国会の追悼演説など、ニュースで流れる所しか見ない(聞かない)人がほとんどでしょう。しかし、それは国会の議事録として歴史に残ります。ニュースで流れるわずかな部分の影響も無視できません。
25日、衆院本会議場で行われた立憲民主党・野田佳彦氏(元首相)による安倍晋三氏に対する追悼演説は、たんなるエピソードの紹介を超えた、きわめて政治的な問題を含んでおり、けっして聞き流すことはできません。
追悼演説は故人に対する美辞麗句であふれるのが常ですが、それにしてもあの安倍氏を野田氏が4回も「心優しい」と形容したのにはあきれました。それはひとまず置いて、無視できない問題を6点挙げます。
①安倍政治美化・その1 「拉致問題」
野田氏は、「内閣官房副長官として北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ」たと述べました。事実は、「拉致問題」を政治利用し、朝鮮民主主義人民共和国敵視を貫き、在日朝鮮人差別政策を続けたのが安倍氏です。
②安倍政治美化・その2 日米軍事同盟
野田氏は、「特筆すべきは…2人の米国大統領と親密な関係を取り結んだこと」「日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、こうした信頼関係は生まれなかった」と述べました。
「日米同盟」とは「軍事同盟」です。安倍氏は対米従属の安保条約の下、軍隊(自衛隊)を大増強し、米軍との一体化を深化させ、トランプの言うまま米国製兵器を爆買いしました。
③安倍政治美化・その3 天皇制擁護の密室協議
野田氏は、天皇明仁(当時)の「生前退位」をめぐって、「総理公邸の一室でひそかに」会い(2017年1月20日)、「政争の具にしてはならない」という点で「意見が一致した」ことを美談として紹介しました。
天皇の「生前退位」は憲法にも皇室典範にも反する違憲・違法行為です。それを政治の争点にしないことを密室で協議・合意したことは重大です。それを美談として吹聴する憲法感覚は異常と言わねばなりません。
④銃撃を「テロ」と称して統一教会問題を隠ぺい
野田氏は、安倍銃撃を繰り返し「暴挙」「暴力」「テロ」とよび、安倍氏を「民主主義」者と描きました。銃撃が「暴力」であることは確かでけっして肯定されるものではありません。しかし、安倍銃撃が政治的テロではないことは今や明白です。その動機は言うまでもなく、カルト集団・統一教会と安倍氏の深い関係です。
その統一教会と自民党の関係、統一教会の謀略の実態を解明・追及しようとしているいま、安倍銃撃を「テロ」、安倍氏を「民主主義者」と描くことは統一教会問題を隠ぺいし、その追及に水を差すことにほかなりません。
これが野田演説の最大の害悪といえるでしょう。
⑤安倍政治の評価を棚上げ
野田氏は、「安倍晋三とはいったい何者であったのか…その答えは、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかない」と述べました。
しかし、安倍政治の数々の悪政の評価はすでに明白です。野田演説は安倍政治に対する「審判」の棚上げを図るものです。
⑥弔意の強要、国家主義への包摂
野田氏は、「どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心の中に、あなたの在りし日の存在感は、いま大きな空隙(くうげき)となって、とどまり続けています」「この国のために、重圧と孤独を長く背負(った)安倍晋三元内閣総理大臣」などと述べました。
野田氏が個人的に安倍氏をどう評価しようが自由ですが、それを国会の演説で、「この時代を生きた日本人」に押しつけないでいただきたい。
以上の①~④は安倍追悼に特有なものですが、⑤⑥は国会の追悼演説が持つ共通の問題点と言えるでしょう。これは「国葬」が持つ問題点と通底しています。
国会における政治家の追悼演説は、「国権の最高機関」における仲間内の慰め合いにほかなりません。それによって政治家(元首相)の政治的評価が歪曲され、「弔意」が強要され、与野党のなれあい・国会の翼賛化が助長されます。
「国葬」に法的根拠がないのと同様、国会の追悼演説はたんなる慣習・慣例にほかなりません。「国葬」同様、百害あって一利なし。悪しき慣習は廃止すべきです。