アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日本最初の「憲法九条の碑」が語るもの

2013年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム

KyuujyouhohiKenpoutetyou いつも通っている県立図書館の向かいは桜で有名な与儀公園です。ここに「憲法九条の碑」(写真左)があることを、恥ずかしながら、つい先日知りました。日本で最初の「九条の碑」だそうです。
 建立は1985年5月3日。親泊康晴那覇市長(当時)の就任最初の事業です。琉球政府公務員だった親泊市長は政治的には「中庸」と思われがちでしたが、政治信条の中心に日本国憲法をすえていました。それを内外に示すための碑でした。
 さらに親泊市長のこの快挙の背景には、前任の平良良松市長の信念と偉業がありました。平良市長は沖縄が「祖国復帰」する前から、つまり日本国憲法が沖縄に適用される前から憲法を基礎においた行政を展開。72年5月15日の「復帰」に際し沖縄県憲法普及協議会を結成、「憲法手帳」(写真右)を発行して県民に広めました。その中で平良市長は「憲法が形がい化されている」状況を強く憂いながら、こう記しています。
 「私たちは、これに対し、反戦平和、県民福祉、市民生活の細部と結びついた憲法精神を対置して、憲法の命をよみがえらせなければならない。つまり、憲法の初原の命を、本土へさしむけるのである。五月一五日は、その第一歩をしるす日である。私は、那覇市民とともに、憲法を守り、憲法を実践するための、新たな『復帰運動』をこの憲法手帳をかざして開始する」
 安倍内閣が「4・28式典」を強行しようとしている今、平良さんの言葉が、強く深く胸に響いてきます。
 「復帰」の日、「沖縄処分抗議、佐藤内閣打倒、五・一五県民総決起大会」が雨の中、開催されました。その会場が、与儀公園でした。

<今日の注目記事>(「沖縄タイムス」13日付2面から)

 ☆<副知事欠席 県に要請  4・28式典で野党会派>
 「県議会の野党4会派は12日、サンフランシスコ講和条約が発効した4月28日を『主権回復の日』として政府が主催する式典をめぐり、高良倉吉副知事の出席を見合わせるよう又吉進知事公室長に要請した。又吉公室長は『4・28を喜べる日ではないというのは(県も)共通認識。ただ、日本の一県として沖縄問題を含め国の問題を解決しようという姿勢は、欠席の形では表現できない』と説明し理解を求めた。・・・奥平一夫氏(県民ネット)は『副知事出席という手法はごまかし。抗議の意味で出席しない判断をしてほしい』と訴えた。渡久地修氏(共産)は『副知事でも沖縄の代表として出席する。県民感情への配慮を欠いている』と批判」
 仲井真県政はいま、岐路に立っています。


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