『 HARD & LOOSE 』 れいめい塾 津市久居

塾頭の『れいめい塾発 25時』
三重県津市久居にある学習塾『れいめい塾』の塾頭のブログです。

『れいめい塾』発25時 過去ログ 2000.7.16 その2

2000年07月16日 10時31分21秒 | れいめい塾発 25時 過去ログ集

 河合塾が今年になり、今までのA判定からE判定に加えF判定というのを出した。F判定、つまりフリーだ。入試のボーダーがない。受ければ誰だって合格する。確かに大学全入になったことをヒシヒシと感じる。この近辺では芦屋大学にF判定が出ていた。しかし芦屋だけではなく多くの大学(河合塾では私大の18%にも達するという)がかつてほどの努力をせずとも合格できる。そして何の目的もなく大学生活を送る。バイトは遊ぶための費用、留学もまた物見湯山で国内旅行の延長でしかない。このタイプの学生、すなわち享楽追求型の人間が就職シーズンとなりやっと自分の将来というものを考え始める。村上龍が「学歴は崩壊した」と何度叫んでみても、今年もまたある一定以上の大学から有力企業に入っている現実がある。確かに崩壊しつつある。しかし企業側の論理として「無駄だとは思っても化けるかもしれへん。よっしゃ、採用してみよか」なんてノリで採用する余裕、今の時代なきに等しい。しかし成績が悪くても好奇心の強さ・一般的な見識の広さ・人を魅了するキャラクター、このようなものが備わっているならば、単に成績がいいという学生よりは秀でている。ウチの塾の現実的なスタンスは、文系の高校生にはある一定以上の大学、この場合は将来を見据えたうえでの専門的な勉強や研究ができる環境を備えている大学に行ってほしい。そして大学の4年間では最低限の勉強と自分の興味ある対象を見つけてほしい。学生空間から出て、社会の感性を身につけてほしい。学生間だけでなく、世間の人とも普通に話したいことを話せる普遍性を身につけてほしい。ここで俺には今イチ分からないのが理系の場合だ。俺もまた生徒たちには大学に進学する段階でほぼ自分の将来の職種が決定することを認識するようにと言っている。電気電子から土木へ就職する例はほとんどないし、理学部から医学部へもないだろう。となると学部を決める一瞬が将来の自分の職種を決めることになりうる。学部を決める時期は高2,3年。じゃあ、その時期に職業という意識をどこまで持っているのか? 数学や化学&物理が得意というだけの理由で理系に決定する。その危うさを高校生たちは全くといっていいほど認識していない。文部省が週休2日制を導入した。余暇の時間を利用して「自分探しの旅」をしてほしいとのネライだ。しかし中学生、しんどいやろな。でも高校生ならば自分の将来の職業と向かい合う時間が不可欠となる。ノッチンの授業、ウチの塾からの進路に悩む高校生へのサポートの一環。「自分の希望職種に就職するために学部を決めるべきである」という俺の発言にノッチンはクレームをつけた。「無理に就職する必要はないんだ。自分が何でメシを食っていくか? それを是非高校生のうちから考えてくれ」というノッチンの発言には唸った。高校生だけにではなく俺にとってもいい講義だった。いつのまにか、俺の思考も硬直化していたようだ。

 講義が終わった後で、俺とノッチンに村田君を加えて3人で飲みに行った。いろんな話をしたが、その大半を酔っぱらって忘れちまった。ただ、Sさんから聞いた話をした。そして医学部の禁忌問題について話した。ここ数年、成績優秀者が医師国家試験に落ちている。原因は禁忌問題。患者さんにこんな処置を施したら死に至らせるという設問をちりばめ、その選択肢を選んだら成績が良くとも落ちることになる。三重大医学部でも今年の国家試験で学年2位の学生が落ちたという。それに対してノッチンの感想・・・「でもな、それをできる医学部はすごいよ。その禁忌問題を出題することで改善を図っている。その意味では内部的には問題もあろうが、立命館も同じやな、すごいよ。賛否両論はあるだろうが改革への明確な意志が感じられる。しかし俺が所属する工学部は遅れてるよ」

 ノッチンは俺の家に泊まった。翌朝、2人でニュースを見ていると名古屋大学でおもしろい実験が行われたとニュースキャスターが報じている。2人とも画像へ視線が動く。その実験とは教官から学生たちがボール紙と生卵を渡され、ボール紙で工夫して卵を包み10階の高さから落とす。着地して卵が割れなかったら単位が修得できるという内容。学生たちは1週間ほどの猶予を与えられ工夫を重ねていく。なんとか着地のショックを和らげようとする。あるいは紙を細かく切って翼をつけて回転させながら落とそうとする。結局は半分以上の学生が合格したが、教授がこのような実験をした動機について語っていた。「最近の学生たちはまわりの現象に不思議だな?という感性が鈍っている。多分、小さい時から与えられた物ばかりで遊んできた。自分たちで物を作って遊んだという経験がないから、工夫できない。工学部は物作りが基本ですから、このような実験が刺激になってくれればと・・・」 隣りでノッチンがつぶやいた。「現場サイドが言うことは皆同じなんやな」

 今回のノッチンの授業は概論であった。次回からは各論に絞るつもりだ。数学・物理を中心として、絵を描くことにより記憶を定着させるプロセスを解説してもらおう。なにしろ自分の娘に2次関数の最大最小をニンジンを縦に切ることを例に説明した男だ。当然、ノッチンの娘さんは小さい時から料理の手ほどきを受け、包丁を使わせても上手いとのこと。薄っぺらい知識だけなら小中レベルならしのげるかもしれない。しかしある一定のレベルを攻略する際には皮相的な知識では限界がある。どうしても実学的な知識が不可避となる。小学生のご父兄には「れいめい塾通信」で何度も言っているように、子供には必ず料理をさせるように。さらに料理だけでなく、家のなかのあらゆる仕事を! それがイヤがれば子供たちに「外で遊べ!」と号令をかけてほしい。外での遊びにも料理同様に将来にいつか必ず役立つ貴重な経験が無数にある。一番やっかいなことは、自分の子供が机に向かって勉強している姿を見て安心する親たちだ。あげく勉強さえちゃんとしてくれるのなら、家の仕事はお母さんやお父さんがしてあげるから・・・なんて雰囲気、これが諸悪の根元なのだ。このような親たちの思考が子供を壊している。ウチのBBSでやってるテーマ『少年犯罪&政治に無関心な子供たち』・・・この遠大なるテーマの最も重要なキーワードとなるのが、このような親の姿勢。暗黙の中での価値基準の子供たちへの押しつけだと俺は睨んでいる。

