エリザベス・ボウエン、『エヴァ・トラウト』

 なんて美しい本なの…と、一目惚れしました。 

 ところで、海外の小説を読んでいて、英語の慣用句“キュウリのように冷静”が出てくると、笑うところじゃないのに笑ってしまいます。そうか、キュウリは冷静か。そう言えばそうかも、さっぱりしてるし。と、変な納得の仕方をしてみたり。
 閑話休題。

 『エヴァ・トラウト』、エリザベス・ボウエンを読みました。


 なかなかの難物ですが、私は好きです。読み終えてから時間をかけ、じわじわと浸透してくるものがある。読んでいる最中には分かりにくかったことが、ぷくりぷくり泡のように心の表面に浮き上がっては弾ける…。きっとまだよく分かっていないことがあると思うので、いつかまた再読してみたいです。   

 この物語は、とても印象的な美しい場面から始まる。不可思議で独特な世界へといざなうような滑りだしだが、ここで波に乗りにくいことも確かだと思う。そして読み始めて割とすぐに、かなり情報が出し渋られ説明が省かれているような感触もある。いや、本当はちゃんと提示されているのかも知れないけれど、兎に角、「一体これはどんな事柄を指しているのかしら…?」と、躓いてしまうことがしばしばあった。
 何しろまず、エヴァ・トラウトの人となりも相当に掴みにくい。最初の方でエヴァの喋り方について、“風変りな、セメントで固めたような会話のスタイル”と表現している箇所がある。セメントで固めたような会話って…?

 エヴァは、生後二ヵ月で母親を失い、父親のビジネスの為に世界各国を転々とする年月を重ねた結果として、本来ならば誰でも流暢に扱えるはずの母語が身に付かなかった女性、という設定になっている。これが、エヴァという人物を更に分かりにくくさせている。
 そも、人は成長の過程において、新しい言葉を一つ覚える毎に、その言葉にまつわる概念に初めて触れ、そこから少しずつ理解を深めていくものではないか…と思うが、彼女の場合はそのプロセス自体に破綻があるわけだ。つまり一つの言語を、抽象的な概念について語れるほどには習得出来なかった…ということ。
 だから、エヴァの行動には説明が付けられない。周りの人たちがエヴァの行動に戸惑い振り回されるように、エヴァ自身にさえ自分の衝動的とも言える行動について上手く理由付けが出来ない、そんな印象すらある。何てやっかいな女性だろう。そんなエヴァが莫大な遺産を相続するのだから、話はますます厄介だ。

 エヴァの独特な言葉への不信感と、彼女を取り巻く登場人物たちの利害混じりの思惑とが、どこまで行っても平行線な感じ。読んでいるうちにだんだん、この人たちはいったい何をどうしたいんだ…?と、出口無しな気分にさせられてしまった。が…。
 衝撃のラストでへなへなと、全身が弛むくらい力が抜けた。なんてことだ。ぐるぐるぐる…と。 

 もう一人かなり興味深かった人物が、女学校の元教師イズーである。最初の方に出てくる牡蠣を食べるシーンが艶めかしくて、お堅い印象の元教師の色気に吃驚しつつ、複雑そうな女性だな…と思った。ちなみに作品解題によると、エヴァがイヴであるのに対し、イズーは「トリスタン・イズー物語」のイズーなのだそうだ。

〔 授業に費やした時間がもたらしたものは、少女の側に残った、まばゆいばかりの先生に対する畏怖の念として。それにエヴァは、ありがたいと思う気持ちに幻惑されていた。イズーがくるまでエヴァに全身全霊をかたむけて注目してくれた人間は、一人もいなかったから――あたかも愛のように見える注目だった。 〕 19頁

 第二回配本は八月予定。楽しみ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )