日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

『名人伝』 中島敦 大志の果てに

2010-09-13 | book

Nakajimaatusi 
現在私たちが親しんでいる中島作品は、彼が32歳から33歳までのたった2年間に
発表された短編だけである。そのため読める作品は非常に少ない。
しかし、とりわけ文字をいつくしんだ中島敦の文は難しい漢字にとまどうこともあるが、
その緊張感からは不思議なことに端正な心地よさも感じるのである。

あらすじ
紀昌は弓の名人を志し、名手・飛衛に学び厳しい試練を経たのち、同格の腕前まで上達した。
もう飛衛から学ぶものがなくなった紀昌は
嶮しい山に超人的な腕をもつ老隠者がいることを知らされる。
老人は、空を飛ぶ鳥を素手でいとも簡単に射落とした。紀昌は慄然とした。
自分ごときは児戯の腕であると。
「不射の射を知らぬとみえる」老隠者は言った。

老人のもとで九年の修業を終え、山を降りてきた紀昌はまるで別人の顔をしていた。
負けず嫌いの鋭い顔つきは木偶(でく)のように無表情になり、そのままやがて年月は経っていった。
老人となった紀昌はある日、弓を見てその名前と用途を質問する。
かつて自分が大志をいだいて使っていた品物を忘れてしまったのである。

紀昌は弓の名人になることだけに生き、山の修行ですべての目的を達成した。
弓が何であるのかわからない紀昌のすがたは
目指していた死に物狂いの精神から解放された果ての、真の名人の姿であったのか。