 16日、1週間前には45歳のロッカーを見事に演じてみせたデンちゃんが、今日は毒舌の日本史講師として登場。その毒舌、今日も冴えわたり波多野が血祭りに上げられていた。

 BBSでおなじみの「ダーティー珍」ところの息子が、この夏はるばる福井からウチの塾に留学するそうな・・・留学、ここはオヤジ同士がプロレス者らしく「密航する」といこうか。名前はアキラ・・・立命館大学志望のアキラはウチの古い塾でどんな17歳の夏を過ごすのか? ウチの高3からどんな影響を受け、どんな影響を与えてくれるのだろうか? とりあえずDUOを購入して、その日まで英単語を磨いといてや。密航予定日は7月30日、今から楽しみにしている。

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『れいめい塾』発25時 過去ログ 2000.7.10

2000年07月10日 10時27分28秒 | れいめい塾発 25時 過去ログ集
前回の「25時」は反響が多かった。「メイちゃん、よかったですね」とか「塾の先生でも自分の娘のことで悩むんですね」など・・・。

 追伸かたがた、その後のメイの話だ。不思議なことに比のテストでなぜか98点取ってきたがった。やっきになって教えたつもりはない。ただ、何度も同じプリントを自分でコピーしてはやってる姿が目についた。「アホはアホなりに、算数苦手は苦手なりに少しは勉強方法を工夫したんかいな?」 来週にレイとメイの参観がある。ストレスが溜まったはず、これが小学校のほうではどんな変化があったのか? そしてメイに付きっきりの父親を眺めていたレイに変化はあったのか? そのあたりの風のそよぎを担任の先生に尋ねてみたい。つまりは俺も十分に親バカやで。

 鈴鹿中央病院第二内科に勤務する北野君が姿を見せる。7月から松阪市民病院に移った挨拶である。熊のような体躯を縮めては、パソコンでウチのHPを覗き込み大ハシャギ。こんな光景、とうてい医師には見えない。あげく自分のキャラクター紹介の間違いを指摘する。「先生、僕の父が亡くなったのは小6の時じゃなくて小5の時ですよ」 北野君が松阪市民、橋本君と中西君が山田日赤、田丸君が伊勢市民・・・近々、伊勢あたりで飲むことを約束して別れた。

 河合塾で浪人生活を送っている佐藤から連絡がある。全国統一模試の第一回マークの成績の報告がてらだ。佐藤の志望は獣医学科、大阪府立の狙っている。とりあえずはA判定だとか。「当たり前やよな、浪人がこの時期にA判定で出えへんだらずっと出んわ」 「でも記述模試のデキが良くなかった」 「アホ! 浪人が記述でアカンでどないするねん!」 「そうなんやけど・・・」 「浪人が弱気になるなよ。ウチの高3に負けちまうぞ!」 「みんな頑張ってる?」 「そこそこにはな」 「古西(津高)は?」 「古西は文系だろうが! まあ、慶応でA判定出してたようだけどな。英語の偏差値74,5だぞ!」 「うわ、負けた。スゴイな・・・」 「バカ!負けるな。浪人が現役に感心すんじゃねえ!」 「他は?」  「理系やったら寺田(津西)が神戸はC判定やけど筑波でA出してるわ!」 「阿部(津高)は?」 「阿部は自分に甘いからな・・・定番の名古屋E!」 「波多野(三重A)や今井は?」 「波多野は日本史・英語はともかく国語で死んでる。今井はそこそこいいんやけど早稲田の判定Eの嵐や」 「今井は塾に馴染めんだみたいやけど今は慣れたかな?」 

 今井(鈴鹿6年制6年)は高2になると同時にウチの塾に入った。しかし生え抜きが強いウチの塾は、新入生にとっては居辛い空間。当時高2の面々と同じ空間で勉強するのに耐えかね?古い塾で勉強する姿がよく見られた。当時の古い塾の住人である杉本などは今井のことを心配してはよく俺に言ったものだ。「今のままでは今井君、かわいそうよ」 「そんな心配する暇があったら自分の勉強したら?」 俺は優しい先輩の心配を揶揄してみせた。高校生にもなって「みんなが冷たくするから勉強できません」なんて弱音を吐くような奴はいらない。それがイヤなら縁がなかったのさ。今年に入り今井が1週間ほど塾を休んだ。「やっぱ、無理だったのかな」と一人ごちた。しばらくして塾に姿を見せた今井は心なしかやつれていた。「やっと終わりました・・・」 「何が?」 「え、先生ご存じじゃなかったんですか」 「何かあったんか」 「実は父が亡くなりまして・・・」 「え!」 「葬式やなんかでバタバタしてて・・・」 「そうやったんか・・・」 今井が塾の雰囲気に耐えかねてやめたんじゃねえか?と勘ぐっていた自分を恥じた。「で、受験のほうはどうするんや?」 「受けます。親も僕が大学に行くために積み立てしててくれたみたいで」 「そうか、で塾のほうは?」 「受験までお世話になります」 「・・・じゃあ、オヤッサンの弔いや。パアッといこや。早稲田でどや?」 「え・・・」 今井の取り柄といえば現代文読解に秀でていたくらいか。小さいときから読書好きってタイプだ。ただ、これは大学受験では最強の武器となる。他の教科は努力が実る。しかし国語は実る保証はない。今井の英語はというと、鈴鹿6年制では英語のできないクラスに在籍していた。しかし教えてみると1文1文を納得するまで聞いてくる姿勢が買えた。このままいきゃ必ず伸びるはず。後は日本史、これは早稲田と立命館を十八番としているDENチャンの薫陶を受けりゃ可能性はある。それまでの今井の志望大学は法政や明治学院あたり。父親を亡くしたダメージを何かで払拭したい。全てを忘れて没頭できる対象、それが早稲田だった。その頃の今井の偏差値では全く話にならなかった。しかし国語の基本ができている以上、チャンスはあるはず。「早稲田ですか・・・」 今井がつぶやいた。「早稲田やったら不服か」 「いえ、そんな・・・でも、僕なんかが受かるでしょうか?」 「チャンスはあるさ。国語ができる」 「英語はどうするんですか?」 「やりゃ上がる」 「日本史は?」 「日本史こそやりゃ上がるだろ」 「早稲田か・・・合格するでしょうか?」 「そりゃ分からんわ。でもやりゃ何かが見えてくるだろ」 「・・・わかりました。頑張ってみます」 塾の階段を下りていく今井を眺めながら心の中でつぶやいた。「受験生は所詮一人や・・・」  

