「旅立ちの島唄~十五の春~」の初の公式上映会が16日夜那覇市内でありました。吉田康弘監督(右の写真の左側)ほか、主演の三吉彩花さん、小林薫さんらの舞台挨拶、映画のモデルになった南大東島の民謡グループ・ボロジノ娘、さらに映画の主題歌を作詞・作曲・歌うBEGINのミニライブと盛りだくさんの内容。ほぼ満席の会場は何度も大きな拍手に包まれました(写真撮影がマスコミに限られたのは不満です)。
 高校がない離島から本島へ旅立つ「十五の春」の別れについては、先日沖縄タイムスの記者たちによるシンポで知っていましたが、その現実がドラマとなって印象深く迫ってきました。ヤマトンチュウの若い吉田監督がこの映画を撮ろうと思ったのは、あるドキュメント映像がきっかけとか。「晴ればかりではない曇り空の沖縄も伝えたかった」と言います。タイトルの島唄は「アバヨー」といって、ボロジノ娘が卒業時に歌うのが恒例で、本島へ向けて船が出るときにも流れます。村役場の職員が、島と親への感謝を忘れずに希望と夢をもって旅立ってほしいという願いを込めて作った唄です。主人公が「アバヨー」を歌うラストは感動的でした。本島への高校進学をきっかけに家族がばらばらになり、やがて離婚へ。そんな「曇り空」の中でも「家族愛」を守ろうとする姿は、沖縄に限らない問題として、共感を誘います。
 ただ、沖縄の「家族の別れ」は、はっきりと貧困と切り離せません。とくに南大東島の場合は、サトウキビの生産が生命です。映画にもTPPに反対する組合の会合のシーンがありますが、その生命線が絶たれようとしている現実、離島であるがゆえに苦境に置かれ続けている島の人々の怒りはもっと鋭く描いてほしかった。「離婚」「家族崩壊」の背景には貧困があり、「家族愛」はその貧困とたたかう中で本物になっていくと思うからです。

<今日の注目記事>(「琉球新報」17日付から)

 ☆<普天間所属ヘリ炎上 韓国北部・着陸失敗 沖国大墜落機と同種>(1面)
 「韓国北部の北朝鮮との軍事境界線に近い江原鉄道原郡の射撃訓練場で16日午後、米軍普天間基地所属のCH53E大型ヘリコプターが着陸に失敗し、炎上した。・・・同機は1999年4月19日に国頭村安波沖で墜落事故を起こし、乗組員4人が死亡。2004年に沖縄国際大学に墜落したCH53Dヘリと同機種で、普天間飛行場に4機配備されている」
 <「危険性浮き彫り」 米軍ヘリ炎上 市民ら普天間撤去訴え>(社会面)
 「激しい衝撃を物語る散乱した部品、黒焦げになり原形をとどめない残骸・・・普天間飛行場に隣接する野嵩1区自治会の新城嘉隆自治会長は『(ヘリが)落ちた場所が、ここか韓国かの違いだけだ』と話し、常駐機の事故だけに対岸の火事では済まされないと受け止める。・・・ヘリ基地反対の安次富浩共同代表は『在沖米軍のヘリが緊張関係にある場所にわざわざ行って訓練していることは、沖縄が戦場に直結していることの表れだ。普天間基地を閉鎖し、新基地を造らせないことこそがアジアの緊張緩和になる』と主張した」


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清明祭(シーミー)と普天間基地

2013年04月16日 | 日記・エッセイ・コラム

SmiFutenma 沖縄(とくに那覇など本島中南部)では今月4日から清明祭(シーミー)のシーズンに入り、週末などはお墓の前に多くの人が集まっている姿が見られます(写真左=沖縄タイムスから)。スーパーには供物の特設コーナーが設けられています。
 シーミーは18世紀後半に中国から伝わった二十四節気の一つで、明治以降庶民に広がりました。日本では沖縄だけにある風習です。日頃会わない親戚もこの日には集まり、みんなでお墓に参り、墓前(あるいは近くの公園)で料理(その内容も詳しく決められています。用意する長男の嫁は大変だと友人が言っていました)をいただきながら語らうもの。お墓参りとピクニックが一緒になったもので、先祖への供養とともに、家族、一族の絆を確かめ合う大切な年中行事です。
 そんなシーミーにも暗い影がさします。普天間飛行場(写真右)でのシーミーです。米軍によって強制的に市街地の土地を取り上げられ造られた普天間基地。そのために基地内に一部のお墓が残されました。米軍は年に1度、シーミーのために子孫が基地に入りおまいりすることを「許可」します。それが今年は14日でした。雨の中、関係者は複雑な思いで墓参しました。先祖・命の大切さをかみしめる風習・伝統と軍事基地。なんという皮肉な取り合わせでしょう。
 自分たちの土地・墓を奪われ、米軍の「許可」がなければ墓参りもできない。沖縄の屈辱的姿を象徴しています。先祖を大切にする沖縄の人々にとってはなおさらでしょう。先祖をしのび、命のつながりを考え、家族の絆を実感するシーミーは、沖縄の子どもたちにとっては大切な教育の場でもあります。子どもたちのためにも、軍事基地の中に墓がある「異常な日常」を一日も早くなくさなければなりません。

