『 HARD & LOOSE 』 れいめい塾 津市久居

塾頭の『れいめい塾発 25時』
三重県津市久居にある学習塾『れいめい塾』の塾頭のブログです。

お知らせ

津・松阪地区で高校入試における内申でお悩みの方は、無料相談承ります。
メール(reimei.nakayama@gmail.com)またはお電話(059-255-1123)で、れいめい塾まで『内申の件で』とご連絡ください。

じょじょに沸騰していく

2013年06月18日 23時17分35秒 | 塾の風景

人也、遅がけに登場。西橋内は来週明けから試験だが・・・試験範囲を持ってこなかった。とりあえずは数学の連立方程式が中心となるようなので、難度の高い計算問題から。

東の中2には今日から一週間死ぬ覚悟で勉強しろとは言ってみたが・・・アナログなんかねえ。ただ、中1の頃はなかなか俺の言葉が届かなかった気がするが、ここ最近は案外近くになってきたような気配。皆が順位を上げてきた。一番の不安は中間試験の成績で満足してしまい、期末で手痛い痛打を受けることだ。ここは鞭を打ち続ける一週間になるはず。さあて、皆はどこまで往く。

中2の先輩に感化されたのか、中1の郁弥も粘っている・・・包帯を撒いた右手で数字の1から100の英単語を書いている。なかなか健気だ。

鳥人間の授業は三角比のさらなる公式に入った。このあたりからが大変なのだ。

麻友子(三重特進2年)が先週の授業、2002年度の英単語NO;2の諮問試験にやって来る。やはり嬉しい。中学生を教える合間を縫うように真ん中の部屋で試験・・・ミス10ほどか。じゅうぶん、それよりは半分ずつでもいいからスピードアップを図るようにと伝える。

中2は一挙に明治維新に踏み込む・・・果たしてここまで試験範囲に入るかどうか、微妙だが授業が進むと信じて一歩踏み込む。そして附属中学の理科の解説、こっちは有紀だ。

さらに壮次郎(三重特進2年)も諮問試験だ。はやり先週の金曜日の分、2002年度のNO;3・・・明日は雪でも降りそうだ。さっき、真喜子(久居高校3年)もさつき(21期生・名城大学人間学科4年)相手に諮問試験。これが日々の原風景ともなればウチの塾も新たなステージに突入するはず。

 

ちんたらと「れいめい東京会」を書いてきた。楽しさもひとしお、ゆるりと書きながらの思いだし笑い。でも、塾は期末試験待ったなしの状況に入りつつある。愉悦に浸っている暇はない。今夜、無理してでも一挙に書き上げてしまおう。

そういえば久居の『ルート・イン』近くに今日から『すきや』開店。これで夜食は決まった。

今井(12期生・インテリジェンス)からメール。「れいめい東京会」に参加したかったが奥さん、予定日を過ぎても産まれない。奥さんのそばから離れるわけにはいかず出席を断念していた。メールでは依然としてまだだとか・・・ともあれ、子どものことばかりにかまける熱い親にならないようにと釘を刺す。

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日常が戻ってくる

2013年06月18日 20時42分49秒 | 塾の風景

小6の稜大が正負の四則混合計算で苦戦している。まあ、小学生だから仕方がない・・・しかし、すべての途中式を書かせるところから始める。

優希(高田文理3年)は高校の帰りに塾に来させるようにした。最低でも次の期末試験までだ。英文法では200問ほどが宿題に出ている。問題集はZ会の「アップ・グレード」 基本の問題が多いが良書ではある。形容詞と副詞・・・少しずつ解説していく。

中1の郁弥、指を骨折したので筆記で困っている。試験まで一週間・・・仕方がない、簡単な英文から書かせてみる。

中2の有紀は明日、期末試験の範囲発表。何が怖いかと尋ねると数学・・・なんで? とりあえずは連立方程式の一番難度の高い問題をさせる。理科が電流と電圧に入った。この範囲がどこまで進むか・・・オームの法則まで進むのか。ともあれ、明日から厳しい一週間が始まる。

星河と智照もまた明日が試験発表。中学の授業でやっているのが国文法の用言・・・果たしてここが入るかどうか。とりあえずは五段活用とそれに伴う音便が3種類、さらに上一段活用と下一段活用までは教えておく。果たして明日の範囲、どこまでか・・・。さらに歴史も今の範囲・・・ペリー来航から大政奉還の流だとあまりに狭すぎる。前回の中間試験のように、土壇場で間に合わせるのかどうか。たぶん、殖産興業まで進めるんじゃないか。

後から亮が合流、国語と昨日の連立方程式の残りから始める。今夜は人也は来ないよう・・・。

そして今夜は鳥人こと勇太(三重大学工学部機械工4年)の授業だ。余弦定理の実践に入っている。

 

クリックでの激励、ほんまにほんまにお願いします。

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友、習志野より来たり れいめい東京会・Ⅱ

2013年06月18日 15時33分29秒 | 塾長の友人

津高時代のダチ、日置から face book で友達申請が来たのは半年ほど前。俺の学年の俊英の一人だ。東京大学に現役で合格、在学中に司法試験に合格する。池袋に弁護士事務所を開いたことは手紙で知った。ところが face book での経歴・・・いつのまにか早稲田の法科大学院の教授になっているし、神楽坂でも法律事務所を開いているやん。