 今井は3年になり、やっと英語の偏差値を60台に乗せてきた。鈴鹿6年制160名のなかで半分以下だった順位も34番にまでなった。しかし早稲田の判定では各学部で軒並みEが並んでいた。

 ウチの塾で日本史を教えているDENちゃんが9日に大阪でライブをする。社会人とロッカーの狭間で悩む小林(5期生)とは違うスタンスで45歳の現在まで年に1度のサイクルでライブをこなしてきた。その息の長さには正直舌を巻く。去年行けなかったこともあり、今年は観にいくつもりだ。7期生の藤田正知(龍谷大4年)も来阪予定。ついでに就職状況、といってもこ奴の場合は公務員試験の真っ只中、試験の出来具合を聞くつもりだった。後は前回と同じ面々、裕美ちゃんに中村、日比、宮口といったところか。

 4日、今年就職(松下電器)した5期生の菊山に眠っていたところを起こされた。時刻は正午過ぎ。なにしろ連日、夏季講習のプリントを古いワープロからパソコンへ打ち直す作業に追われている。眠るのは完全な朝。「なんや、オマエ」 「実は研修で津の『パル長谷川』におるんさ。今日は久しぶりの休みでね」 早速奥さんを呼びだして3人で飯を食った。盆休みまではこちらで研修が続くという。話のなか、塾では1年後輩となる谷の話が出た。山形大工学部を卒業して地元就職したものの、毎日のように10時頃まで仕事が続く。週末には必ず塾に姿を見せる谷、その会話の中で多少のグチめいたセリフが口をついて出た。「帰ったら風呂に入ってすぐに寝る生活、自分の時間がない・・・」 この話をすると菊山が即座に反応した。「ウチもさ、配属された部署によっては大変や。俺は電子レンジやで暇なほうやったけど、携帯電話で研修受けてる同期の連中、午前様がほとんど毎日、午前2時を過ぎることもあるって。まあ一生続くんやったら考えやなアカンけど今のうちは仕方ないんとちがう。まあ、谷には頑張るように言っといてよ」

 5日、菊山と同期の山田智子が姿を見せた。現在、セキスイハイムに勤めているが結婚が決まったそうな。ちなみに4月25日号で花婿をケーキまるけにした話を書いたが、智ちゃんは公則の姉である。阿鼻叫喚の弟の結婚式に懲りないのか、「先生、結婚式に来てな」 「あのさ、アンタの旦那の意向もあるだろうが」 「いいの、彼もちゃんとビデオ見たから」 「そうでっか。それじゃ、亭主の合意も得たことだし、公則んときのノリで結婚式に乗り込むよ」 智ちゃんすかさず顔色変えて叫んだ。「ケーキ投げしたらアカンよ!」

 高3の第一回記述模試が返却されてきた。寺田(津西)の成績(偏差値)から・・・。

 英語 53.6  数学 63.3  物理 51.7  化学 53.7

 この成績、津西理系198人中12番である。「ピンとこんな、こんな成績。ぬるい偏差値やな」 無口な寺田が微笑む。隣のコンピューターの部屋では高橋君(三重大医学部)が化学のプリントをパソコンに打ち込んでいる。3人して夏休みの相談が始まる。高橋君は高3の数学と化学の担当をしているウチの今年の理系の要だ。寺田の場合、数学は合格としても得意なはずの物理・化学が今一歩、この夏の仕上がりが趨勢を分ける。

 津西の平均が全教科全国平均を下回った。前回のマーク模試では英語が平均以上だったが、今回はわずかだが平均を切っている。数学はかなり下回り、1年から恐ろしいほどの勢いで進んでいる化学もかなり下回っている。ホンマに問題なんや! 津西の教師陣の意見を聞いてみたい。普通の私立高校やったら責任問題。入学時に明確な実力差が津高との間にあるならともかく、それほどの差がないところからスタートして高3になる頃には途方もないくらいに差が開く。今回の得点(英語&数学は200点満点、化学&物理は100点満点)を比較してみる。

         英語     数学    化学    物理

  津西    81.5      75.5     35.6     22.2 

   津     106.3      95.5     44.9     41.0

全国平均   83.2      85.0     40.7     35.6

 津西はこの地区で最も試験が多い。中間・期末に加え、放課後試験やら実力試験やら単元テストやら・・・とにかく祭りの縁日の出店のノリで矢継ぎ早に来る。俺が塾を始めてから15年間、ずっとこうだった。いや、津西の創設時からこうだったはず。津西ができた時、俺たちを教えてくれた先生の中から名物先生やイキのいい先生が津西に転勤していった。彼らは新天地・津西で「津高に追いつけ!追い越せ!」とばかりに試験数を増やすという現行のシステムにたどり着いた。生徒たちもまた自分では選べずに津西に入学したツキのなさを嘆きながらも情熱ある先生たちの熱意が感染、試験数の多さに頓着しなくなっていった。教師と生徒、目指すものはいっしょだった。しかし今、情熱なき指導者のもとでシステムだけが昔のまま。生徒たちは試験の多さに閉口している。高校生となり40点以下を取ろうものなら「赤点や!」と青くなるのも最初のうちだけ。試験数の多さからいつしか麻痺してしまい、10点でも6点でも気にならなくなっちまう。そして自分の実力に疑いを持ち、「中学の頃が良かっただけで私には真の実力がなかったんだ」と諦感する。このセリフ、この15年間、津西の入塾希望の生徒たちから幾度となく聞いた。なんとかしなくちゃ、この流れはまだまだ続く。まだまだ落ちていく。もういいかげんに気づけよ。アンタたちの計画性のない、締め付けるだけのやり方じゃダメなんだ!

