中山可穂さん、『サイゴン・タンゴ・カフェ』

 アルゼンチンタンゴってどんな音楽…?と、記憶の水底をさらい精一杯イメージしながら、物語の奥へと漕ぎ進む。泥臭いほどに情熱的で官能的、それでいてどことなくもの哀しく…。ああ、CDでいいからタンゴを聴きながら読めたらよかったな。残念。   

 『サイゴン・タンゴ・カフェ』、中山可穂を読みました。
 

〔 ふたりでもっとさびしくなるために、私たちは踊りつづける。どんなに踊りつづけても、数え切れないほどの夜を踊り明かしても、私たちは何も分かち合えない。それがタンゴなのだと、私はあの男から教わった。ゼロにゼロをかけてマイナスにしていく営みこそがタンゴなのだと。 〕 30頁

 収められているのは、「現実との三分間」「フーガと神秘」「ドブレAの悲しみ」「バンドネオンを弾く女」「サイゴン・タンゴ・カフェ」、の5篇です。一作目の「フーガと神秘」だけが再読でした。短篇というか中篇といってもいい長さの5作品は、期待を上回る読み応えでした。期待をしていなかったわけではないです、もちろん! 
 どの話もアルゼンチンタンゴがモチーフになっていて、タンゴのことにふれる文章を読む度毎に、中山作品の狂おしい情念や孤独、誇り高い人たちが惹かれあい身を削り合う苦しい恋に、タンゴというものはなんてぴたりと寄り添うのだろう…と、感嘆しました。物語の世界と音楽性の完璧な融合に、ただただ深いため息です。

 5篇はどれも素晴らしかったですが、中年の女性が主人公で一見地味な「バンドネオンを弾く女」は、あまり今までの中山作品にはなかった感じで、不思議な味わいが私は好きでした。主人公がもう一人別の訳ありの女性と、奇妙な成り行きでベトナムへ連れだって旅行をすることになる話で、どことなく可笑しみもあり話が悲愴にならない。そこのところの匙加減も絶妙です。

 もっと好きだったのは、表題作と「ドブレAの悲しみ」です。
 「ドブレAの悲しみ」は、ブエノスアイレスのバンドネオン弾きのおじいさんに拾われた、猫(最初の名前はアストル)の視点で語られる物語です。でもこの猫、実はただの猫じゃあなかったのです! その正体は…ふふふ(『トマシーナ』じゃないけれどある意味女神かも)。
 アストルとだけは言葉を交わす、黒尽くめの殺し屋ノーチェの一人で踊るタンゴがひどく印象的でした。研ぎ澄まされた孤高の姿とは、どうしてこれほどまでに心を魅了するのだろう…と思いました。

 そして表題作の「サイゴン・タンゴ・カフェ」。ハノイ市の、地図にも載っていない怪しげな店構えのサイゴン・タンゴ・カフェ。こんなにタンゴの国から遠く離れた地に、タンゴに取り憑かれた年齢も国籍も不詳のマダムが営む店がある。そしてそのマダムは、なぜか女性客としか踊ろうとはしない…。
 この作品で描かれているのは、作家と文芸編集者との間の愛と葛藤の軌跡でもある。物語をこよなく愛する人ならば、物語を生みだし紡いでいくまさにその場所で生まれたもう一つの物語に、それを語るマダムの声に、耳を傾けずにはいられないでしょう。 静かに、息をのみながら。

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