アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記220・母が「一番きれいだったとき」

2022年10月23日 | 日記・エッセイ・コラム
  母が20日、亡くなった。96歳だった。
 死に目にはあえなかったが、穏やかな最期だったと、お世話になったグループホームの職員さんから聞いて、安心した。

 介護のために福山に帰って8年9カ月。ずっと前から覚悟はできていて、たんたんと受け止められるつもりだったが、そうはいかなかった。

 これで両親ともこの世にいなくなった。その意味が、ひしひしと迫る。
 次は自分の番だと思う。人生の時の流れを感じる。
 自分が母より先でなくてよかったと、ほっとする。

 敗戦の年が19歳。
 結婚してからずっと「専業主婦」だった。
 一般企業の「平社員」の妻。2人の男の子の母。
 4人家族で女性は母1人。化粧もあまりしていなかったように思う。
 平凡な人生だった。

 若いころはどんな生活だったのだろう。どんな夢があったのだろう。
 もっと聞いておけばよかった。
 そう思った時には、すでに認知症が進行していた。

 いろいろ苦労があったね。
 よくがんばったね。

 母に茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」を捧げる。
 のり子32歳(1958年)のときの詩だ(抜粋)。

  わたしが一番きれいだったとき
  まわりの人達が沢山死んだ
  工場で 海で 名もない島で
  わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった

  わたしが一番きれいだったとき
  だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
  男たちは挙手の礼しか知らなくて
  きれいな眼差だけを残し皆発っていった

  わたしが一番きれいだったとき
  わたしの国は戦争で負けた
  そんな馬鹿なことってあるものか
  ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

  わたしが一番きれいだったとき
  わたしはとてもふしあわせ
  わたしはとてもとんちんかん
  わたしはめっぽうさびしかった

  だから決めた できれば長生きすることに

 茨木のり子は1926年6月12日生まれ。その20日あとに、母は生まれた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする