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『 HARD & LOOSE 』 れいめい塾 津市久居

塾頭の『れいめい塾発 25時』
三重県津市久居にある学習塾『れいめい塾』の塾頭のブログです。

お知らせ

津・松阪地区で高校入試における内申でお悩みの方は、無料相談承ります。
メール(reimei.nakayama@gmail.com)またはお電話(059-255-1123)で、れいめい塾まで『内申の件で』とご連絡ください。

れいめい塾の入塾案内

2036年10月27日 00時00分00秒 | Weblog
住所:三重県津市久居野村町516-6
電話:059-255-1123
mail: reimei.nakayama@gmail.com

塾生の募集状況(2025.4.1現在)】
中学1年生 4人(月謝27,000円)
中学2年生    4人(月謝28,000円)
中学3年生 0人(月謝38,000円)
高校1年生 4人(月謝35,000円)
高校2年生 4人(月謝35,000円)
高校3年生 1人(国公立受験月謝52,000円・私立受験月謝47,000円)

浪人は高校3年生と同じですが、高校3年間をウチの塾生として過ごした生徒は、月12,000円です。

大学進学実績 
 2021〜2023年度2024年度をそれぞれご覧下さい。

入塾を希望される場合は電話かメールでご連絡ください。
2週間ほどの体験期間を設けてありますから、ご連絡の際にその期間を相談することになります。

【今年度の広告】
れいめい塾の雰囲気を知っていただくには、塾生・OBOGが寄せてくれた作文で構成されたチラシが一番だと思います。もしよかったら以下のリンクからお読みください



上越奇譚

今回の広告で俺にすれば個人的に驚愕する事実が発覚した。耕治(10期生・田辺設備)が広告の中で、新潟大学工学部に合格したものの第二志望だったために、合格したことを誰にも言わずに近畿大学に進学したと書く。おいおいおい、第二志望でも合格したなら言えよ! 小田講師から理系教科の仕上がりの良さも聞いていた俺は、なんで新潟に落ちたかがずっと腑に落ちなかった。つまりは27年目にしてカミングアウトだ。

大学入試でうまくいかなかった生徒については、大学進学後も付かず離れずという距離を保つようにしている。耕治の場合も大阪まで飲み会という名の偵察に、就職してからも上越まで足を伸ばした。すぐに結婚したが数年後に離婚した。ところが縁があって行きつけの『梅林』という食堂の娘さんと再婚した。それでも気になる俺は二人の様子を伺うために「上越謙信酒祭り」ツアーを敢行する。
このときのブログはれ、そしてこれ



このツアーに随行した里恵(8期生)が、ゲームを通して知り合った男性と初めて会うとなった。男性は奇遇なことに上越で暮らしていた。あの時代だ、ゲームを通してお付き合いする・・・昭和の俺にはちょっとばか引けた。しかし、考えてみればゲームを通しての会話のなかで互いの心根をよく知ることもありえる。俺たち夫婦のように見合いまがいで知り合い、結婚式までに会った回数が4回なんて夫婦よりははるかに互いをよく理解しているかもしれない。ともあれ、「上越謙信酒祭り」で二人の距離は一挙に縮んだとも言える。

記憶は暴走する・・・耕治の結婚は『梅林』の親父さんが客としてやって来る耕治の性格を愛して、自分の娘を勧めた・・・と思っていた。そう聞いたのか、そう勝手に思い込んでいたのか、ずっとそう思っていた。ところが今回の「上越れいめい会」で驚愕の事実が明らかになる。耕治の奥さん、ちょっと酒が入ってたのか、絶好調でなれそめを聞いた俺に話し出す。「実はですね、他の人と結婚決まってたんですよ」 一同驚愕、それを意に介さず奈っちゃん、「でもマリッジブルーっていうのかな、結婚式が近づくにつれて『この人でいいのかな』って鬱々としてたんですよ。その頃にパソコンが壊れてしまって、知り合いに言うと『俺の友達でメカに強い奴がいるから、そいつうまくやれるんじゃないかな』って、それでお願いして修理に来てくれたのが耕治なんですよ」 すかさず奥さん、「白い馬に乗って王子様がパソコンを修理しに来たのね」 「そうなんです!」と奈っちゃん。里恵も「耕治、略奪愛やん!」「そう、私略奪されたんです!」 ・・・奈っちゃん、絶好調である。


里恵は10年ほどの付き合いの後、3年前に上越に嫁いだ。最も三重県から出そうにない女が上越に嫁いだ。人見知りの激しい旦那さんらしいが、里恵を見る視線が優しい。去年の「上越れいめい会」からは今回、俺たち夫婦もまた旦那さんとの距離を縮めた気がする。

一時期、住友電装での就職を紹介しようかと考えたが、耕治は「上越はいいところですよ。夏は海、泳ぎに釣り。そして冬は山、スキーにスケボー。ここは離れたくないなあ」 そう言うのを聞いて断念した。雪の訪れを face book にアップしては騒ぐ里恵にすれば異議を唱えるかもしれないが・・・。


上越は俺にとっても思い入れが深い街だ。捨て童子・松平忠輝・・・家康の子供だ。伊達政宗の娘・五郎八姫を娶り、高田城を修築。しかし2代将軍・秀忠により伊勢の朝熊に蟄居。さらに高山の金森氏に、2年後には諏訪の諏訪氏に預けられた。諏訪湖畔に浮かぶ高島城で50年以上もの歳月を過ごした。家康が今際の時に生母を通して忠輝に授けた「野風の笛」・・・信長から秀吉へ、さらに家康へと渡った天下人の笛は、先日訪れた諏訪の貞松院で保存されている。