 今井が少し興奮した面もちでやって来る。「どないや?」 「やっと・・・」 今井が広げた成績表をザッと眺める。早稲田大学商学部D判定。「やっと・・・なるほど、やっとD判定でっか」 「ええ」 「今まではずっとE判定ばっかやったもんな。ちったあホッとした?」 「ええ、なんか見えたかなと・・・」 「いいねえ、いいねえ、そのセリフ。これで勢いつけて夏休み一発!C判定と行きたいとこやな」 「ええ、僕もそのつもりです」

 そして夜になり古西が機嫌の悪そうなツラで姿を見せる。こ奴の場合、機嫌が悪そうなのはテレの裏返しと相場は決まっている。手元を見ると全統の「ANTENA](全国優秀者名簿)。なるほどね・・・と思い「良かったんけ?」 「いやあ・・・ハハハ。これほど上手くはまるとは・・・」 成績表を見ると軒並みA判定、慶応経済・中央法学・上智経済・・・。「で、ランキングに乗ったんかい?」 「そりゃ、まあ・・・、でもそれよりは」と成績表から視線をはずそうとしない。もう一度眺める。「なるほど、津高で1番ってか・・・」 「ハハハ、気づいてくれた、ハハハ」 こ奴にとっては全国ランキング(336番)に名前を連ねるよりは津高で1番になるほうがうれしいってわけだ。古西は上機嫌、酔っぱらいのオヤジ顔負けの足取りで古い塾に帰っていった。しばらくして高橋君がパソコンで打った化学の問題をプリントアウトしに来る。「古西の自慢話聞かされた?」 「ええ、ハハハ」 「なんて言ってた? 津高で1番でしたよ!なんてノリ?」 「ハハハ、それがですね、『高橋先輩、先輩のおかげで津高で1番取れましたよ』って・・・、ハハハ、僕って理系の担当ですからね。関係ないのにね・・・ハハハ」 「あの野郎!」 

 津高1番といっても大した成績じゃないと思うのだが・・・参考に以下に掲げておく。

 英語 69.6  数学 67.5  国語 67.5  総合 68.2

 6日、沢木のリカちゃん(愛知学院大・歯学部)から電話。「先生、黒田さんに聞きたいことあるんですけど古い塾で勉強してもいいですか」 「かまへんよ」 そして夜になり、オシャレな装いに一新。リカちゃん姿を見せる。「先生、これお礼にみんなで召し上がってください」と上品そうなお菓子を・・・。「リカちゃん、ウチの塾のホームページ見てくれた?」 「いえ、私まだパソコンできないんです。お父さんに頼んで見てみます」 リカちゃんの父親は三重中央病院のお医者さんだ。「忙しいお父さん煩わしたらアカンで。はよできるようにならな、大学の論文フロッピーで提出する時代や」 よく見るとリカちゃん、うっすらと化粧している。「なんとね、リカちゃんも化粧するんや」 彼女は2浪してやっと志望大学に合格した。この春休みの合格祝いの時はまだまだ浪人の雰囲気、どこかヤボったさを引きずっていた。3か月が経ち、いっぱしの女子大生とやらになった。「リカちゃんが化粧するんや。動物園のカバさんでも化粧するで」

 7日の七夕、遅れて神妙な顔つきの阿部と波多野がやって来る。こりゃ、アカンかったんやろな。「死にました・・・」と波多野。見れば国語の偏差値、34.3・・・、なんとか日本史が56.1だが焼け石に水だ。阿部もまた悲惨な結果。英語・数学・物理・化学とも偏差値50を切ってる教科はないものの全てが50すれすれ。当然のごとく名古屋大・名工大ともにE判定。阿部の成績表を見ながらつぶやく。「ぬるいな」 そして波多野の成績表を見ながらつぶやく。「ひどいな」 ギャグは全然受けない。阿部にとって古い塾の環境が良いのか悪いのか、自分で考えるべきなのだ。ウチの塾の場合、自由に勉強できるということは責任が付いてまわるということ。自由な勉強はえてして自己満足な勉強に陥りやすい。自分を管理できるだけの裁量が問われている。

 遠く福井でこのHPを眺めている立命館大学志望の高3へ。ウチの塾に留学するってことは、自由に勉強できるってことだ。しかしな、強固な意志がない限り自分を甘やかすのがオチなんだ、阿部のようにな。そんだけの意志があると思たら来てもええで。古い塾で寝泊まりすりゃいい。窮屈だが冷房もあるから暑さはしのげるだろう。でもゴキブリが床を這ってるで。俺は大学の頃にウチの下宿のゴキブリ捕まえては白のマジックで友達の名前書いてたよ。朝起きるだろ?背中に「鈴木」と書いたゴキブリが歩いてくねん。「やあ、鈴木君元気?」ってね。そして風呂か? 風呂なんて受験生入るの? 去年の夏季講習、俺はひと夏で2回しか入ってへんよ。俺の風呂嫌いは大学時代から変わってへん、ウソやと思たらオヤジに聞いてみ。あんなん、時間の無駄やろ。最も忌むべきものは現代人最後の宗教・・・健康やで! 自分の目標あんのに、十分な睡眠なんてバカじゃねえの。規則正しい生活をってか? 学校推薦で行くんじゃねえぞ。自分でタイマンはって勝負するねん、健康なんて何の目標もない理想もない大人にでもくれてやれよ。

 立命館大学入試まで、200日を切った・・・。

 大阪のライブを翌日に控えた8日。中村耕治(近畿大2年)から連絡が入る。「先生、明日アカンわ。バイトの一人が包丁で指切ってさ。俺、バイトで急遽入ることになったんや」 「そりゃ仕方ねえよな」 そして45歳のロッカーの姿を見せてやろうと誘っていた小林からも「先生、明日はバイトなんや。一日、新大阪の駅で荷物の配送せなアカンねん。そうそう俺のバンドさ、今度テレビに出るねん」 「何の番組や」 「そっちでは放送されてへんけどさ、極楽トンボのやってる願組で『南極楽堂』ていうんや。そこのインディーズバンドの紹介で出演するんや」 「放送日は?」 「8月の12か13日やったわ」 「その番組のネーミングからすると関テレか」 「そうっすよ」 さらに6期生なれどなぜかまだ大学生の中山智博(大阪産業大、5月17日号登場の中山亜子の弟)にも叱咤ついでに飯でも食おうかと誘ったものの「すんません、明日は彼女と・・・えへへ」 「あ、オマエ、大恩ある先生より彼女取るの!」 「いやあ、実はまだ彼女じゃなくてアプローチの段階でして、やっと取り付けた約束ですから・・・」 大学生にふられて傷心の俺に、れいめい塾最後の良心と言われる正知から連絡が入る。「先生、ゴメン! 明日は暇やと思ってたら試験があったんや」 「バカ野郎!」   

