『 HARD & LOOSE 』 れいめい塾 津市久居

塾頭の『れいめい塾発 25時』
三重県津市久居にある学習塾『れいめい塾』の塾頭のブログです。

9月30日

2006年09月30日 04時45分09秒 | Weblog

今年教科書が変わったこともありプリントの作成に追われている。
しかし、このプリントもまた近いうちに打ち直しを迫られるかもしれない。
カタカナを散りばめるなど、ファジーなコメントゆえに冷笑されがちな安倍晋三の所信表明演説だが、こと教育問題に関してはそれなりの息吹が感じられる。
「すべての子どもに高い学力と規範意識を身につける機会を保障」する・・・
「学力向上については、必要な授業時間数を十分に確保」する・・・
つまりは教育における「失われた10年」、いわゆる「ゆとり教育」との決別?
演説内容全般から判断するに閣僚主導で練られた文案と思われる。
文部科学省の検閲を通している以上は、徐々に「選ばれし者」を選抜する教育体系へと移行する布石と考えられる。

ともあれ数年後のことは考えずに、まずは2週間後に迫った試験の準備だ。
しかし軟弱な俺は、新しいプリントを完成させるたびに束の間の快楽に逃げ込む。
トルーマン・カポーティの『冷血』

徹底した取材と膨大な資料を駆使して、事件を再構築して見せる手法。
一時期、沢木耕太郎が採り入れ一世を風靡した手法だ。
沢木耕太郎の肩書き・・・ニュージャーナリズムの旗手。
つまり『冷血』は、その後のニュージャーナリズム勃興の先鞭となった作品である。
今回読んでいるのは新訳の新潮文庫の『冷血』
それもあるのだろう、41年前の作品であっても決して色褪せることがない緊張感。

本筋から離れる。
『冷血』のなかで、メキシコにトンずらした犯人2人組が車をパクッてアメリカに舞い戻る。
そしてヒッチハイクをしていた2人組を車に乗せる。
親戚を頼ってテキサス州に向かう二人連れ・・・少年と体調を崩した少年の祖父。
犯人の一人ディックは車に乗せることに反対する。
金目の物を身につけているハイカーなら強盗目的で乗せるつもりが、この二人は見るからに貧相。
しかしもう一人の犯人ペリーが悲惨な過去を持つかつての自分を彷彿とさせる二人組を仲間割れ覚悟で乗せる。
車中、ペリーが少年にたずねる。
「あんたたち、どこへ行くんだい」
「テキサスのスイートウォーターにいる親戚の家に行くところなんです」
「スイートウォーター? スイートウォーターってどこだ」

スイートウォーター・・・メイブリィの故郷だ。

かつて、津のなぎさ町へ行く道とヨットハーバーへ行く道が交差する四つ角に『スイートウォーター』という店があった。
店主はアメリカはテキサス州出身のメイブリィ。
彼はアメリカの企業から日本鋼管へと派遣された技術者。
しかし、異郷のこの地で恋に落ちた。
愛する彼女と結婚するため、過去のキャリアを投げ捨てた。
そして一人の異邦人、グッド・テキサンとして津にやって来た。
俺は久居でアパートを探すものの、外国人というだけで断られた。
結局は俺のダチのつてで河芸にアパートを借りた。
密月が始まった。
数年後、メイブリィはアメリカンリヴをメインにして店を開いた。
その当時、アメリカンリヴの知名度は低かった。
俺にしたところで、アントニオ猪木が始めた『アントン・リヴ』に行った経験ゆえの僥倖。
津みたいな町にアメリカンリヴが流行るのか・・・はなはだ不安だった。
メイブリィに聞いたことがある。
「アメリカンリヴって日本でいうとどんな感じの食事なん?」
「鰻丼みたいなもの・・・子どもたちにとってはちょっと豪勢な食事なんだ」
「まあ、津の子どもたちは少なくとも他の地域に比べれば鰻好きやろな。ところでメイブリィ、なんで店の名前をスイートウォーターにしたんだい」
「スイートウォーター・・・これはね、僕のテキサス州の故郷なんだ」
「有名なところ?」
「いいや、テキサス人だって知らない人がほとんどじゃないかな。でも、いいところなんだよ」
そう言っては愛嬌のある笑顔でウインクをした。

俺は頻繁に『スイートウォーター』に出入りした。
アパートを世話したダチも常連だった。
三重県ロックシーンの重鎮・中野重夫ことシゲさんも英会話の勉強にとバイトにもぐりこんだ。
ウチの4期生の横山もバイトに送り込んだ。
みんながメイブリィを応援したかった。
見事に太平洋を越えた愛を成就してほしかったのだ。
メイブリィの愛した女性は、かつて俺が大好きだった女の子の姉ちゃんだった。
なんとか店が軌道に乗ってほしかった。
そして数年がたち、メイブリィと彼女はめでたく結婚した。

出会ってから結婚するまでに7年・・・。
しかしメイブリィは結婚後5年で突然この世を去った。
居間に横たわっているメイブリィを俺は眺めていた。
お嬢(メイブリィの奥さん)の気持ちを斟酌すれば何も言えない。
しかし男の身勝手を承知で言えば、メイブリィは最後まで自分らしく生を貫いた。
愛する女性と永久に生きるためにメイブリィの人生はあった。

俺は残される者にかける言葉を持ち合わせていない。
ただただ不遜な物言いが許されるならばだ。
残していく者は、残される者達を斟酌すべきではない。

いつもながらの脱線の螺旋。
ただ最後の3行だけを、昨日深刻な顔をして塾にやって来たかつての塾生に送る。



娘のれいとめいと奥さんを連れ『ミルクパレット』へ。
場所は説明しにくい。
メッセウイングの近くで、一色橋と中勢バイパスの安濃川橋にはさまれた場所。
中村牧場内にあり、乳製品を販売している。
牧場で飼われている乳牛からのしぼりたて。
濃厚な味わいのミルクやアイスクリーム。
束の間の家庭サービス・・・末娘のあいには極秘だ。

隼人が転入試験の課題レポートの要項を持ってくる。
「2007年問題」「地球温暖化」「NGO・NPO」「国際紛争」「まちづくり」「政府開発援助」「男女共同参画」「スポーツ文化」「危機管理」「ソーシャル・アントレプレナー」
以上のお題から一つ選んでA4に10枚以内でレポート作成。手書きだ。
試験は11月初旬。
さあて、どのテーマを選ぶべきか・・・。
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9月29日

2006年09月29日 14時33分32秒 | Weblog

マッツンが上がってきて封筒を渡す。
平成18年度の事業所・企業統計調査である。
「ユタちゃんの親父さんがやって来て、これを先生に渡しといてって」
「マッツンももろた」
「ええ、10月6日までに書いてくれって」
俺にしろ、マッツンにしろ、事業やら企業やらといういかめしい肩書きになかなか慣れない。
やっかいなことにその自覚がない。

3階の窓から顔を出したマッツン。
「ここから見える風景、変わりましたねえ」
桜ヶ丘と野村を隔てていた丘陵の開発が進んでいる。
それから変貌しつつある桜ヶ丘についてひとくさり。
桜ヶ丘には子供の声が聞こえなくなった。
活気はいつしか桜ヶ丘東に移り、宅地はほぼ埋まったとか。
そして今は桜ヶ丘東の時代だという。
個人業主のはずのマッツン、油を売りすぎたのかいそいそと店に戻る。

今年から教科書が変わった。
ことに社会の内容への影響が大きい。
久居中は教科書では扱っていない三重県を教え、歴史にはいった。
東は教科書通りに愛知・福岡・大阪から北海道と沖縄へと進む。
ともに試験2週間前となった。
それぞれの中学で対応を考えねばならない。


今日の小学生の授業は太陽の動き。
みんな地球が自転していることは知っている。
じゃあ、地球の赤道上における速度。
時速と秒速を調べる。
秒速約460m・・・。
出てきた数値がいかにとてつもない数値であるかを実感してほしい。
そして今が筍、秋分の日ゆえに春分の日と秋分の日は太陽が真東から出て真西に沈むこと。
秋分の日・冬至の日・春分の日・夏至の太陽南中高度の計算式。
それを35度の日本を例にとって説明する。
そして世界地図に線を引かせた地域での太陽の一日の動きを想像させる。
地域は赤道上・北回帰線・北緯66.6度・北極の各地域。
知識では北極では太陽が一日中沈まないということを知っている。
しかしなぜそのような現象が起きて、太陽はどのような軌跡を動くのか。
小6には物知りの生徒が多い。
楽しみではある。
しかし知識偏重のきらいもある。
単なる知識だけでは何もならない、何もできない。
なぜそうなるのか、どうしてそうなるのか・・・それが大切だ。

明日は各中学で文化祭が挙行される。
それもあって出席者は少ない。
いっぽう今日から前期の期末試験が始まった津高はテンパッている。
今日は沙耶加(皇學館大学教育学部1年)を高校生の援軍にふる。
しかし難度が高い数学の問題で四苦八苦・・・たまにはええやろ。
沙耶加は幼児教育とに一点張りだが、これもまたどうなるか。
小中学校の教職勝負になったら教えるのに苦しんでいる数学が生きる。
教職だけでなく、公務員試験でも同様。
せいぜい苦しみなさいな。



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9月28日

2006年09月28日 10時32分12秒 | Weblog

允(14期生・京都産業大学3年)がやりやがった!
阿波踊りで賑わう灼熱の徳島からスタートした允の四国八十八箇所の巡礼。
先週、ついに全ての寺を巡り終えたとか。
快挙である。
なにしろ徒歩なのだ。

「今までの俺は高校受験や大学受験も含め、自分で一旦は決めたことで満足がいく結果を出したことがない。今度こそは最後まで、とことんお遍路さんしてみたいんや・・・」
允はお母さんにそう言ったという。
俺としゃべったときも允は生き生きした顔つきで中国へ行きたいと話していた。
「第一志望の大学じゃなかったっすから、この1年間はあまり大学に行ってなかったんすよ。でも最近になって、中国に行きたいなって思うようになって・・・。中国には昔っから憧れはあったんすけど、大学にいる中国からの留学生たちと仲良くなって、それで中国が身近になって・・・。今度こそ、絶対に中国へ行くぞって・・・」
今度こそ絶対に・・・允の気持ちは痛いほど分かった。
自分が願うことが叶えられない。
ことごとく裏目・・・。
今度こそ、今度こそ!

しかしいつまでたっても中国に旅立ったという話は伝わってこなかった。
妹の千紗(17期生・アジア太平洋立命館1年)は怖いもの知らずだった。
いい意味でだ。
大げさに言えば、中井や小西から受け継いだDNA・・・世界に旅立つ・・・それが大学入学とともに爆発。
ライト感覚で若者は旅立つ・・・1993年度のセンター試験6番だ。
千紗はいとも気楽に異郷の地に旅立つ。

自由闊達に疾走する千紗を想い、その兄を想った。
受験の結果がそれ以後の人生においても大きな影を落とす。
絶対に受験生を落としてはいけない・・・。
今まで何度も何度も噛み締めた言葉を俺は再び噛み締める。
そんな今年の夏だった。
それが・・・。

突然、息子から四国八十八箇所の巡礼に行く!と宣言されたお父さんとお母さんもパニくったと思うのだが・・・。
「ほんとうにあの子は何を考えているのやら・・・」
そう言ってため息をつくお母さんい俺は言った。
「今までの自分をリセットするために四国があったんだと思います。何かをしたい!やりたい!と思うものの、結局は鬱々として下宿で過ごしている自分自身に対するふがいなさに決着をつけたい・・・。別段空海和尚に触発されたわけでもなく、たまたま四国の巡礼がそこにあった。もしかしたら塾の先輩、室戸岬の手前まで巡礼した今井のことが記憶に残っていたのかもしれない。でも、允にとっては四国でもどこでもよかった。新しい自分になるための達成感が欲しかったんだと思います」

阿波踊りの徳島から約40日間。
允が歩いた四国を俺は何度かおんぼろエスティマで走っている。
高校の頃には自転車で走った。
大学時代は、阿波鉄道の終点から歩き始め室戸の最御崎寺を巡り、土佐黒潮鉄道の始発駅の奈半利まで歩いた。
死ぬほどえらかったのを覚えている。
あの道をだ、あの道を徒歩で・・・。
よくやったな、允。
近いうちに京都へ行くよ。
俺の携帯、洗濯機の藻屑と消えて一切のメモリィも失った。
このブログを見たら、連絡してくれ。
京都で飲もうや。
四国の話をサカナにして。


