日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

評論 「雄鶏とアルルカン」 ジャン・コクトー

2015-07-05 | Jean Cocteau

昭和11年(1936) に山本文庫から発行された翻訳本。
文庫本で市松模様というのがめずらしくて購入したが、80年前のものなので
紙はすっかり焼けている。しかしこれも大切にしている1冊。 佐藤 朔 訳



芸術のあらゆる分野を駆け抜けたジャン・コクトーが
作曲家エリック・サティを擁護し、アフォリスムの形式で書いた音楽論。

この書のタイトル「雄鶏」はサティであり、「アルルカン」は雑多な色彩の姿から
ワーグナー、ドビュッシー、そしてそれまでの装飾音楽を指している。
サティの「梨の形をした3つの小品」をピアノの連弾で聞いたコクトーは
音符から装飾をそぎ落としたような音楽に、胸につらぬくものを感じたようだ。

親子ほど歳も離れ、環境の違う二人が音楽を通して交友関係が始まり、
お互いに親しい友情を抱いてはいたものの
性格の違いから誤解が生まれることもしばしばであったが
コクトーはサティに対して反対の立場を公にしたことは一度もなかったという。
そしていかなる時もサティを擁護し続けた。

★パリでは皆が俳優になろうとする。見物人で我慢する者はいない。舞台の上は大混乱だが、観客席はからっぽだ。
★サティ対サティ。サティを崇めることはむずかしい。なぜなら神として祀られるような手がかりをほとんど与えないことが、まさしく、サティの魅力の一つだからだ。
★伝統は時代ごとに変装する。けれども公衆はその眼つきを知らないから、仮面の下にある伝統をけっして見つけはしない。   
                            (本文より)

音楽は「日々のパンのように」身近なものであり、
芸術の変化や装った芸術の下にある不可視のものを汲みとれる力を、と
コクトーは後に続く若者に呼びかけている。

この「雄鶏とアルルカン」は作曲家ジョルジュ・オーリック(6人組のひとり)へ献辞されているが
知性と教養を備えたオーリックにコクトーは感嘆したという。