 9日、中川駅のモータープールに車を預け特急電車に乗り込んだ。今日の宿泊場所も決まってなかった。日比(関西大1年)はサークルのサッカーの試合。宮口(近畿大1年)はラクロス部の試合。デンちゃんのライブの後は飲み会の予定とか・・・適当に抜け出して帰ろうか。せっかく大阪くんだりまで出かけて大学生に会えないのはきつかった。渡部裕美(京都教育大2年)とは「関大前プラットホームにて12時30分に待ち合わせ」とのメールを送ったのが2日前。しかし連絡はなかった。

 12時15分、関大前に着いた。プラットホームに腰をかけて裕美ちゃんを待っていた。こんなふうに誰かを待つなんてことは久しぶりだった。いくつも電車がやってきた。しかし裕美ちゃんは降りてこない。下駄ばきにサングラスをかけて「アエラ」に時折目を落とすオッサンを迂回するように人波は流れた。いつしか開演時間の1時が過ぎていった。俺は平静を装いながら何度目かとなる雪印経営者の怠慢ぶりを非難する記事に目を通した。

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『れいめい塾』発25時 過去ログ 2000.7.1

2000年07月01日 17時12分16秒 | れいめい塾発 25時 過去ログ集

 6月23日、大阪で小林のライブ第二弾があった。しかしとても塾を留守にできる状況じゃなかった。裕美ちゃんからはBBSに「先生、23日のこと覚えている?」と厳しい追及。タイトルは「ホホホ」だったが俺のとっちゃホラー小説の趣。俺は前日になりメールを送った。「どうしても塾を離れられない。期末試験が近い。それになんとかして成績を上げたい子がいるんや。堪忍や、7月9日にデンちゃんのライブがある。それで堪忍してや」

 10期生の中村耕治(近畿大2年)からメールが届く。こ奴もまた23日に大阪でのライブを楽しみにしていたクチ。「絶対に見やんとこ!と思ってた塾のHPをついつい見てしまいました。でも、中1と中3はともかく、中2の塾平均398点てなんなん! たるんでるんと違うの」 痛いとこ突きやがる。仰せの通りじゃ! 少なくとも400点は取ってきた過去の面々に恥ずかしいわい・・・と怒ったところで、やっぱA級戦犯は俺やもんな。反省せなアカンやろな。しかし今イチ仕上がりが悪いな・・・。

 ウチの2年って、意外とおもしろいメンバーが揃ってんのやけど今いちピンと来んねんな。まず気迫がない。ギラッとした光景見たことがない。唯一付属中の真歩かな、教科書も皆と違うからいつだって一人黙々とやっている。やっかいなのは「もう私、全然分からん! もう今度の試験は最悪やわ!」と叫びまわっているわりには、結果が出るといつだって学年順位5番以内をキープしている。ちょっとオシャベリが過ぎるオオカミ少女や。そして真歩と仲のいい由衣も最近よくなったか? なにしろこの娘、中学1年中間試験で400点取れんかったもんな。それが真歩に触発された(母親談)のが幸いしたのか、この中間テストで460点を叩いた。理解は遅いがコツコツとやってきた亀さん、やっとこさ日の目を見たってとこか。由衣の今回の期末のテーマは「いかにして短時間で効率良く勉強するか?」ってこと。前回の期末試験は春休みあたりから準備してた。つまりは亀さん、十分な時間を駆使して試験に臨めたわけだ。しかし今回はひと月弱で9教科を仕上げる展開。これだけでも大変なのに俺は「政治に関する作文を書いてみる?」とネタをふった。それがBBSに載った作品、コムスンのリストラをグチャグチャと書いてたけど出来はともかく、こいつ新聞は読んでんねんな、との感慨。聞けばクソ真面目な由衣、深夜2時までかかって書き上げたとか・・・。計画は着々進む。これで由衣の勉強時間がさらに削られた。ラスト1週間でどこまで仕上げて来るか楽しみやね。

 前回の中間試験で一番嬉しかったのは、勉強の苦手なある女の子が333点を取ったことだ。ウチの塾には中1の途中から参入。聞けば1年の頃は200点にも満たない点数だったとか。それが春休み以降、俺の誘いに乗って毎日のように塾に来るようになった。それまでは授業中に彼女を当てる気になれなかった。出来る奴に当てて間違ったら笑ってバカにできるが、彼女に当てても答えられないのが分かっていた。だから授業と関係ない日に教えたことを塾の授業のなかで当てた。半分イカサマみたいなもんだが、前日に教えたことを答えられるとうれしかった。それと同時に他の面々にも影響を与えたようだった。そして毎日のように塾に通ってやっと取った333点。その点数を聞いた時にはとっさに「めでたいなあ、ゾロ目や」と取り繕ったが心の中では「やった!」とガッツポーズを決めていた。これで今までの苦労が報われる。日々継続していくことがどれほど重要なことか分かったはず。これで少しは自信を持ってこれから勉強していくだろう・・・そう思った。しかし俺の望んだように行かないのが現実か。中間試験が終わるとテンションが下がった。授業以外の日は塾にも姿を見せなくなった。家でやっているんかな?との淡い期待も塾でのテストの解答を見ればバッサリと切り捨てられた。全然やってない・・・。連立方程式の基本問題も解けないままに学校では一次関数になだれ込んでいた。一次関数の授業は6月中旬に終わってはいたが彼女、この時に塾を休んでいた。最悪な流れ、再び200点を着るモードに入っていた。4月の頃のひたむきさは陰を潜めていた。しかし俺はただ眺めていた。何かを言うとすれば期末試験の直前・・・そう決めた。なぜなのか分からない、そんな気がした。