今日は怠惰な午後を過ごし、塾にやって来たのは午後4時過ぎ。
なんとサプライズ!
大西君(立命館大学院)がいてるやん!
覚醒したかの表情でしゃべるしゃべる。
初めて会った頃を思い出す。
なお、大西君は週末まで滞在予定。

夏休みに森下がやきもきし、印刷所を待たせての論文執筆には間に合ったという。
テーマは明治期の文化人、大村西崖について。
美学が西洋から日本に持ち込まれたのはバロンの著作を約した中江兆民だ端緒だとか。
しかし兆民ゆえか、美学であろうと恣意的に思想めいたエッセンスを翻訳に散りばめたことから、実質的な日本美学の創生はそれ以後の大村西崖の手に委ねられる。
大村西崖は森鴎外に師事し、日本に初めて彫塑をいう概念を導入した。
モデリング(modeling)とカーヴィング(carving)を組み合わせての彫塑。
この大村西崖について調べるのが当座の大西君の研究フィールドとか。

「先生、京都はね、こと日本画に関しては大学もたくさんあるし美術館もある。探せばすぐに手がかりがつかめるんですよ。でもね、彫塑なんて日本画からすれば評価も低かったわけで、京都といえどもなかなかないんですよ。多分ね、民家の納屋や蔵で埃かぶってるんでねすよ。これを見つけるんが大変なんですわ」

10月には18日と25日に学会が開かれ、二度とも論文発表。
そして11月にはバリ島でアジア美学会議が開催され、大西君は師匠である日本美学界の重鎮・神林教授とともに出席する。
さらに来年には、アジア美学会議が京都で開催されるとか。
それも立命館大学院が主催するかたちでだ。
立命館大学院とすればOECプログラムの総決算の時期、引き続き文部科学省から研究助成金をせしめるためにこれ以上ないほどに華やかなエベントにするはず。
そこはそれ、株式会社と異名をとる立命館やもんね。
この会議を仕切るようにと、神林教授から大西君厳命されたとか。
今までの生活から一変・・・浦島太郎の覚醒度合いが気にかかるところだ。

中3は今日から試験期間に入る。
久居中と東中は2週間後から中間試験がスタートする。
中学では遅々として進まぬ公民を、一気呵成に国会から内閣まで説明する。
ここは強引に進むのがベストだろう。
国会と内閣を説明して、間髪入れずに試験。
そして地学・・・地球から見た星座の方向が時間によって変わることを例証。
ほぼ授業だけで深夜0時近くまで引っ張ることに・・・。

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9月27日

2006年09月27日 01時49分13秒 | Weblog

12期生の古西の真剣な顔をマージャン以外ではとんとご無沙汰だが、こ奴がふと吐いた台詞で俺が大好きなのがある。
いつだったか忘れた。
しかしオリンピックか、ワールドカップか、そういった国際大会のときだ。
日本のチームに声援を送る観客に対しての台詞。
「だいたいやね、自分とこのチームに声援を送るんは分かるけどさ、そんなに頑張れ頑張れって言うくらいなら、自分が頑張れよ」

この古西イズムが凝縮されるかたちで「頑張れ俺!」というフレーズがウチの塾にあっては一世を風靡する。

今の生徒と昔の生徒との違いを頻繁に聞かれるようになった。
20年間も塾をやっている。
この類の質問も必要悪として甘受するようになった。
頑張っている俺?

かつての塾生、当然古西もそうだがほとんどの連中が塾の先輩の合格・不合格までの軌跡を眺めては現在の自分と照らし合わせていた。
今の俺の成績より悪い横山先輩(横山、ゴメン)でも津高に合格したんや・・・それなら俺でも努力すれば津高にいけるんじゃないか、てな具合だ。

そこには複数のものを比較対照できる思考があった。
言い換えれば第三者の思考、客観的な思考というべきもの。
それがここ最近、希薄になっているのは事実だ。

今年の中3を例にとれば、横山以下の生徒は晃平だけだ。
となると残り全員が津高に合格するか?
かつての俺なら全員が合格すると断言できた。
しかし今の俺は躊躇している。
その躊躇の根拠、先輩の軌跡を自分の現在と比較対照できる生徒が少ないからだ。

