「休戦協定」調印(1953年7月27日)から70年の今夏、朝鮮戦争(1950・6・25~)をテーマにした市民団体主催の講演会・シンポジウムが京都市内でもいくつか行われました。
そこでの共通した特徴は、「朝鮮戦争と日本の関係」について追究することの必要性が強調されたことです。
これまで、日本は朝鮮戦争でアメリカ(「国連軍」)の後方支援基地となったことや、「朝鮮戦争特需」による経済復興が知られていましたが、それだけではなく、日本が直接参戦したことがクローズアップされました。
藤目ゆき・大阪大学大学院教授は、「日本人にとって、女性にとって朝鮮戦争とはなんだったのか」と題した講演で、1950年10月、日本は元山(ウォンサン、平壌東方)湾沖の機雷掃海作戦にあたり、特別掃海隊員の中谷坂太郎氏が戦死したことに言及。「掃海作戦は「国際貢献」の先駆例として美化された。日本は朝鮮戦争のエスカレーションを支えた」と指摘しました(7月26日、「朝鮮戦争停戦協定70周年記念シンポジウム」、写真左)。
康宗憲(カン・ジョンホン)・韓国問題研究所代表も、「朝鮮戦争は、なぜ終結しないのか」と題した講演で、「ウォンサン機雷掃海作戦で日本は直接参戦した。公表されていないだけだ」と指摘し、日米・韓米軍事同盟の問題を追及しました(6日「平和のための京都の戦争展」、写真中)。
「元山機雷掃海作戦」に加わった海上保安庁は後に、参戦は秘密裏に行われ、25隻、延べ1200人が投入されたと公表しました(1日付沖縄タイムス=共同)。「米軍の海上輸送に関わった日本人は数千人に達するとの推定も」(同)あります。
こうした事実を知る日本人は多くありませんが、実はかなり以前から識者によって指摘されてきました。たとえば、ガバン・マコーマック・オーストラリア国立大学名誉教授は、1990年発行の『侵略の舞台裏 朝鮮戦争の真実』(シアレヒム社発行・影書房発売)の「日本語への序」で、「朝鮮戦争と日本の関係」として次の7点を指摘しています。
①朝鮮の分断・対立・戦争の根源的理由は日本帝国主義の植民地支配である。
②アメリカの日本占領が比較的寛大であったのに比べ、朝鮮は過酷だった。侵略の犠牲者である朝鮮は分断され、侵略を犯した日本は分断を免れた。
③日本は直接的に重要な軍事的役割を果たした。供給、通信、兵站の中心地だったのみならず、帝国海軍将校たちは機雷特別掃海隊の指揮にあたった。この軍事行動は日本が自発的に行ったもので、その狙いはアメリカと有利な平和条約を締結することだった。それはサンフランシスコ講和条約・日米安保条約(1951年)に大きな影響を与えた。
④戦後日本の経済復興とその後の経済成長の土台が「朝鮮戦争特需」だった。日産、トヨタ、いすずその他のグループはすべて朝鮮戦争で成長した企業である。
⑤日本は朝鮮戦争を絶好の機会として在日朝鮮人に対する差別を強化した。
⑥アメリカが朝鮮に対し実験したと思われる細菌戦に日本が寄与した疑惑がある。
⑦日本人は、少数の例外を別にすれば、隣国の朝鮮人が蒙った心の傷に対して無関心でありつづけた。
(前掲書から要約。写真右の左がマコーマック氏。その右はジャーナリストの乗松聡子氏=2013年5月、沖縄国際大学)
藤目氏は、「朝鮮戦争の実態を知れば知るほど、現在の日本の議論、たとえば北朝鮮非難のおかしさがよく分かる。朝鮮戦争の歴史を学び、知ることを平和運動の柱にする必要がある」と提起しました。
マコーマック氏は前掲書でこう述べています。
「大部分の日本人にとって、朝鮮戦争という隣人の悲劇は高度成長の春霞の中では見えにくいものであった。いつの日か日本はこの時代になしえたこと、なさなかったことについて決着をつけるべき日がくるだろう」
その決着はまだつけていません。それどころか霞は濃霧となり前が見えなくなっているように思われます。朝鮮戦争の歴史を学び、現在とこれからの日本人の生き方に生かすことは、私たちの大きな宿題です。