 前回の「25時」を中1が読んだのだろうとしか思えない展開が続く。あのときに書いた山本愛、才能ではなく努力の子だと書いた山本愛包囲網ってか? とにかく中1が帰らない。愛が自宅に電話をするのを待って自分も電話するような雰囲気。公立中学の面々の過半数が450点以上を叩き出している。各中学のヒトケタが揃っている。それぞれの生徒のお母さんに話を聞くと「やっぱり愛ちゃんを意識しているみたいで・・・」とのこと。確かに1年ということもあって多少ザワザワしているが例年に比べれば雲泥の差。前回は私立の面々、入試疲れか?一発食らっちまった。今回はキチッと平均載せるからな! でも昔は全員の成績を「25時」に載っけていた。HPとなって一番困ったのはこれやな。点数の悪い子の成績は出せんもんな。ゆえに塾内平均でお茶を濁す次第だ。私立中学の面々のブチ当たっている壁はスピードにつきる。とにかくテンポが遅い。確かに膨大な宿題を出す中学にも問題はある。あんだけの宿題を出すんやったら東大・京大ゴロゴロのはず。それが実績を残していないのは生徒達の学校に対する依存性の高さ。それが6年間持続できればいいが、どこかで緊張が切れる。毎年のように繰り返される展開、今年もまた夏休み過ぎには脱力感にまみれた生徒達が教室を埋め尽くすんじゃねえの。ちなみに今年、皇学館中学が三重県下の私立中学で一番進路が速い。スピード違反でガードレールに激突しなけりゃいいがな・・・。

 24日の土曜日、前田(早稲田大学院)が姿を見せる。「どないしたんや」 「選挙で帰ってきました」 「前も一度そんなことがあったよな。ありゃ、オマエんとこの親戚が嬉野町の町会議員に立候補したからだろ?」 「ええ、まあ今回は身内は関係ないですけどね。ブラッとね」 「お母はん喜んだだろう」 「いやいや、なんで東京からわざわざ帰ってくるんやって」 「そりゃ辛いこって」 「BBSを見てないもんで、ちょっと見せてください」 画像を追いかける前田がつぶやく。「いつの間にかテーマは少年犯罪から政治へと移ってるんですね」 「まあな、選挙で新幹線代使って帰ってきたんや、どや久しぶりに政治について書いたら」 「いや、政治はちょっと・・・、やっぱり僕は少年犯罪で行きますよ」 前田は早稲田の院で現代教育学を専攻している。少年犯罪にこだわりがあるんだろう。

 25日、昼前から塾の中は喧噪の度をましていく。期末試験直前である。そろそろテンションの下がったすぐ頭に乗る田舎者にどんなふうに切り出そうかと考えていた。合間を縫うように奥さんと選挙に出向く。夜になると再び前田が姿を見せ、インターネットでNHKの選挙速報の画像を追っている。開票と同時に田村憲久氏が当選。個人的に注目していた前鈴鹿市長を務めた人が一敗地にまみれる頃には川崎二郎氏も岡田克也氏も当選。残るは全国注目の5区、これが開票率90%の終盤戦にもつれ込んでも当確ランプが付かない。やっと11時30分過ぎ開票率97%で藤波孝生に当確表示! 残る俺の関心、2年前の選挙で落選、今回に雪辱を果たさんとする津高の同窓生。ネット上での新聞記事では衆議院選挙の情報で埋まり三重県なんぞの参議院補欠選挙の情報はどこにもなかった。

 期末試験を翌週に控えた24,25の土日、嬉野中男子バレー部は奈良に遠征した。そして京都府・奈良県の県優勝チームとぶつかった。ウチの高林紘は京都1位のチームとの対戦中に負傷。病院で靱帯損傷の診断を受けて松葉杖をついて3階の教室に入ってきたのは26日のこと。試験まで後3日。紘はお寺の長男坊である。穏和で人当たりもいい。学校の先生の信頼度抜群なタイプ。指示を出すとキチッと仕上げてくる。いい生徒には違いないがゴツッといたとこがなかった。ゆえに極力こ奴には指示を出さずに自分で工夫させる環境を作ることにしてきた。クラブは男子バレー部、とりたてて運動神経がいいとは思えなかったこ奴だが、1年から準レギュラーに抜擢された。俺なんて嬉野中バレー部、部員が足らへんのかな?と心配したもんだ。それが去年の春の大会で嬉野中は優勝、紘は2年ながらレギュラーを確保していた。しかし春から夏にかけ他の強豪チームから徹底マークされたのだろう。夏の大会ではあえなく地区予選で敗退した。2回続けて勝つことがいかに難しいことか、あの頃俺は紘と機会がある度に話し込んだ。前評判が高かったぶん紘の意気消沈、激しいようだった。「落ち込んでるんか?」 「いや・・・うん、ちょっと」 「今年の経験を来年にいかすんや。優勝したからて頭に乗ってたらやられる」「そんなことはなかったけど」 「その意識はなかってもや、オマエんとこに負けたチームの感情を意識はしてへんだやろ。今度は負けへんで!てな激情やな」 「・・・」 「自分達だけが練習してるんやない。ついついいい成績残ちまうと他人が見えやんようになる。練習してても自己満足の練習になる。勉強と同じや。相手チームもよく研究してたやろ」 「確かに・・・」 「来年はオマエらが中心になる。今年の4月から7月にかけての練習内容・クラブの雰囲気、よく覚えとけよ。そして来年は同じ失敗したらアカンで」 「うん」

 勉強させるよりはそんなことを話すほうが品行方正優良児のこ奴のためになるような気がしていた。そして今年、嬉野中は去年に同様に春の県大会で優勝。全てが去年と同じ流れで進んでいた。去年と同じツテを踏まない、そんなこと部外者の俺より顧問の先生、百も承知だろう。期末試験直前のこの時期の遠征、これもまた指導者の今年の夏にかける意気込みを感じさせた。紘の期末試験の準備は決して万全ではなかった。試験直前の2日の休みは痛かった。しかしクラブを通して受験というもの、勝負事の疑似体験を経験してほしかった。紘の志望は津高。決して気が抜ける成績ではない。むしろ気の抜けたコーラのような点数。しかしバレーで修羅場をくぐってくればラスト4か月でひっくり返せる土壌は育つはず。

