アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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「社会の分断」は悪いことか

2022年10月01日 | 日本の政治・社会・経済と民主主義
   

 「安倍国葬」を強行した岸田政権に対し、「社会の分断を深めた」と批判する意見は少なくありません。「社会の分断」という言葉は、良くないこと、避けるべきことという意味で使われます。

 たとえば、ジャーナリストの津田大介氏は、「国葬反対」の世論がメディアに及ぼした影響を評価しつつ、こう述べています。
「ただ、国葬により改めて「安倍支持派」と「反安倍派」という分断が現われたのは残念だ。安倍政権時から続くそうした対立は、所得格差の拡大や非正規雇用の問題など足元の社会課題を見えにくくした」(9月28日付朝日新聞デジタル)

 津田氏は「安倍支持派」と「反安倍派」すなわち安倍政治を支持するか批判するかの「対立」を「分断」とし、それが現われたことは「残念」だったとしています。

 朝日新聞の林尚行・政治部長はもっとはっきりこう言っています。
「首相は今回の国葬をめぐる世論分断の責任を重く受け止め、自身の政治的な失敗を省みる機会にするべきだ」(9月27日付朝日新聞デジタル)
 
 これらに代表されるように、「分断は悪」論は、政治的見解や世論の相違・対立を「分断」として好ましくないものとみなします。はたしてそうでしょうか。

「社会の分断」とは、多様な意見が表出している状態であり、それはきわめて健全な状況ではないでしょうか。対立のない社会こそ恐怖です。

 政界でそれが起これば、野党の自民党へのすり寄りが進み、国会は翼賛議会と化します。
 メディアや言論界でそれが起これば、体制順応メディア、御用学者が氾濫します。
 社会でそれが広がれば、同調圧力が強まり、自民党政権を倒して政治変革を行う意欲が失われます。

 それは国家権力にとってきわめて好都合な状況です。そして、すでにそうした事態が広く進行しているのが現在の日本ではないでしょうか。

 ここで想起されるのは、2011年3月16日、東日本大震災・福島原発事故から5日後、天皇明仁(当時)が「ビデオメッセージ」でこう語ったことです(写真右)。

「海外においては、日本人が取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応をしていることに触れた論調も多い。これからも皆が相携え、いたわり合ってこの不幸な時期を乗り越えることを願っている」

 この「天皇メッセージ」の意図は、政府や東電、歴代自民党政治に対する批判が広がって国家にとっての「秩序」が乱れ分断が広がることを抑止することにあったといえます。

 避けるべきは「社会の分断」ではなく、逆に、多様な意見とりわけ少数意見が尊重されず、自由で活発な議論が行われない「社会の閉塞」「社会の同質化」ではないでしょうか。

「社会の分断」という言葉、とりわけそれが政府(国家権力)やメディアによって使われるときは要注意です。

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