<今日の注目記事>(「琉球新報」16日付から)

 安倍内閣の教育再生実行委員会が15日、教育長に権限を集中し、その教育長を自治体の首長が任免する提言を行ったことは、琉球新報、沖縄タイムスとも1面トップで報じ、中の面で関連記事を載せています。その中から琉球新報社会面の記事を。
 ☆<教育改革提言 「民主主義否定だ」 識者・関係者 国介入強化に危機感>
 「・・・県教育委員会の新垣和歌子委員長は『今までの合議制の下、政治的中立を保ってきた。合議制でなくなった場合、民主主義が崩れてしまうないかと危惧している』と危機感を募らせた。佐久間正琉大教授(教育行政学)は『戦後、これだけ国の意向がより強力になる提言はなかった。地方教育行政法の理念にある政治的中立性を根底から覆す提言だ・・・』と指摘した。自治体に法令違反があった場合、国が是正を指示できるとの提言については、八重山教科書問題を念頭に『政府が推す教科書を広める地ならしではないか』と警戒した。『子どもと教科書全国ネット21』の俵義文事務局長は『明らかに国による地方教育行政の支配、介入の強化だ。戦前と同じように国が教育をを完全に支配しようとしている。戦後民主主義の否定だ』と語気を強めた」


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「4・28」と「子どもの貧困」

2013年04月15日 | インポート

Kuzutetu_2Yamautiyuuko_2 「地域から『医・食・住・環境』の再生をめざすシンポジウム」が14日ありました(南風原町中央公民館)。沖縄民医連の呼びかけでJA沖縄、沖縄県医師会、沖縄医療生協が共催。分野を超えて沖縄の現実を見つめ将来を展望しようという企画です。
 特に私が衝撃を受けたのは山内優子さん(沖縄大非常勤講師、沖縄の子どもを貧困から守る連絡協議会共同代表=写真右)の報告でした。「異民族支配27年の空白」。1945年の敗戦から「祖国復帰」の1972年までの27年間、沖縄がアメリカ軍の支配下に置かれたことで、子どもの福祉は決定的に遅れました。本土では47年に児童福祉法が制定されたのに対し、沖縄は6年遅れの53年。60年代はじめまでに本土では保育所が約1万、母子寮が862個所設置されましたが、沖縄はゼロ。54年に沖縄にも児童相談所ができましたが、当初から窃盗、スリ、忍び込みなどの「非行」、棄(す)て児、家出などの対応に追われました。山内さんが示した左の写真は、「陸の潮干狩り」といわれた親の屑鉄拾いに子どもが連れていかれている様子です(56年)。勉強どころではありません。沖縄は離婚率が最も高いのですが、理由の第1位は「夫の生活力なし」、第2位も「夫の借金」。貧困のためです。離婚が多いということは母子世帯(貧困率66%)が多い、子どもの貧困が多いということ。にもかかわらず母子寮はわずか3カ所、子どもが無料で遊べる児童館もやっと67カ所(必要個所277)。過去ではなく現在の数字です。加えて沖縄の子どもたちは、米軍によるさまざまな犯罪・事故の犠牲になり続けています。それなのに「沖縄振興施策」の中でも子どもたちはずっと置き去りにされてきました。山内さんたちの運動で施策に位置付けられたのはやっと昨年のこと。山内さんは、「子どもは声を出せない。大人が必要な施策を訴えなければ」と力を込めました。
 まさに沖縄の虐げられた歴史、大人・社会の貧困が、もっとも悲惨な形で投影されているのが沖縄の子どもたちの貧困、そして「低学力」、「非行」です。
 「4・28」は沖縄にとって「屈辱の日」です。それは本土から切り離されて米軍の支配下に置かれたという抽象的な意味ではなく、今に続く子どもたちの具体的な差別的状況・苦難が始まった日、「沖縄の子どもが棄てられた日」、だと思い知らされました。

