『小鳥たち』、『アナイス・ニンの少女時代』

 ここ最近、“少女”という言葉を耳にしたり目にしたりすることが多かったです。 
 自分が大人になってからの“少女”という言葉の響きには、こちらの胸を苦しくさせる秘密がある…ような気がする。籠の鳥であることの儚い美しさなんて、現実の女の子たちには全然感じないのに。  

 ちょっと前に某所で矢川さんの著書が話題になったとき、そういえば今まで矢川さんのお仕事にはあまり触れてこなかったなぁ…と思ったのでした。それとは別にアナイス・ニンのこの本も気になっていたので、平積みにされているのが目にとまり手に取っていました。矢川さんの翻訳もの。

 『小鳥たち』、アナイス・ニンを読みました。


〔 四日目、マニュエルはテラスに出た。十時は休み時間だ。校庭は活気づいていた。マニュエルにとってはさながら脚とスカートの狂宴だった。ごく短いスカートで、競技中に白いパンティがのぞいて見える。マニュエルは興奮してきて、鳥たちのあいだに佇んでいたが、ついに事は計画通りにはこんでくれた。少女たちが上を見上げたのだった。 〕 17頁

 収められているのは、「小鳥たち」「砂丘の女」「リナ」「二人姉妹」「シロッコ」「マハ」「モデル」「女王」「ヒルダとランゴ」「チャンチキート」「サフラン」「マンドラ」「家出娘」、です。
 アナイス・ニンのことをほぼ何も知らないと言って良いくらい、私の知識は乏しいものでしたが、なぜか名前を見ると顔だけはちゃんと浮かびます。やはり、一度どこかで見たら印象が強く残ってしまう魅惑的な容姿なのでしょうね。蠱惑的でさえあります。
 一人のお金持ちの老人のためだけに、匿名で書かれたエロチカ…。すでにこの設定の淫靡なことったら…! 矢川さんの解説によると、“詩は切り落せ”というのが注文主の至上命令だったそうです。電車の中で読んでたりしたので、いささかどきどきしてしまいました。煽情的でもなくねっとりと湿潤でもなく、それでいて、初心な娘に手取り脚取りの手ほどきを施すような繊細な筆致が、素敵に妖し過ぎまする。

 そんな中で表題作の「小鳥たち」は、一人の男のフェティッシュをやや滑稽に、どことなくおとぎ話のように描いていて、可笑しみの中にそこはかとない哀しみの味わいが好きでした。どの作品にも清冽な気品と洒落っ気があって、それを訳している矢川さんの言葉の選び方のセンスがまたとても洗練されています。


 で、近くの図書館分室でぶらぶらしていた時、目の前に現れたのがこの一冊でしたので、即借りでした。
 『アナイス・ニンの少女時代』、矢川澄子を読みました。


 アナイス・ニンの死後、改めて世に出された無削除版の日記の中の『ヘンリーとジューン』を読んだ矢川さんは、アナイス・ニン観が180度変わったそうです。“いったいこの女人はどういう人なのだろう”…と。
 たった一人の最愛の夫がいて、緊密な絆を最後まで結んでいたにも関わらず、別の男によって性の喜びを教えられ、また違う男たちとも付き合い続けた女性。そして、“私が味わっている自由は、彼からの贈り物”と言い切れる夫婦の信頼関係…! 究極と言えば、これほどの究極の愛がありましょうか。「好きだからこそ独占したい」なんて台詞が、何と遊戯じみて聞こえることか。普通の人には到達することはおろか、理解することさえ難しい域であることも事実だけれど、相手のすべてを受け入れるということを突き詰めていくと、そういうことになるのかなぁ…。などと考えつつ。

  この一冊の中では、特に少女時代に照準を定め、彼女の日記からアナイス・ニンという稀有な女性の魂の萌芽を、読み説く試みがなされています。アナイス・ニンのアナイス・ニンたる所以は、少女時代に隠されているにちがいないと。
 父親の存在が少女の中で神のようになっていく過程など、とても興味深く読みました。それからとりわけ印象的だったのは、“不愉快な事柄からはわざと目をそらす”という矢川さんの指摘でした。たとえ日記の中であろうと、本当に向かい合いたくない嫌な事実を書く気にはなれない、心に圧し掛かってくるようなことを文章にしたくない、というのは自分にも身に覚えがあるのでとても納得出来ました。日記を、単なる逃げ場には出来ない少女の矜持。
 “いくら「親友」のつもりの「日記さん」にでも、これだけは悟られたくない秘密、というのが、この少女にはたしかにあったのだ”という文章の後で、少しアンネ・フランクに触れられていますが、アンネの陽性なあけすけさとは確かに対称的です。家族関係に関する限りは、アンネの方がアナイスよりはずっと恵まれていたのではないかと、矢川さんは比較されています。

 美貌の作家として知られているアナイス・ニンですが、幼い頃には自分は醜いと思い込んでいたこと、カトリック的純潔主義の教育を受けていたことなど、大人になってからの彼女にどのように繋がり、どのような影響を及ぼしていたのか…というところも、もっともっと知りたくなりました。
 アナイス・ニンの少女時代をめぐる矢川さんの旅は、アナイスの前にヒューゴー・ガイラーという、永遠の伴侶でもあり「父」という存在でもある男性が現れるところで、幕を閉じます。

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