例えば何がしかの感動的なエベント・・・キャッチなところで31年ぶりで開催された「つま恋」あたりで。
テレビでは「今日は元気をもらいました」という観客が多数いた。
賞賛する気は毛頭ない。
俺にすれば唾棄すべきコメント。
元気をもらいになんていくなよ、徹夜できなくなった拓郎を笑ってやれよ!
しかしだ。
そこにはいけてない現実の自分を正視している個人が厳然と存在している。
元気をもらう対象と自分を冷静に相対化し客観視している。
しかし「元気をもらう」という台詞、あるいはそれに準じた台詞、たとえば「俺も頑張ろうかな」といったような台詞を若い世代から聞く機会は少ない。

自分が自分として屹立しているのだ。
ところがそれでいて、こと他者のパフォーマンスともなれば日本の歴史上でも特筆すべき過剰な反応を見せる。
それも、勝とうが負けようがだ。
ワールドカップ、オリンピックをピンとすれば、キリともいえる昨今の飲酒運転に見られる報道まで、それは一貫している。
こと、他者に対しては狂想曲の時代・・・。
批評家、あるいは評論家であるならば、この上ない辛口の観察者として一家をなすに違いない。
しかしその批判の矛先、あるいは作用反作用のベクトルすらも、自己には投影しない、届かない。
自己は屹立している・・・。
それは鏡のようだ。
全てを反射する。
そして、自己はといえは、そことは別次元の場所に違和感なく屹立している。

自分だけの世界、”自分ワールド”の構築。
慌てて用意すれば、あるいは必死になって自転車をこげば学校に間に合うのに、焦らない。
自分の時間の全てをあてれば合格するのに、自己の楽しみの時間だけは当然のものとして差し引いて確保する。
余裕ある自分を最後でも演じていたいがために、いつだって必要以上に懐が深い。
そんな時代を生きる若者を相手に俺は塾を生業としている。

しかし弱音を吐くまい・・・自分とこの生徒が教えてくれたじゃない・・・頑張れ俺!
そのタームを今、俺は自分自身に対して吐く必要がある。
頑張れ、俺!


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9月26日

2006年09月26日 15時26分42秒 | Weblog

昨夜は遅がけから理恵(津高1年)と話していた。
最初は英語の質問にきたことから始まった。
その時俺は、キリンの麦焼酎を飲みながら竹内洋と猪瀬直樹の対談、”教養主義という「型」”を読んでいた。
よくあるように(他の塾ではどうだか知らないが)酔いが身体にまわっていくのを意識しながら理恵としゃべっていた。
私立文系に決めた理恵のこれからの勉強に対する姿勢めいたものを、酔っぱらいはひたすらしゃべる。
少なくとも言えることがある・・・。
ウチの生徒は将来飲み屋で酔っぱらいのあしらいだけはうまくなるはずだ。

理恵に話した内容は「津高からの帰り道に寄り道をしろ」ということ。
津高から一直線に伸びる道に疑いを持て!
この道を右に回ったらどんな町並みがあるのか。
163号を渡って新町小学校の裏手にはどんな町並みが広がっているのか。
気にならへんか。
今日は天気がいいから津駅まで歩いて電車に乗ってみるとか。
ただ教えられた道を、ただ最短距離だからという理由から、盲目的にいつも歩いている道を信じるなよ。
冒険しろよ。
そやないと早稲田や慶応は攻略できへんで。
この主張に対してやたら比喩を連発する酔っぱらい。
たまたま近くにあった講談社現代新書『他人を見下す若者たち』(速水敏彦)をネタに使い「こいつに、こんなナメたこと、他人を見下す若者なんて言われて頭に来やへんか」なんぞと質問する。
「最近のテレビや新聞、飲酒ばっかや。それもめちゃくちゃバッシングしよる。柳本ジャパン見ろよ、ワールドカップ見ろよ、なんや日本チーム決勝リーグに入るんが当たり前なんてノリや。宗教やで。自分のまわりを全て疑ってかかる・・・それが文系や」
言いたいことを言うだけ言うて、完全に酔っぱらって「じゃあな」って。
理恵、めちゃくちゃ可愛そうやん。