ともあれ、20年以上会ってなかったのに、ある日友達申請・・・こんなサプライズがあるのが face book のいいところ。上京した際には会おうや・・・東京へ来るなら、なるべく早く知らせろよ・・・今度、東京でウチの塾の同窓会みたいなんやるねん・・・そんな流れで今回のイヴェントへ招待する。

「15日は習志野で講演会があるんで、それが終わってから行くよ。午後8時くらいかな」 弁護士でもあり、早稲田大学法務研究科教授でもある。さあて今日はどちらの顔。その習志野の講演会というのがこれ・・・

日置の face book のエントリーの節々からは数多くの住民運動に参画している気配がした。それは水俣や芦原原発でフィールドワークをこなしてきた森下(8期生・和光大学専任講師)の研究対象ともリンクしそうな気がしていた。

飲み始めた頃に「午後9時頃に着く」とのメール。9時前になると、俺は部屋の外に出て店の入り口の前のエレベーター横に座って日置を待っていた。部屋の中からは古西(12期生・JT)と前田(6期生・千葉大学医学部特任助教)の嬌声が響いていた。重そうなナップサックを背負った日置がエレベーターから出てきた。「久しぶりやな」 「10年・・・もっとかな」 「20年くらいや」 そして握手、最も騒がしい部屋の襖を開ける。

日置はかけつけ何杯だっけ・・・暑かったこともあるだろうが、かなりの勢いでビールのグラスを空けていた。昔、確か雪が谷大塚の下宿にやっかいになった時に飲んだ記憶がある。話し方と同じ、淡々と飲む酒だった。ところが30年ほど前とは別人のようにフルスロットル。その飲み方とは対極、話しぶりは昔の印象そのまま・・・自分がかかわっている最近の活動について、淡々と話していく。俺は突発性難聴、細部までは聞き取れない。横には森下、いつしか日置の話に引きずり込まれていく様子が見てとれた。「案外とオマエの研究とリンクしてるやろ」と俺、頷く森下。日置が話す内容に対して森下が質問を繰り出していくかたちで時間が過ぎていく。内容は反原発の運動のようだったが、なにせ部屋の中は阿鼻叫喚のるつぼのごとし。聞きとれない・・・でも安堵する。

俺が今の森下に指導することはできない。そんな知識は持ち合わせていない。ただ、知人のなかで森下に似合いそうな人物なら紹介できる。たぶん、社会に巣立った塾生たちに俺がしてやれることは、その程度のものだ。

その意味では瞭(20期生・名古屋大学工学部機械虚空4年)と玄太(24期生・三重大学医学部1年)の親父さんもまた同様。サッチャンが東京大学医科学研究所の特任研究員になったこともあり、東京大学で職員をされている親父さんのほうから紹介したい人物もいるからと参加していただいた。ところがサッチャンに留まらず、前田が世話になっている方も親父さんと同期だとかで、この狭い空間からいろんな繋がりが広がっていく。

「中山、2100年の日本の人口はどれくらいになると思う?」と日置。「・・・6000万くらいか」 「いや・・・4000万だ」 「・・・」 「江戸時代の人口が3000万ほど。4000万と3000万、差はあるが、ここはほぼ同じとすれば、これからの日本の居住環境は江戸時代のようなスタイルを想定しなくっちゃ、そう思う。僕が住んでる神楽坂はね、半径100mくらいで、ほぼ全ての必需品が揃う。わざわざ車で買いにいかなくてもいい。運ぶのに難儀するものなら、後から届けてくれる。ところがさ、三重県もだけど、地方じゃ大規模店が郊外にできて久しい。人口密集地から遊離して存在している。今はそれほど不便じゃない。でもさ、車の運転ができないような年齢になったらどうするんだろう。・・・つまりさ、近視眼的な計画でここまできたけど、これからはもっと先を見すえて、今の若い子たちが死んでいく頃の日本を想定して都市計画を行う必要がある」

突発性難聴の俺には切れ切れの言葉の断片・・・正確な表現ではないが、大まかでこんな感じだったはずだ。それからは若者論・・・ありがちな中堅管理職の嘆きとは一線を画す。これはまた、稿を改めて。

二次会では場に慣れたようで、あるいは旧友に愛想を尽かしたのか(笑)、北野君(築地の大きな病院)と橋本ドクターの席に自ら押しかけて話し込んでいた。

今日の遭遇が森下だけでなく、20年ぶりの再会・・・日置にとっても価値あるものになれば、・・・してやったり! 俺は一人ほくそ笑んでいる。

 

昨日は久しぶりに会えて良かった。これをきっかけに時々飲みたいね・・・東京から塾に戻ると日置からのメール。

日置、秋にはまた東京に急襲や。そのときはアンタのホーム、神楽坂で飲もや。できれば静かなほうが、ほんまありがたいねん。

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