辻原登さん、『マノンの肉体』

 電車で最寄り駅へ戻ってきたところで、自宅へ向かうだーさんに手を振って反対方向に歩きだす。すると、夕立に遭遇した。雷付きだったのでちょっと浮足立ったけれど、本当はわくわくした。晴雨兼用の日傘を持っていたので、濡れそびれちゃったな。

 お盆休みぐらいは実家に顔を出さねばと思ってはいるが、まあ久しぶりに顔を合わせると何やかんやあります。それでいささか疲れ気味になりつつ、少しずつ読んだのがこちらの作品集。 
 『マノンの肉体』、辻原登を読みました。
 

 この一冊に3つの作品が収められている。どの作品もしっかりとした読み応えがあり、嬉しかった。
 そしてその中でもとりわけ一番長い表題作は、面白くてとても好きな作品である。ちょっと、いやかなり不思議な話だったけれど、膠原病になって入院した主人公が娘に『マノン・レスコー』を朗読してもらうという妖しげな設定には、抗いがたく心惹かれるものがあった。そんなきわどい官能を危なげもなく知的に弄びあえる父娘関係なんて、なんとまあ非現実的な話かしら…とも思うが、この二人の距離感が全くべた付いていないので、妙な気持ち悪さは全くない。
 古典として有名な恋愛小説『マノン・レスコー』の中には、肝心な魔性の女マノンについて、その魅力を鮮明に読者に伝える為にはあってしかるべき容貌や肉体に関する描写が一切ない。いつしか“私”の胸裏に、それはいったい何故なのか…という疑問が湧き起こり、するとそれがもう気になって仕方なくなってしまうのだった。私は『マノン・レスコー』は学生の頃に一度読んだきりだが、この辺りはとても興味深く読んでいた。

 でも、この作品の中盤に差し掛かるところで、突然ふっと軸がぶれるように、主旋律がシフトしてしまったという印象を受けた。“私”が、従兄の法要で訪れた赤秀の地で昔の殺人事件のことを耳にすると、そのままその事件の真相究明の方へとのめり込んでいってしまうからである。まるで不意に、“私”がミステリの登場人物にでもなったみたいな展開でもあるが、私はそこも大変に面白かった。 
 もちろんちゃんと底流には、“マノンの肉体”という一貫した謎が横たわっている。そのことと昔の事件へのこだわりとが、どう繋がっていくのかという点にこそ、この作品の核心が隠されている。


 最後に収められている「戸外の紫」は、痛い作品だった。
 どうせ堕ちるならとことん堕ちてしまえ。二度と這い上がることの出来ない光の射さぬ場所まで堕ちて、取り返しがつかないほど泥にまみれてしまえ。どうせ汚れるなら、どうせ駄目になるなら、中途半端な場所に惨めにしがみつくよりも、いっそ何もかも壊してしまえ…。と、人の心の闇に潜む暗く歪んだ欲望がこごったような、怖い作品だった。多かれ少なかれ誰の心にも、崖っぷちに追い詰められたとき、自暴自棄へと向かわずにはいられない衝動の経路が潜んでいるのだろう…と、思えてしまうからこそ、相当に痛い。 
 特製かっぱラーメンとか缶詰ばかりの食事とか、ディテールがまたぞくっとするほど狂気を漂わせていて素晴らしいのだ。

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