アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

朝鮮戦争と天皇・裕仁

2018年07月26日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

     

 明日7月27日は朝鮮戦争の休戦協定(1953年)から65年です。朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)とアメリカの歴史的な首脳会談(6月12日)で朝鮮戦争を早期に終結させることが合意されました。トランプ大統領は会談後の記者会見で、「朝鮮戦争は間もなく終結するとの期待を持っている」(6月13日付共同配信)と述べました。この動きを確実に進めることが必要です。

  ところが日本の安倍政権は、朝鮮戦争はまるでひとごとのように傍観しています。しかし、日本・日本人にとって朝鮮戦争は、ひとごとどころか直接大きな関りがあります。

 第1に、そもそも朝鮮半島の分断は帝国日本の侵略・植民地支配が歴史的根源。第2に、開戦時韓国の李承晩政権には日本植民地時代の官僚が多かった。第3に、戦争では沖縄をはじめ日本の米軍基地は主要な出撃・後方基地となった。第4に、旧帝国軍人はじめ日本人が機雷除去などに直接参戦した。第5に、日本の大企業は「朝鮮戦争特需」で今日の礎を築いた。第6に、アメリカの傀儡軍である「国連軍」の後方指揮所は今も横田基地にある。

  こうした事実に加え、もう1つ、日本人として絶対に見過ごせないことがあります。それは天皇裕仁(昭和天皇)と朝鮮戦争の深い関係です。

  裕仁天皇は、沖縄をアメリカに売り渡す「沖縄メッセージ」(1947年9月19日)を皮切りに、アメリカのダレス国務省特別顧問などにたびたび「メッセージ」を送ったほか、マッカーサー連合軍最高司令官とも11回直接会談しました。
 この中で、日米安保条約を締結して日本を米軍の基地にする(「全土基地方式」)ことと引き換えに、「国体」すなわち天皇制維持を図ってきました(吉田裕著『昭和天皇の終戦史』、豊下楢彦著『安保条約の成立』など参照)。政府頭越しのこうした「天皇外交」が天皇の政治関与を禁じた日本国憲法に違反していることは明白です。

  見落とせないのは、裕仁天皇のアメリカ依存・安保条約(日米軍事同盟)切望に朝鮮戦争が深くかかわっていたことです。

  朝鮮戦争勃発(1950年6月25日)の7カ月前(1949年11月26日)に、裕仁天皇はマッカーサーと9回目の会談を行いました。主なテーマは「全面講和」か「単独講和」か。早く講和条約を締結したいというマッカーサーに対し、裕仁はこう言いました。「ソ連による共産主義思想の浸透と朝鮮に対する侵略等がありますと国民が甚だしく動揺するが如き事態となることを懼(おそ)れます」(豊下楢彦氏『昭和天皇・マッカーサー会見』)。

 「あたかも七カ月後の朝鮮戦争の勃発を予見していたかのような昭和天皇の発言には驚く外ない」(豊下氏『昭和天皇の戦後日本』岩波書店)のですが、こうして裕仁天皇は朝鮮戦争を予見しつつ、反ソ反共のためアメリカと単独講和を結ぶことをマッカーサーに要求したのです。

  朝鮮戦争が勃発した翌日(1950年6月26日)、裕仁天皇は、トルーマン大統領から対日講和の担当を命じられて来日したダレス特別顧問に松平康昌式部官長を通じて「口頭メッセージ」を送りました。

 「昭和天皇は右のメッセージ(「口頭メッセージ」)で…講話問題や日本の安全保障の問題を、首相である吉田茂に任せておくことはできないという立場を鮮明に打ち出した。…吉田への”不信“を深めた天皇は、朝鮮戦争の勃発をうけて、自らの『口頭メッセージ』をもって、直接ダレスやワシントンに働きかけることに踏み切った」(豊下氏『昭和天皇の戦後日本』)

  1953年3月5日にソ連のスターリンが死去し、「朝鮮戦争休戦」の機運が高まりました。その最中の同年4月20日、『昭和天皇実録(第十一巻)』(東京書籍)によれば、裕仁天皇は「離任の米国特命全権大使ロバート・ダニエル・マーフィー及び同夫人・娘」を皇居に招きました。 『実録』はそこまでしか書いていませんが、豊下楢彦氏によれば、裕仁天皇はマーフィー米大使と会見し、「朝鮮戦争休戦」の動向について次のような態度を示しました。

 「(休戦を)歓迎するどころか、全く逆に『朝鮮戦争の休戦や国際的な緊張緩和が、日本における米軍のプレゼンスにかかわる日本人の世論にどのような影響をもたらすか憂慮している』と述べるのである。なぜなら『日本の一部からは、日本の領土から米軍の撤退を求める圧力が高まるであろうが、こうしたことは不幸なことであり、日本の安全保障にとって米軍が引き続き駐留することは絶対に必要なものと確信している』からなのである」(豊下氏、『昭和天皇の戦後日本』)。

  裕仁天皇は朝鮮戦争によってアメリカ頼みの「国体(天皇制)維持」を決定的にし、単独講和、日米安保条約締結を自ら率先して実現し、さらにそれを維持するために朝鮮戦争の休戦に反対さえしたのです。

 ここに日本の対米従属、日米軍事同盟機軸、朝鮮半島の緊張緩和・平和への敵視政策の根源があると言わねばなりません。それが今日の安倍政権まで引き継がれているのです。

 朝鮮戦争を終結させることは、憲法違反の「天皇外交」を清算して対米従属の日米軍事同盟を解消し、朝鮮半島の自主的平和的統一に連帯・協力する道に通じる、日本・日本人自身のきわめて重要な課題です。

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