隼人へ。
とりあえず健介(津東2年)に日本史を教えるって言ってたけど、それに理恵も加えたってや。
奇特なことに日本史を志望するらしい。
理恵の志望は早稲田・慶応や。
とりあえずは日本の歴史マンガ、江戸時代の成熟期・・・家綱・綱吉・家宜・家継・・・あたりを読むようには伝えた。
叩き潰すように教えてくれればいいから。

深夜2時、悠志が週間の勉強カリキュラムを持ってくる。
どうした風の吹き回し・・・やっと受験生になったんかい。
酔いで溶けそうな頭でカリキュラムに見入る。
古典も現代文も現代社会も依然として生きている・・・噂通りに国公立で行くんかい。


14期生の小西(アジア太平洋立命館4年)から昨日の俺のブログにコメントが入った。
今日26日に韓国から帰ってきたそうな。
「それでもやはり韓国が好きなんだと再認識しました」
いいねえ・・・。
あれだけ裏切られて、傷ついて、それでもやはり韓国が好きか・・・。
恋愛における純粋な表現やね。
あとは自分が今まで培った武器を過小評価せず就職試験に臨むこと。
何かあればメールをください。
暇そうな甚ちゃんともども、手ぐすね引いて待ってます。

今日は高田高校の体育祭。
といってもウチの娘は見学に終始しているはずだ。
体育祭だけでなく、体育の授業も見学が続いている。
教室の後ろにはアキラの親父が福井から持ってきてくれたパソコンデスク。
れいはそれを使って立ったままで勉強している。
「センター試験どころではないでしょう」
そう言ったのは橋本ドクター・・・そうなのだ、それどころではない。

午後7時前に中3のダイキが姿を見せる。
ちなみにウチのHP上で「京都の夕暮れ」というブログを書いているダイキは17期生の森岡(立命館大学法学部1年)のこと。
中3で今だ野球を続けて土日に塾に来れないダイキ(いやな表現やな)に一問一答。
「三重高の梅村君はどこに指名されたか?」
すかさず「オリックス」・・・さすがやね。
「じゃあ、今年三重県から東海大会に出場する高校2校は?」
知らないようだ・・・。
「オマエ、ほんまに野球やってんの。菰野と海星や」
「へえ」と感慨深げ。
「菰野のピッチャーがすごいな。1年生ピッチャーが2人いる。準々決勝と準決勝で2人が投げてる。ともに中学時代に菰野ボーイズに所属している」
現在津ボーイズに所属するダイキ、何かを思い出そうとしている。
「おったな、去年おったわ。球が速かった」
「そんな1年が二人もおったら、ここ2年ほど菰野は安定やな」
そして塾らいし一問一答へ。
「今日、内閣総理大臣に選ばれたのは?」
「安倍晋三」
「ちなみに成蹊大学や。じゃあ、何代目の総理大臣や」
「・・・分からん」
「90代目や。初代総理大臣は?」
「伊藤博文」 これには笑いが漏れる。
「財務大臣は?」
「・・・分からん」
「尾身幸次(おみこうじ)、ちなみに一橋大卒や。じゃあ外務大臣は?」
「・・・麻生・・・麻生・・・」
「太郎ちゃんや。ちなみに学習院出身や」
「大学まで覚えるの」
「アホ、そんなん覚えんでええわい」
そこへさつきがやって来る。
「今日、内閣総理大臣になったんは?」
「安倍晋三」
「小学生レベルや。じゃあ財務大臣は?(沈黙)じゃあ外務大臣は?(沈黙)じゃあ、官房長官は?(沈黙)。さつき、ソーランの練習で頭打って頭アホになったか」
いつもの塾の風景が始まる。

中2は一次関数の総復習。
B4で10枚というボリューム。
しかし7月にやった公式、何度も何度も暗記させた公式を忘れているのが朱穂と梨紗。
必ず忘れないように家で毎日復習するように・・・。
頷くのは得意なんやけどな・・・何度言っても覚えない。
ソフトボールにしろバレーボールにしろ、ルール覚えてへん奴がレギュラーになれるか?
クラブに秀でているのならクラブと同じようにルールくらい勉強せえよ。

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1992.10.27ケーキ投げ大会!

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