アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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ヘイトスピーチを「公益目的」と追認した大阪高裁の不当判決

2020年09月15日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

    
 日本の司法にとって社会にとって、きわめて重大な不当判決が、14日大阪高裁(長井秀典裁判長)でありました(写真左)。
 明らかなウソで朝鮮学校・在日コリアンの人権を踏みにじったヘイトスピーチを「公益目的」とした1審判決(2019年11月29日、京都地裁)を維持したのです。

 発端は「在特会」らによる京都朝鮮学校襲撃事件(2009年12月)。主犯格の元在特会京都支部長・西村斉被告は侮辱罪・威力業務妨害罪・器物損壊罪で有罪判決(2011年4月)を受け、刑が確定しました。

 ところが西村は性懲りもなく、出所間もない2017年4月23日、再び京都朝鮮第1初級学校(移転して跡地)を訪れ、近くの公園で拡声器を用い、「ここに日本人を拉致した朝鮮学校があった」「その朝鮮学校の校長は国際指名手配されている」などとヘイトスピーチを繰り返し、ネットで拡散しました(写真中)。

 これに対し京都朝鮮学園側弁護団が告訴し、京都地検が名誉棄損罪で在宅起訴。2019年11月29日、京都地裁(柴山智裁判長)は名誉棄損で有罪判決を下しました。ところが判決は、西村のヘイトスピーチを「拉致問題の事実関係を明らかにする公益目的があった」などとし、懲役1年6月の求刑に対し罰金(50万円)という軽微な刑にとどめたのです。

 弁護団は「ヘイトスピーチに公益目的があると断言した最悪の判決」「差別を司法が許してしまっている現状が、現場でのヘイトスピーチを助長している」と厳しく批判。検察に控訴を求めましたが見送られ、西村被告が有罪判決を不服としてたことで控訴審となりました。その判決が昨日(9月14日)の大阪高裁判決です。

 高裁判決は西村被告の控訴を棄却しました。しかし、一審判決がヘイトスピーチを「公益目的」としたことについては判断を示さず、結果として不当な地裁判決を維持・追認してしまったのです。

 控訴審初公判(今年7月13日。即日結審)後に行われた報告集会で、弁護団の具良鈺弁護士はこう述べました。

 「私が小さい頃も差別事件があったし、私自身も経験した。当時は“こそこそ”という印象だったが、今はもう堂々と組織を作り、人を動員して差別をしている。しかも裁判所という判断権者の前でそれを垂れ流しても許されてしまう社会になってしまった。
 非常に日本社会に対する危機感を持ったし、在日コリアンとして日本社会で生きていくことに絶望を感じた。私たちの子どもの世代は、そのような社会で生きていかなければならない

 在日コリアンであり子どもという、2重の弱者性を持つ存在への差別は、これまでも日本社会における差別の最先端だった。在日コリアンの子どもたちに向かった攻撃は、次に在日コリアン全体、次第に他の外国人や障害のある人、性的マイノリティなど、どんどん波及する恐れを持っている。この事件を扱う裁判は、それを防ぐことができるかどうかの分岐点だと思う」(月刊「イオ」ニュース、9月11日。写真右も)

 大阪高裁は「それを防ぐこと」ができませんでした。
 ヘイトスピーチを「公益目的」とした最悪の京都地裁判決を踏襲した最悪の大阪高裁判決。日本の司法の自殺行為と言わねばなりません。

 もちろん、これは被害を受けている在日コリアンだけの問題ではありません。差別を差別として断罪することができない日本。それどころか「公益目的」として黙認する日本。このような日本の司法、社会を絶対に許してはなりません。これは私たち日本人一人ひとりの問題です。

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