 夏休みに入るのと同時に開催される地区予選、競技の別なく俺は生徒達の活躍を見学に出向く。しかしバレーほど試合前の練習でその中学のレベルがわかる競技も少ない。全員が無駄なく一つのボールを追って少ない練習時間を有意義に使う中学、やはり強い。しかし無駄な動きが多くなかなか自分にボールがまわってこないような練習をしているチーム、初戦の結果が見えてる。男子バレーでは今から6~8年ほど前の久居西の練習が目を引いた。ウチの7期生の太田(就職)から9期生の山路(関西大)・星野(同志社)にかけての久居西だ。少ない試合前の練習時間、誰一人として緩慢な動作をすることなく矢継ぎ早にボールが選手の間を回っていた。その頃の話を紘にすると「ウチらの先生、昔久居西におったよ」 たまたま塾にいた西出身の長野(滋賀大)に確認すると「確かに嬉野の先生、太田や山路達の時代の先生ですよ」とのこと。俺は心底うなっちまった。嬉野中が県大会で注目されるようになったのはここ数年のことである。たかだか1学年2クラスしかない久居西であそこまでのチームにつくりあげ、そして今は嬉野中で全国大会をにらむ。指導者の資質がチームに与える影響のスゴサに俺は身震いした。じゃあ果たして俺は指導者としてどうなんだろう? いつしか自分自身に問いかけていた。 

  紘の前回の期末は439点。何度も言うが気の抜けたコーラ。逆境のなか果たしてどこまでの点数を叩けるか? そして7月21日から始まる地区予選での復帰は無理としても、県大会、さらなる向こうにある東海大会までには間に合うのか?

 HPで「25時」を書くようになって不自由なのは個人の点数を載せることができないこと。優秀な奴はいいだろうが勉強の苦手な子について書くこともまた憚られる。そこで憚る必要のない生徒がいた、俺の娘だ。双子の娘達れいとめいの一人、めいの話だ。

 めいが勉強が苦手なのは分かっていた。かと言ってれいが得意かと言うとそうでもなく塾の先生の娘というだけで出来るんじゃないか?という世間の視線はイジメ以外の何者でもない。めいは正真正銘勉強ができない。塾には小学5年から来させた。ソフトな上下関係を学ばせたかった。かつて一人っ子として嫌な性格だった俺のトラウマやもしれぬ。なるべく雑多な環境を与えてやりたかった。塾では各自が勝手に勉強、宿題もしていた。俺はただ質問に答えるだけ、とは言うものの年中を通して父親と接する機会はマレでもあり質問してくることは滅多になかった。小6となり分数のかけ算・わり算に入ると割合と分数・小数の融合問題がある。例えばこんな問題・・・「原価に3割の利益を見込んで2600円の定価をつけた。原価を求めよ。」 ここでポイントになるのが割合の「もと」となる1である。式としては、χ×(1+0.3)=2600となり、χを求めるために2600÷1.3というわり算が姿を現すことになる。実はこの問題、分数で書きたかったのだが俺はまだパソコンでの分数の打ち方を知らない。ゆえに小数で容赦願いたい。分数のかけ算からわり算にかけて、かけ算やってるからかけるとか、わり算やってるから割るという子が多い。不思議なことに小学校ではこの分野を1限か2限で終わらせていく。この問題、中学にいくと文字式で3割はa割となり2600円もb円などと姿を変えていく。つまり中学では同じ問題なれど、文字の花が咲くことになる。理論がしっかりしていないと文字を割ったり掛けたり、もうメチャクチャ! そしてそれは方程式の式立てに直撃する。ウチの生徒たちにはこの分野を最低ひと月はさせている。力のある子はすかさず中学の文字式に導入していく。めいの力を見ていて到底この分野、学校のスピードでは理解できないだろう。連休明けから俺は自分の娘を教え始めた。

 見事に出来ない。単純な分数計算もあやふやである。まず5年時の約分に戻る。そして仮分数と帯分数の関係、これなんて4年の範囲だ。気がめいる日々が続く。気がめいるからめいと名付けたわけじゃねえ。「オマエは基礎が出来てへんから毎日来い」 俺は不機嫌な顔で言った。翌日からめいは毎日毎日、分数の計算とそれに付随する5年までの範囲の復習と格闘することになった。かけ算がなんとか見られるデキになった。塾では1枚のプリントで1ミス程度。小学校のテストならなんとか90点は行くだろうと思った。かけ算はともかくわり算がやっかいだった。当然割る問題と掛ける問題が出る。なぜ割るのか?なぜ掛けるのか? まだまだ勘に頼って解いていた。理論の理解までは到底行きつけない。その点かけ算ならば・・・と思っていたが見事に裏切られる。めいはなかなか試験を家に持ち帰らない。机の中に置いたままだという。母親が尋ねると「悪かった・・・」と言ったきり口をつぐむ。そしてやっと持ち帰った点数は65点。この点数には正直まいった。今までウチの塾で教えた生徒で分数のかけ算65点というのは記憶にない。つまりはめいが一番ひどい。塾の先生としての資質に自信が揺らいだ。奥さんに言うと「めいはめいで、お父さんが熱心に教えてくれてるの分かってるみたい・・・。本人なりに責任を感じてるみたいよ」 

 なんとか気を取り戻しめいにわり算を教え始めた。まず絵を書くこと、どれがもとになる1で、どれが比べられる量なのか? 何度も何度も説明した。教える俺も砂を噛むような思い、それはめいもいっしょだった。鉛筆を持った手が動かない・・・そんなめいを眺めながら俺はいつしか考えるようになった。別に勉強ができなくてもいいんじゃないか?

 めいは何をやってもれいに負けた。小さいときからそうだった。テストはもちろんのこと、マラソンにしてもれいは学年で4番くらい、めいは7番くらい。いつも、何をやってもれいに負けっぱなしだった。俺はれいよりめいのほうがかわいい。双子だから両方を・・・という博愛主義者ではない。れいは愛嬌もあり、かつアバウトな誰からでも好かれる性格(俺に似ているとの塾内の声は多い)。それに対してめいはどこかシニカルな発言が目立つどちらかといえば暗い性格。だから俺が愛さなくっちゃと考える。今回のことにしろ、一度でいいかられいに勝ったら自信が持てるんじゃないか?と考えてのこと。私は何をやってもれいに負ける・・・めいの顔にはそう書いてある。でもそうはさせたくない! 父親として? 塾の先生として? しかし理解の不出来に俺もまた悩んでいた。無理して勉強させることはないんじゃないか? 弱音がポツリと口をついて出た。

