日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

田中一村 アダンの魂

2010-09-28 | 絵画

Issontanaka
田中一村。1984年であったか。当時、花を習っていた師匠から
「すばらしい画家がいる」とその名を初めて聞いた。
日曜美術館「黒潮の画譜-異端の画家田中一村」の放送は大きな衝撃を与え、
展覧会には目をうるませて一村の絵を見ている人もいた。
歴史に一人の日本画家が登場した瞬間であった。
あれからはソテツやクロトンの葉、ダチュラの花を見ても一村を思い浮かべることがしばしばであった。


今回は千葉美術館開催なのでやはり千葉時代までの作品が多かった。
農村の夕暮れ、働く人たち、春に咲く梅、紅葉の葉。そして襖に描かれた植物、細帯に咲く小花など。


幼いときから天才と呼ばれながら絶望と世の矛盾に苦しんだ一村は奄美に移り住んだ。
奄美の風景が有名だが今回の展示作品にも奄美以前から南国を思わせる絵が何枚か描かれている。

映画「アダン」では、わずかな家財と一村を乗せたトラックが奄美の道を走りぬける。
そして風景のあちこちを指さして一村が叫んだ。
「あれは何ですか!あれは何ですか!」 新天地、奄美は富や名誉に渦巻く世を避け、
描きたい絵だけを自分のために描いていく最後の地であった。
鳥が鳴いていればスケッチをしながら森の中まで追いかけて行き、時には地獄と向き合うような形相で絵筆を握る。
絵に対峙する一村は風雅を尊び、体に流れる血のままに画布に向かう人であった。


墨で描かれた黒い椰子の鬼気迫る陰影、象徴的なアカショウビンの鳥、クワズイモの一生を
一枚の中に描いた魔力的な明暗。
やはり奄美の絵はわしづかみにする魅力を秘めている。
一村が心の到達を果たした充実の時間で描かれたからだろうか。


その頂点ともいうべき作品『アダンの海辺』 大胆な構図でアダンがくっきりと描かれている。
この絵は閻魔大王への土産と言っていたという。絵に「一村」の署名と朱印はなかった。
アダンが一村の魂にもたらしたものは、絵を描いて清められてゆく心の原風景だったのかも知れない。
自分だけの絵に没頭できた奄美は一村を満たした充実の月日だったと思う。


ぎりぎりで何とか見ることが出来た一村展。
千葉時代の多くの作品も含めて一村は感傷と憧憬の念を抱かずにいられない画家である。

写真は美術館入口の1階、旧川崎銀行ホールの柱にチラシを置いて。