金井美恵子さん、『昔のミセス』

 装幀が何とも素敵で、素通りいたしかねる一冊であった。 
 しかし、あらめて振り返れば、幾つかの小説を読んでいたのに、エッセイがほとんど手付かずだったのは甚だ不覚である。こんなに面白いのにー。
 切れ味もぴりりと鋭く、“カマトト”や“親父”といった蓮っ葉な言葉がぽんぽん飛び出す文章の、小気味良いことと言ったら…!  

 読み終えたのが一昨日なので、報告程度に。
 『昔のミセス』、金井美恵子を読みました。 


〔 ミセスのミニスカート、適齢期、ミセスのふだん着、ミセスのイメージチェンジ、料理の写真…。昔の『ミセス』を読み返し、変わったことと変わらないことを探し出す、ビターな甘さ全開のエッセイ集。 〕  

 読みだして即、“「ミセス」の創刊された’61年、私は中学二年”という箇所がどうにも引っかかるので確かめてみると、金井さんと実母はたった一つしか年が違わないのであった…。うーん。 
 (ちょっと話が逸れるけれど)そのお蔭(?)で、何となしに時代背景をイメージし易くはあったのだが、親の思い出話って案外聴いていないものだな…と思ったりもした。私が生まれる前の彼らの暮らしぶりの細やかな部分を、そしてその時代の空気をどんな風に呼吸していたのかを、子供である私はたいして知らない。それもそのはず、そも思い出話というものは、同じ時間を過ごした仲間同士でするのが一番楽しいものであるし、親子が一緒に住んでいる間はぶっ通しで、現在ただ今の問題話題がちゃんとしっかりあるわけだから、請われなければ両親が私を相手に思い出話に花を咲かせるという機会は、ほとんどなかったに等しいであろう(…と思うと、数少ないそれらの貴重さを感じないではないが)。…と、そんなことにいささか感慨深くなりつつ読んでいた。 

 私の母もやはり「ミセス」を購読していたので、あらわれる「ミセス」のページの一つ一つがほろほろと懐かしかった。ここで取り上げられている「ミセス」の記事は、大半が私の生まれる前のもので、実際に目にしたことはないはずであるにも関わらず、この時代の女性たちの軽やかな希望に満ちた上昇志向や、新旧の間で揺れ惑う彼女たちの、やや旧制よりの慎ましいながらも凛とした品性が伝わってきて、すっかり感心してしまった。昭和って、やっぱり面白いよう。今や全く見かけられなくなった、純和風美女のモデルや女優さんたちに見惚れつつ…。

 「ミセス」連載分の他にも、澁澤龍彦(きゃあ)や森茉莉(きゃあきゃあ)との交流を回想するようなエッセイもあり、もちろんそれだけじゃあ終わらず(愛猫トラーにまつわるエピソードとか)、兎に角大変に楽しめた一冊。

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