- 日本政府は、福島原発の放射能汚染水を海洋投棄しないでください
- 日本政府は、福島原発の放射能汚染水を陸上で保管してください
- 日本政府は、海洋放出が安全であるというプロパガンダをやめてください
- IAEAは、日本政府と東京電力の汚染水海洋投棄の擁護をやめてください
「3・11」東京電力福島原発「事故」をめぐっては、いまも重大な問題が山積しています。その1つは、自民党政権が昨年4月、汚染水(政府・東電は「処理水」と偽称)を来年にも海に放出すると決めたことです。
政府・東電は汚染水について、「関係者の理解なくしてはいかなる処分もしない」という約束を福島県漁協、全漁連と交わしています(2015年8月)。海洋放出の一方的決定は、この約束を反故にする明白な背信行為です。
政府・東電は、「処理水」は薄めてあるから安全だと言いますが、「どれだけ薄めても、放出する(放射性物質の)総量は変わらない。64種類もの放射性物質がそれぞれ数百億ベクレルから数百兆ベクレルも放出されてしまう」(伴英幸原子力資料情報室共同代表、季刊誌「アジェンダ」22年春号)のです。
日本世論調査会の調査でも、「処理水の海洋放出」に「反対」が35%で、「賛成」(32%)を上回っています(6日付共同配信記事)
にもかかわらず、政府は汚染水を「安全」と強弁するキャンペーンを展開しています。ターゲットは小中高生です。
朝日新聞デジタル(3月3日)によれば、経産省と復興庁は昨年12月、「処理水は安全」とするチラシを230万枚作成し、全国の小中高校に配布しました。教育委員会を通さず直接学校に送付しました。
チラシは、「処理水」は「人間が食べたり、飲んだりしても健康に問題のない安全な状態」だとし、「処理水」に含まれている放射性物質・トリチウムについても「健康への影響は心配ありません」と言い切っています。
チラシは被災地の自治体・教育委員会・学校から猛反発を受けました。
岩手県宮古市、釜石市、大船渡市、宮城県塩釜市、気仙沼市、福島県いわき市、相馬市などの市教委は、いずれも児童・生徒には配布しないように指示しました。
「処理水の安全性について、きちんと確認が取れた情報なのか吟味が必要」(塩釜市教委)、「事前に配布の連絡がなかった。保護者にとってはデリケートな問題なので、慎重にしてほしかった」(相馬市教育長)などと困惑しています(以上、朝日新聞デジタルより)。
チラシだけではありません。文科省は全国の小中高校に「放射線副読本」(写真左)を配布していますが、2018年の改訂で2014年版の内容が大幅に改悪されたのです。なかでも重大なのは、次の文章が削除されたことです。
「専門家の立場から放射線防護に関する勧告を行う国際NGOである国際放射線防護委員会(ICRP)は、科学的には影響の程度が解明されていない少量の放射線を受けた場合でも、線量とがんの死亡率増加との間に比例関係があると仮定して、合理的に達成できる範囲で線量を低く保つように勧告しています。
高線量被曝が原因で将来がんになる可能性は、大人より子供の方が高いことが知られています。」(文科省HPより)
この文章がすっぽり削除されたことは、放射線被曝とがん発症の関係、とりわけ「大人より子供」が「がんになる可能性が高い」ことを隠ぺいすることにほかなりません。これが当の子どもたち向けの「副読本」だけに、問題はさらに重大です。
大惨事となった東電福島原発「事故」の根源は、歴代自民党政府が振りまいてきた「原発は安全」という「原発神話」ですが、政府はいま新たな「放射線神話」を、これからの社会を担う小中高生に振りまこうとしているのです。
菅政権は13日、東電福島原発「事故」の汚染水を海に放出する方針を正式決定します。これに対し市民グループは12日、記者会見で反対を表明し、代替案の検討を要求しました(写真中)。全漁連(全国漁業協同組合連合会)はすでに昨年6月の通常総会で、「断固反対」を全会一致で決議するなど、福島県内外に強い反対があります。
菅政権はそれを無視して強行するもので、政権のファッショ的体質を露呈しています。しかも「復興五輪」とうそぶく東京五輪の「聖火リレー」をメディアがお祭り騒ぎで報道しているドサクサの中で、「復興」とは対極の暴挙を強行することは言語道断です。
そもそも政府・東電やメディアは、一定の「処理」をしたとして「処理水」という用語を使い、まるで放出する水が無害であるかのような印象を振りまいていまが、放射能で汚染されていることに変わりはなく、「汚染水」というべきです。
汚染水の処理問題をめぐって黙過できないのは、「風評被害」という言葉が多用されていることです。
「風評」とは国語辞典でも「うわさ」と定義してあるように、根拠がない評判という意味・ニュアンスになります。しかし、汚染水に対する不安はけっして根拠がないものではありません。放出されようとしている水にトリチウムが含まれているのは厳然たる事実です。しかもこの汚染水は福島第1原発のデブリ(溶解核燃料)に注水されたものであることを見落とすことはできません。
「第1原発の処理水はデブリに触れた水だ。不安の声があるのも無理はない。東電と政府が不安解消へ向け手を尽くしたのかは疑問だ」(10日付琉球新報=共同)。
にもかかわらず、当然の不安を「風評被害」とすることは、政府と東電の加害責任を免罪し、福島・東北の生産者と消費者を分断するものと言わねばなりません。
ジャーナリストの吉田千亜さんは、「風評被害」について、福島県農民連の根本敬会長(二本松市の農家)の言葉(2017年11月『現代農業』掲載)を紹介して問題提起しています。
「消費者の過剰な反応を「風評被害」だと言います。しかし、今起こっていることは、東電が起こした原発事故による放射能が大地と作物を汚染している「実害」です。風評被害と片付けるのは、消費者に責任をなすりつけ、東電を免罪することです。心ある方々から、福島の産品を買い支えたいという申し出がきます。でも、私はこう応えています。「お気持ちは嬉しい。でも、みなさんにお願いしたいのは、国・東電はあらゆる損害をすべて補償せよという世論を消費地で起こしてほしい」と…。」(根本敬さん。吉田千亜著『その後の福島 原発事故後を生きる人々』人文書院2018年より)
東電の被害を受け続けている生産者・根本さんの言葉は、「風評被害」という言説の危険性、そして私たち消費者が主張すべきことやるべきこと、生産者と消費者の団結のあり方を示しており、きわめて示唆的です。
政府・東電の免罪に通じるこの「風評被害」という言葉を、天皇徳仁が公に使ったことを改めて想起する必要があります。
徳仁天皇は今年3月11日に行われた政府主催の追悼式で、「原子力発電所の事故の影響により…農林水産業への風評被害の問題も残されています」と述べたのです(写真右)。
追悼式での天皇の「ことば」は、全体として「国民」の「共助」を強調したもので、その中での「風評被害」発言は、問題の根源である政府・東電の加害責任を隠蔽・免罪するものであり、けっして黙過することはできません。