<今日の注目記事>(「沖縄タイムス」15日付社説から)

 ☆<検証4・28 政府式典と天皇  政治利用の疑いが強い>
「サンフランシスコ講和条約が発効した4月28日に、政府主催で開かれる『主権回復・国際社会復帰を記念する式典』には、根本的な疑問がつきまとう。はっきり言ってこの式典は政府主催の行事にはなじまない。安倍政権は自らの勇み足を認め、政府式典を取りやめたほうがいい。そもそも天皇・皇后両陛下は、式典出席を望んでいるのだろうか。あえて推測すれば、とてもそのようには思えない。・・・式典への出席は、政治利用の疑いが濃厚だ。安倍政権から式典出席を要請され、『国民統合の象徴』である天皇は、あっちたてればこっちたたず、の状況に追い込まれる。今回の式典開催は、自分の歴史認識を強硬に押し通そうとする安倍晋三首相の『イデオロギー過多政治』の典型である」
 天皇の政治利用は今回だけではありませんが、式典への天皇出席は、「沖縄と天皇制」の歴史に新たな1ページを加えることになります。


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「地域と共に育つ教育」と沖縄の可能性

2013年04月14日 | 日記・エッセイ・コラム

SinpokatouSinpoai 「地域」って何だろう?「地域と共に育つ教育」とは?
 そんな問題を考えさせられる講演とシンポジウムが13日与那原社会福祉センターでありました。講演は加藤彰彦(沖縄大学学長、写真左)。シンポはほかに長堂登志子(沖縄県民間教育研究所所長)、龍野愛(子どもを守る会おきなわ)、梶村光郎(沖縄大教授・コーディネーター)の各氏。
 加藤さんは、「児(子)やらい」(子どもを突き放す)や「模倣」という子育て・子育ちの原理があり、かつてはそれを受け止める地域が子どもを育てる場として機能していたが、それが崩壊してきていること。でも沖縄・与那原には素晴らしい伝統や可能性があることを『与那原町史』なども踏まえて力説しました。シンポで、長堂さんは学校教育の体験から親と教師、親同士のコミュニケーションが決定的に重要なこと。龍野さんは横浜から移住して沖縄(与那原)に残る地域との育ちあいを実感していることなどを報告。会場からは、子供の居場所が失われている現実、子どもの育ちの場であるべき自然を守りたい、大人が子どもと一緒に地域の伝統文化を継承していくことが大切、などの発言がありました。
 「地域崩壊」とはよく聞くことですが、沖縄にはまだまだ地域の伝統・教育の力が残っています。それをなくしてはいけない。そして子どもだけでなく大人も一緒に地域の自然や伝統や文化の中で育ち合わねばならない。沖縄はその可能性に満ちている。そう感じさせられたシンポでした。
 同時に、私の中に常にある問題意識もあらためて大きくなりました。それは、そんな沖縄の地域社会の中で、「ヤマトンチュウ(本土からの移住者)はどう受け止められるのか。どう生きていけばいいのか」です。ちなみに、シンポジストの4人はみなさんヤマトンチュウです。みなさんと共に考え続けていきたいと思います。

<今日の注目記事>(「沖縄タイムス」14日付1面トップから)

 ☆<知事出席は19都県 4・28式典 関心の低さ明白 本紙アンケート>
 「サンフランシスコ講和条約発効から61年となる4月28日に政府主催で開かれる『主権回復の日』の記念式典について、沖縄県を除く46都道府県知事のうち、本人が主席するのは19人にとどまることが沖縄タイムスが実施した緊急アンケートで分かった。別公務を理由に『代理出席』と答えた知事も同数の19人で、その半数以上は東京事務所長を充てるとしている。知事の出席が過半数を割り込むなど、安倍晋三政権の式典への意気込みとは裏腹に、全国的には関心が低いことが明らかになった」
 この結果は同時に、肝心の沖縄の仲井真知事がわざわざ副知事を代理出席させようとしていることの理不尽さも浮き彫りにしています。


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日本最初の「憲法九条の碑」が語るもの

2013年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム

KyuujyouhohiKenpoutetyou いつも通っている県立図書館の向かいは桜で有名な与儀公園です。ここに「憲法九条の碑」(写真左)があることを、恥ずかしながら、つい先日知りました。日本で最初の「九条の碑」だそうです。
 建立は1985年5月3日。親泊康晴那覇市長(当時)の就任最初の事業です。琉球政府公務員だった親泊市長は政治的には「中庸」と思われがちでしたが、政治信条の中心に日本国憲法をすえていました。それを内外に示すための碑でした。
 さらに親泊市長のこの快挙の背景には、前任の平良良松市長の信念と偉業がありました。平良市長は沖縄が「祖国復帰」する前から、つまり日本国憲法が沖縄に適用される前から憲法を基礎においた行政を展開。72年5月15日の「復帰」に際し沖縄県憲法普及協議会を結成、「憲法手帳」(写真右)を発行して県民に広めました。その中で平良市長は「憲法が形がい化されている」状況を強く憂いながら、こう記しています。
 「私たちは、これに対し、反戦平和、県民福祉、市民生活の細部と結びついた憲法精神を対置して、憲法の命をよみがえらせなければならない。つまり、憲法の初原の命を、本土へさしむけるのである。五月一五日は、その第一歩をしるす日である。私は、那覇市民とともに、憲法を守り、憲法を実践するための、新たな『復帰運動』をこの憲法手帳をかざして開始する」
 安倍内閣が「4・28式典」を強行しようとしている今、平良さんの言葉が、強く深く胸に響いてきます。
 「復帰」の日、「沖縄処分抗議、佐藤内閣打倒、五・一五県民総決起大会」が雨の中、開催されました。その会場が、与儀公園でした。

<今日の注目記事>(「沖縄タイムス」13日付2面から)

 ☆<副知事欠席 県に要請  4・28式典で野党会派>
 「県議会の野党4会派は12日、サンフランシスコ講和条約が発効した4月28日を『主権回復の日』として政府が主催する式典をめぐり、高良倉吉副知事の出席を見合わせるよう又吉進知事公室長に要請した。又吉公室長は『4・28を喜べる日ではないというのは(県も)共通認識。ただ、日本の一県として沖縄問題を含め国の問題を解決しようという姿勢は、欠席の形では表現できない』と説明し理解を求めた。・・・奥平一夫氏(県民ネット)は『副知事出席という手法はごまかし。抗議の意味で出席しない判断をしてほしい』と訴えた。渡久地修氏(共産)は『副知事でも沖縄の代表として出席する。県民感情への配慮を欠いている』と批判」
 仲井真県政はいま、岐路に立っています。


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「原発避難者」と「避難地・沖縄」

2013年04月12日 | 日記・エッセイ・コラム

KenritutosyoFukusimasinbun 毎日のように通っている県立図書館(那覇市寄宮)に10日からうれしいコーナーが新設されました。「避難者支援情報コーナー」です。
 福島県の「福島民報」と「福島民友」の2つの県紙が閲覧できるほか、福島県避難者支援課が発行する「ふくしまの今が分かる新聞」を自由に持ち帰ることができます。「原発問題」「復興」「震災の記録」「災害に備える」の4つの棚には約150冊の関連本が置かれています。県紙の閲覧は福島県の「ふるさとふくしま帰還支援事業」の一環で、県内9施設で今年度いっぱい行われます。避難者と沖縄の人に福島の情報を伝えるとともに、避難者にこころのやすらぎを、という趣旨です。新聞は週2回まとめて送られてくるので少し遅れるのは残念ですが、とても素晴らしい企画です。
 沖縄には現在福島から約600人、他県も含め約1000人の原発避難者がいます。受け入れる沖縄側は、県立図書館も含め、どうすれば避難者を支援することができるか考え続けています。ともに「国策の犠牲」となっている住民同士の共感を感じます。
 でも、現実はきれいごとだけではありません。先日ある小さな集会(参加者は私以外は皆ウチナーンチュウ)に参加した時のことです。1人の女性が発言しました。「福島から避難してきている人にどう対処していいか、ずっと考えている」。ほかの人も同調しました。戸惑い、さらには嫌悪さえ感じているようでした。私にはその意味が分からず、「どういうことでしょうか?」と質問しました。答えは「あなた(ヤマトンチュウ)とは立場が違います」の一言でした。とてもショックでした。
 この時のみなさんの真意は今も私には分かりません。ただ、原発避難者を受け入れている避難地・沖縄の人々の感情は一様ではない、ということだけは分かります。そしてこの違和感は、私にも突き付けられているものだということも。

<今日の注目記事>(「沖縄タイムス」12日付1面トップから)

 ☆<「辺野古反対」75% 普天間移設反発増す 「全面撤去」が「縮小」抜く
    本紙・QAB調査>
 「日米両政府が米軍普天間飛行場の移設条件付きで全面返還に合意してから12日で17年を迎えるに当たり、沖縄タイムス社と琉球朝日放送(QAB)は全県で世論調査を行った。・・・名護市辺野古移設について『反対』が74・7%に達した。『賛成』は15・0%で、『どちらとも言えない』は10・3%だった。安倍政権は辺野古移設に向けて3月に埋め立て承認申請を県に提出したが、県民の根強い反発感情があらためて浮き彫りになった。・・・沖縄の米軍基地の在り方について『全面的に撤去する』が49・3%で最も多く、『縮小する』39・3%、『今のままで良い』6・4%、『わからない』5・1%と続いた。昨年4月の調査では『縮小する』49%、『全面的に撤去する』37%だったが、今回は『撤去』が『縮小』を上回った」
 ウチナーンチュウとヤマトンチュウの意識の差は開くばかりです。


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広がる「監視社会」・・・国際通りに”異変”

2013年04月11日 | 日記・エッセイ・コラム

Kansikamera 4月からいろいろなものが変わりましたが、沖縄観光の中心・那覇市国際通りにも”異変”が起きています。
 約1.6㌔の通りに8カ所16台の「防犯カメラ」が設置されたのです(写真は三越の近くに設置されたカメラ)。商店街振興組合と警察、那覇市3者の協定によるもので、設置費用の9割、約968万円は市が一括交付金から助成しました。「観光客に安心して観光してもらうため」だといいます。この限りでは誰も異論ははさみにくいでしょう。実際、街には「防犯カメラ」があふれ、テレビや映画の刑事ドラマでは「カメラ」が犯人逮捕の決め手になるうシーンが繰り返され、「カメラ」のある社会に馴らされてきています。
 でも、街頭の「カメラ」は「防犯」という名の「国民監視カメラ」です。憲法が保障している国民・市民のプライバシーは警察=国家権力に筒抜けになり、常に監視される社会をつくるものです。
 今国会では安倍内閣が「共通番号制度法案」を成立させようとしています。「便利さ」を口実に導入しようとしているこの法案が通ると、市民の個人情報はすべて国家に握られ、やがて「秘密保全法」と一体となり、国家が国民を完全に管理・支配する社会が出来上がります。それはまさに「戦時国家体制」です。沖縄では去る6日、「住基ネットに反対する市民ネットワーク沖縄」の主催でその危険性を学び、反対する集会が行われました。
 同ネットはこれまでも北谷やコザに「防犯カメラ」が設置されることに対し、それが米軍などの犯罪防止にはならないことを示しながら反対してきました。今回の国際通りへの「カメラ」設置について島袋一弘事務局長は、「悪いことをしなければ関係ないという人がいるが、『悪いこと』かどうかを決めるのは警察。共通番号制度とマッチングして国民を丸裸にし、一元管理しようとするものだ」と指摘します。
 安倍内閣によって憲法「改正」の動きが急になっているいま、憲法が保障するわたしたち国民・市民の権利が国家に侵害されることに、もっと敏感にならなければ、と痛感します。

<今日の注目記事>(いずれも11日付から)

 ☆<4・28式典 「出席拒否すべきだ」 副知事代理に疑問の声>(「琉球新報」社会面)
 「政府が28日に開催する『主権回復の日』式典に高良倉吉副知事が参加することに対し、県内からは『出席は拒否すべきだ』『代理出席なら知事が参加するのと同じ』などと、批判の声が上がっている。・・・県女性団体連絡協議会会長の伊志嶺雅子さんは『代わりに副知事が主席するなら、知事が出席するのと同じ。県民が怒っている、という意思を示すことにならない』と疑問視する」
 知事の欠席は全国紙も報じています(琉球新報、沖縄タイムスとも1面トップ)が、「代理出席」はまさに妥協の産物。揺れる仲井真知事、沖縄保守政界の姿を浮き彫りにしていますが、県民の多くは怒っています。

 ☆<性被害相談1カ月50件 県まとめ 「72時間以内に電話」4件 支援センター高い必要性>(「沖縄タイムス」1面)
 「県が昨年11月に1カ月間実施した性暴力被害届への無料相談の詳細がまとまり、性暴力被害相談50件中レイプ被害が15件、被害を受けて『72時間以内』に電話をかけてきたケースが4件あったことが10日、分かった。『72時間以内』なら緊急的に避妊対策をとることが可能で、こうした被害者を24時間体制で受け止め、被害者と医療機関を直ちにつなぐ『ワンストップ支援センター』の必要性をあらためて浮き彫りにした」
 被害の多さに驚きますが、これでも氷山の一角でしょう。「ワンストップ支援センター」を沖縄にも、という要望は強いのですが、県は当事者の声を聞こうとせず、事態は進行していません。


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