アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記217・さらに遠のく患者の権利

2022年10月02日 | 日記・エッセイ・コラム
  先月はじめ、原因不明の腹痛に襲われ、近所の休日診療へ飛び込んだ。「大腸がんの手術による癒着でガスがたまっている」という診断だった。翌日、さっそく手術をした病院へ行った。腸に便がたまっているという診断で、下剤と痛み止めを処方されたが、痛みが収まらない。

 主治医には内緒で別の拠点病院を受診しようと思った。ところが、「紹介状がないと初診料とは別に5000円かかる」という。躊躇した。

 手術を受けた病院で、「セカンドオピニオンを受けたい」と話した。セカンドオピニオンには追加費用はかからない。
 しかし、「セカンドオピニオンは病院間で協議するので、受診日がいつになるか分からない」という。現在進行形の腹痛には間に合わない。

 「今日受診したいので紹介状を書いてもらえないか」と頼んだ。しばらくして、「書いてもいいが、以後はそちらの病院へ行ってほしい」と、がん治療から手を引くと告げられた。

 結局、手術を受けた病院で主治医とは別の医師に診てもらうことになった。その診察の時、腹部に発疹が現われていて、帯状疱疹と分かった。

 そんな中、「紹介状なし初診7000円超 大病院 来月から2000円増」(9月14日付共同配信)の記事が出た。「患者の「大病院志向」が根強く、診療に追われる勤務医の負担も重いままのため、増額で解消を図る」のだという。

 「勤務医の負担」は分からないではないが、患者負担の膨大化(通常の費用に7000円超が加わるのはあまりにも大きい)で「大病院」へ向かうのを抑止しようというのは話が逆だろう。

 原因不明の痛みに襲われ、しっかりした検査・治療を受けたいというのは患者の当然の要求だ。そもそも、どの病院でどんな検査・治療を受けるかは、患者の基本的な権利ではないか。

 それが保障されていないことを痛感した。「セカンドオピニオン」の制度は貴重だが、それも患者不在の病院間の協議で進行すると分かった。

 医師と患者の間には絶対的な立場の差がある。本来対等であるべきだが、そうはいかないのが現実だ。だからこそ、医療においても患者が主人公であることが明確にされる必要がある。

 「勤務医の負担」を解消するのは政府の責任だ。必要な医療費予算を増額することだ。「財政逼迫」が政府の常とう句だが、それはウソだ。

 すでに5兆円を超えている軍事費をさらに大幅に増やすと政府は公言し、メディアはその是非を問うことなく「問題は財源」と財源探しに手を貸している。これが患者の負担増につながっているのは言うまでもない。

 紹介状なし負担だけではない。一部75歳以上の自己負担も10月から2倍(1割から2割へ)になる。食料品やエネルギーも値上げラッシュだ。

 軍事費が聖域化される社会では、市民の権利と生活は際限なく侵害されていく。患者になるとその“痛み”が痛感される。


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