上越の街が耕治と奈っちゃんを結びつけた。そして二人の探索に出向いた旅がきっかけで、里恵もまた上越暮らしを始めることになった。
そんな思入れ深い上越の地を、俺と奥さんは1年に1度訪れる。



過去の記事




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半世紀ぶりの清水多嘉示

2025年04月25日 12時03分07秒 | Weblog
清水多嘉示には関心があった。
津高で森谷画伯(本人がそう呼べと言ってたっけ)に教えを受けた頃に、清水多嘉示の話が出た。森谷画伯は滅多に人を褒めないが、けなすこともなかった。そんな画伯がなぜか、清水多嘉示にはよい印象を持ってなかった。「画伯は『白装の娘』を気にいらないんでしょ」と聞くと「なぜ分かる」「だって鼻の線がきつすぎる。画伯の言うところの本質を捉えるという意識から逸脱してますよ」「彫刻はどう思う」「彫刻は守備範囲じゃないんで分かりませんけど、裸婦像が多いですよね。高校生には刺激がきつすぎますよ」「俺も月に一度くらい、モデルを招いて裸婦を描いてるぞ」「うらやましい限りです」

俺が高校生の頃、清水多嘉示は日展の顧問に就任。後に文化勲章を受章する。画伯からすれば、2世代ほどの先輩だが闘争心をかき立てる存在だったのかもしれない。

そんな清水多嘉示、長年そっちのほうから遠ざかっていた俺は名前すらも忘れていた。しかし、旅行のために八ケ岳を検索しているうちに、『八ケ岳美術館』に目を止めた・・・清水多嘉示は地元の原村の出身だと初めて知った。パンフの中に『白装の娘』、半世紀ぶりに目にした。


小雨のなか、美術館に続く小道を歩いていると・・・これは諏訪湖のどこかのホテルの前で目にしている。そうか・・・清水多嘉示の作品だったのかと合点する。


美術館前。


やはり裸婦像が圧倒的に多い。しかし少ないものの男性のものもあった。


これにはちょっと震えた・・・全盛期には女性のなかに躍動感を見い出したことがモチベーションに繋がったのだろうが、遺作ではあるがこんなんも造ってたんや。自分と照らし合わせて、生命の行きつくところもまた晩期のモチベーションとなったのかもしれない。
画伯がご存命なら、ぜひこの遺作の感想を尋ねてみたい。



近くにある八ケ岳自然文化園で昼食をとった。
眺望がすばらしいらしいとレヴーにはあるが、今日はあいにくの雨。たぶん雲の向こうには八ケ岳が広がっているんやろな。


菜月のお母さん、ぜひ一度「八ケ岳美術館」を訪問されたらいかがでしょうか。亭主(8期生・勇希)は近くの自然文化園にある遊具ででも遊ばせておけばいいですよ。


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日常が始まる

2025年04月25日 08時51分57秒 | Weblog

東京工業大学はしばらく間をおく。
次の英文を模索しながら、未明にかけていろんな英文を読んでいた。
とりあえずは神戸大学の英文がおもしろいかな。
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最前線に戻る

2025年04月25日 02時34分11秒 | Weblog
中3に理科の過去の実力テストをさせ、その解説を始める。


璃久が94点でトップ。以下、彪生の89点、敬意の81点と続く。
続いて数学・・・これは中3の1学期だが、平均点が83点と整ってきた。今から16年前の東の1学期の中間試験、平均点は67点だが・・・平均は83点に上がってきた。トップは敬意の94点、次いで華朋の88点、璃久の86点と続く。

ついでに津高1年の英文法の教材をさせてみる。理論の重要性について分かって欲しかった。


諮問試験は虎汪(津西3年)、最後は舷太(津西3年)。


偏差値70以上なら授業の出席に関しては各自の自由に任せる・・・これがウチのルールだ。その条件をクリアしているあんな(津高3年)は共通テストの俺の授業には出なくていいと伝えてある。舷太(津西3年)もまた、共通テストの授業は自由にさせている。しかし、それ以外に例外はない。



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なんとか戻る

2025年04月24日 19時10分25秒 | Weblog
奥さんと上諏訪の『 TSURUYA 』で買った寿司を分けて食べる。眼前に広がるのは北アルプスの雪。



食べ終わって、美ヶ原から久居への最短時間を検索。和田・・・か。ありがちなルートではなく一挙に1000mを下って和田の集落へ。


和田・・・日本史の世界やな。中山道一の難所、和田峠・・・黒曜石が採れる和田峠、翡翠は姫川だっけ。


この辺りは今は満開・・・そういや、ホテルの地元番組では県内の桜前線のニュースをやってたっけ。

和田の集落から142号に入り、水戸浪士たちの墓の横を通り過ぎる。
幕末に水戸斉彬の薫陶を受けた志士たちが京都にいる慶喜に攘夷決行を嘆願するために中山道を上洛。ここで命を落とした水戸浪士の墓がここにある。「一度、拝みたいんやな」と言う俺に奥さん、「お父さんとお母さんのお墓参りに今年は一度も行ってないでしょ、何を言ってるの」と一喝される。
午後2時半、岡谷インター・・・アクセルを踏み込む。

かなり飛ばして午後6時過ぎに戻る。
高3に、それぞれの教科を誰が教えるかを報告するように伝える。


さっそく始まる諮問試験、麻那(高田特選3年)。化学の授業を休んだのはクラブがあったからだとか。




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