アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

沖縄戦の中でも「非武」を貫いた島があった

2022年06月06日 | 国家と戦争
   

 「非武装中立」論の勉強の一環で読んだ『無防備地域宣言で憲法9条のまちをつくる』(池上洋通・澤野義一・前田朗編、自治体研究社2006年)に、「沖縄戦から見る「無防備地域」宣言(合意)の可能性」と題した藤中寛之・沖縄大学地域研究所特別研究員の興味深いコラムがありました。要点を抜粋します。

< 慶良間諸島は、玉砕思想と投降を許さない日本軍の存在によって、愛する家族の命を絶って自らも自殺するという「集団死」が多発しました。
 この中で、前島だけは、現地住民の指導者であった校長が命がけで現地部隊の責任者と交渉し、その合意を取り付けて部隊の配備を見送ってもらいました。
 その結果、前島は小規模な空爆を除いて戦火から免れることができたのですが、軍事優先の時代に、どのように校長は軍人を説得したのでしょうか。

 まず、校長は、住民の命を守るために、自身の軍隊経験から「兵隊がいなければ相手軍の兵隊は決して加害しない」ことを説明しました。
 そして、部隊が配備されなかった場合の全責任を校長が担うことを明言し、防衛隊長、竹やり訓練の執行責任者になりました。>(写真左が前島。位置は那覇の西20㌔=写真中の赤印。写真右は慶良間諸島への米軍上陸=1945年3月26日を再現した琉球新報の「沖縄戦新聞」)

 調べてみると、この史実を記録した資料はいくつかあります。その中の1つ、『渡嘉敷小学校創立90周年記念誌』(渡嘉敷小中学校編・刊、1977・9)にはこう記されています。

「前島には渡嘉敷国民学校の分教場があってH先生夫妻が教鞭をとっていた。或日のことS大尉なる者が部下を連れて島へやってきた。…先生は、兵隊が居ること自体が住民の為にならないので、お引取り願いたいと隊長に申し出た。
 …この島にも米軍は上陸してきた。くまなく調べた結果日本軍が居ないことを知った米軍は、この島には一切攻撃はしないから安心して畑にも海にも出てよいと言い残して、その日のうちに引揚げていったとのことである」

 別の資料によると、H先生夫妻とは比嘉儀清・敏夫妻、S大尉は渡嘉敷駐屯海上挺身第三基地隊長・鈴木常良大尉とあります。

 この「奇跡」(前記『記念誌』)は、前島が小さな島(面積1・59平方㌔)であり、比嘉校長が軍人経験者(元上等兵)だったこと、鈴木大尉の英断など特別な要素によって生まれたともいえるでしょう。
 だとしても、汲み取るべき教訓は少なくありません。

 第1に、指導者(地域・組織)が最優先に考えるべきことは、「住民の命を守る」ことだということ。そのためには軍隊(ときの絶対権力)に対しても命がけで交渉したということ。

 第2に、「兵隊がいなければ相手軍の兵隊は決して加害しない」という確信。「軍隊は住民を守らない」。それどころか「軍隊は住民を殺す」という沖縄戦の教訓と通底します。

 第3に、軍隊を置かない「非武装」と、力で抵抗・抗戦しない(「徹底抗戦」とは真逆の)「非戦」こそ、住民の命と郷土を守る道だということです。

 沖縄戦の中のこの「奇跡」の教訓に、今こそ学ぶべきではないでしょうか。
 そして、それを「奇跡」ではなく、思想として、政策として確かなものにしていくことが求められているのではないでしょうか。

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