母が20日、亡くなった。96歳だった。
死に目にはあえなかったが、穏やかな最期だったと、お世話になったグループホームの職員さんから聞いて、安心した。
介護のために福山に帰って8年9カ月。ずっと前から覚悟はできていて、たんたんと受け止められるつもりだったが、そうはいかなかった。
これで両親ともこの世にいなくなった。その意味が、ひしひしと迫る。
次は自分の番だと思う。人生の時の流れを感じる。
自分が母より先でなくてよかったと、ほっとする。
敗戦の年が19歳。
結婚してからずっと「専業主婦」だった。
一般企業の「平社員」の妻。2人の男の子の母。
4人家族で女性は母1人。化粧もあまりしていなかったように思う。
平凡な人生だった。
若いころはどんな生活だったのだろう。どんな夢があったのだろう。
もっと聞いておけばよかった。
そう思った時には、すでに認知症が進行していた。
いろいろ苦労があったね。
よくがんばったね。
母に茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」を捧げる。
のり子32歳(1958年)のときの詩だ(抜粋)。
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
茨木のり子は1926年6月12日生まれ。その20日あとに、母は生まれた。