アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

闘い続ける人たち・・・法廷で戦争体験

2013年04月25日 | 日記・エッセイ・コラム

HakanomaeNozatosan 沖縄戦が始まって(1945・3・25米軍が慶良間諸島に上陸)68年以上がたった今も、戦争被害者が高齢の身を押して法廷に出向き、苦しい体験を語らねばならないとは。
 沖縄戦の被害者・遺族が国に謝罪と賠償を求めている「沖縄戦」被害・謝罪と国家賠償訴訟(命どぅ宝裁判)で、原告の意見陳述が24日那覇地裁で行われました。陳述したのは原告団長の野里千恵子さん(76=右の写真の左側)、比嘉千代子さん(79=同右側)、神谷洋子さん(75)の3人。みなさん体調がよくない中、懸命に訴えました。(左の写真は沖縄戦当時墓の前に置き去りにされた子どもたち=『沖縄戦のはなし』安仁屋政昭著から)
 比嘉さんは家族とともに防空壕に避難しましたが、日本兵から「ここは俺たちの場所だ」と追い出され、昼夜を分かたずさまよい、やっと小さな壕へ。そこを米兵に見つかって手榴弾を投げ込まれ、姉とその子は即死、父母も重傷。「他国へは多額の援助をしながら戦争被害者には68年間何の謝罪も補償もしない日本とはなんという国でしょう。人生最後の思いを理解してください」
 神谷さんは壕の中で負傷。独りさまよい、のどが渇いて飲んだのは人の血。それにも気づかないほどの極限状態でした。戦後農家の養女になりましたが農作業を手伝わねば学校にも行かせてもらえず、学校では「みなし児」といじめられました。「戦争ほど残酷なものはありません。原告団に加わりたくても、印紙代が払えずに断念した人もいます。どうか(賠償を)実現してください」。裁判官と被告(国側)に深々と頭を下げました。
 野里さんは那覇大空襲(44・10・10)で祖母を亡くし、その補償を求め続けて果たせなかった母の思いを継いで原告団長に。今も夜物音で「戦争だ」と言って飛び起きる被害者、傷のため暑い沖縄でも長袖が手放せず「私に青春はなかった」という女性被害者らの声を代弁しながら、沖縄を「捨て石」にして戦争を遂行した国の責任を追及。「国はいまだに沖縄戦被害の全容を調査さえしていない」「軍人・軍属には補償しながら民間の被害者には(一部を除き)なんの謝罪も補償もない。日本は命にも不公平がまかり通っている国です」
 平均年齢78歳。最高齢92歳。現在63人の原告団はいまも増え続けています。残された時間は長くありません。

<今日の驚くべき記事>(琉球新報25日付1面、社会面トップから)

 ☆<准教授除外を要求 石垣市教委 琉大との協定業務>(1面)
 「琉球大学教育学部と教育活動支援の協定を締結している石垣市教育委員会の玉津博克教育長が、同大教育学部に対し、『市教委との信頼を損ねる活動を行う関係者を協定事業の業務から外していただきたい』と要求し、事実上、八重山教科書問題をめぐり新聞紙上などで自身の見解を示してきた山口剛史准教授を外すよう求めていたことが24日、琉球新報の取材で分かった。玉津教育長らが17日、井上講四教育学部長を訪ね、趣旨を伝える文書を手渡した」

 ☆<「該当人物なし」 准教授除外要求 琉大教育学部 石垣教委に回答へ>(社会面)
「・・・24日同大で開かれた教育学部の教授会は『市教委が指摘する(信頼関係を損ねる活動を行う)ような人物はいない』などとする回答案を確認。有識者からは『思想・信条の自由を侵している』との批判の声が上がった。・・・井上学部長は『個人の思想、信条や行動は協定とは別だということが教授会の合意と判断できる』と述べた。・・・山口准教授は『私自身の学問、研究、表現の自由と、協定という枠の中で子どもたちのために実践している授業を分けて捉えてくれないのは残念だ』とコメントした」「沖縄人権協会事務局長・永吉盛元弁護士の話 石垣市教育委員会のやっていることは、個人の人権や思想・信条の自由に踏み込み、侵すもので明らかに間違っている。・・・こんなことが通れば、教育委員会の思想に賛成する者が『いい教師』ということになってしまう。・・・教育の場から、このような動きが出てくるのは、非常に怖い風潮だ」

 竹富町の自主的教科書選択に圧力をかけて歴史見直し教科書を押し付けようとした石垣市のこの暴挙。安倍政権が教育長・首長の権限強化を図ろうとしていることと合わせ、ほんとうに怖い動きです。石垣市は安倍政権の教育反動の先兵になろうとしています。


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