 2年前からめいには絵を習わせていた。2年前のあの頃、すでにめいはれいに一歩引いていた。焦った俺はやはり何かれいよりも秀でたものはないか?と考えあぐね父親参観の時に見た絵を思い出した。れいの絵は分かりやすい絵だった。つまりはオブジェの説明でしかない。説明ならば絵に書く必要はない。しかし一方、めいの絵には色を作り出そうとする片鱗が窺えた。俺は小学校入学前から10年ほど絵を習っていた。美術の教師にでも、という親の期待もあったんだろうが見事に裏切ってやった。しかしその方面の目ききだけには自信があった。2人の絵を塾に持ち帰り全員にどちらがいいか聞いた。れいのほうがいい・・・大部分の生徒がそう答えた。「おまえら高校へ行っても美術取るなよ」 遙かにめいの絵のほうが芸術と言えた。たったひとつだけ見つけためいのメリット、俺は自宅で絵を教えているかつての塾生ご父兄の所へめいを連れて行った。

 毎日教えてくれる父親に対するプレッシャーもあったのだろう。塾に姿を見せるめいの顔色はさえなかった。もし今回もテストの点数が悪かったら旅行に行こうと決めた。めいを連れてどっかめいが喜ぶような場所へ連れて行ってやろう。そして旅館にでも泊まってゆっくり話をしよう。無理して勉強する必要はないんだと。勉強は勉強、やはり努力はしてほしい。嫌なことから逃げてほしくない。しかし勉強よりも自分がやってて楽しいことを見つけようよと。決して点数が悪いから毎日塾に来させたんじゃないんだと。なんでもいいから自分に自信を持ってほしいから、一度でいいかられいに勝たせたかったから、そうして最後に、愛しているから・・・。

 「お父さん、明日分数のわり算の試験がある・・・」 そう言うめいの顔は強ばっていた。その強ばりは俺にも伝染した。今まで間違えたプリントを最後にさせてみた。そこそこに解けるようになっていた。厳しい父親の言うように絵を書き、もとになるものに1と記し、方程式をたてていた。これ以上俺がすることはない。中1の問題もさせ、いつしかaやらbやらcで式を立てれるまでになっていた。こんだけやってアカンかったら・・・弱気の虫が囁いた。その時は・・・担任の先生に無理を言って2人で旅行に出かけよう・・・。

 塾は期末試験が近づき午後4時頃には中学生達が姿を見せ始めていた。生徒からの質問を教えながら心は震えていた。電話をすると「テスト、今日はまだ返ってきてないみたいよ」と奥さん。そして数日が過ぎ、めいが塾に現れた。「お父さん、これ」と言って踵を返した。四つ折りの算数のテスト・・・恐る恐る広げると95点・・・。ドアを開けて出ていこうとするめいに声をかけた。「れいは何点やった?」 「90点だって・・・」 脇の下を冷や汗が伝った。

 これで何かが変わるのか? それは分からない。ただ、めいが家で奥さんに言ったそうな・・・私、算数好きになってきたわ。奥さんはここぞとばかりに言った。「やっぱり毎日お父さんとこで勉強してたからこんないい点取れたんやに。継続は力なり! 分かった?」 「うん」

 そんな平和な家庭の団らんとは裏腹、その日からめいは連休前までの曜日、週2回しか姿を見せなくなった。俺はイライラしながらつぶやいた。「あの野郎! 頭に乗りやがって・・・アレ? これって、誰かとそっくりだよな」

 6月28日、白山中学・西郊中学・嬉野中学で期末試験がスタートした。翌28日からは久居中学・久居東・一志がそれに続いた。今回のルールは前回の中間試験より点数が上がったら+50ページ、下がったら-50ページ。各学年単位で集計、英語の基本文型の書き写しに入る。

 7月11日、今年の広告にも載せたノッチンの物理の授業が塾であります。将来理系に進もうかな?と考えている生徒、あるいは物理の範囲(力とエネルギー)に興味のある生徒。対象は中学生・高校生です。

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『れいめい塾』発25時 過去ログ 2000.6.18

2000年06月18日 17時02分46秒 | れいめい塾発 25時 過去ログ集

 6月8日、鈴鹿高校の説明会があった。6年制中学の説明会はずっと前からあるが、高校の説明会は去年が初めての開催。ここ最近鈴鹿高校の大学実績が上がってきたのは事実。去年は3類から京都大学に合格させた。その自信が去年初の高校の説明会に踏み切らせたのだろう。そして今年、鈴鹿高校は念願であった国公立合格者100名を越えた。ウチの塾にしても鈴鹿の3類を高田2類よりも上ととらえている。6年制のおこぼれで推薦を連発する高田高校より鈴鹿高校のほうが遙かにマシ、教える側の努力がよく見える。ただこの地区からだと通学が1時間を超えることや、0限授業に7限授業という1日8限授業を生徒たちがどうとらえるか?というのが高田2類との選別の岐路となる。そして結果としては高田2類に進学する生徒が多いというのが現状。

 説明会のなかで興味を引いたのが1類からも大学進学者が数多くでているということ。1人だけ公立(三重県立看護)で後は私立大学だが・・・。かつて3期生の熱田・兄が鈴鹿1類から龍谷大学に合格した頃、大学進学者はクラスでただ一人、熱田だけだったことを思うとそれなりの感慨はある。3類は今年もまた京都大学を出し、さらに半数からの生徒が国公立大学に合格した。確かに教える側は頑張っている。

 全国統一模試の成績が棒グラフで示される。今回高田6年制が不参加だったため鈴鹿6年制が県内トップ。しかし総合ではトップだが脇の教科で点を稼いだ観が強い。主要3教科が弱い。とくに英語では津高の後塵を拝している。ここ最近、鈴鹿高校6年制の英語の実力はお寒い限りだ。今年の高3はそこそこいっているが来年、つまり今の高2が怖い。今の高2の英語は6年制のそれじゃない。英語担当教師の奮起を期待したい。

 中間試験の結果が出揃った。

   中1   5教科総合432点(公立中学のみ)

   中2   5教科総合398点

   中3   5教科総合418点

 今回の中間試験で一番テンションが高かったのは中1である。やっぱり中学入学後一発目の試験ということでプレッシャーもあったのだろう。しかし中3にはそれほどの緊迫感を感じることはなかった。こりゃ問題だよ。ぬるい点数が並んでいる。期末はピシッと決めてほしいや。

 6月13日、久しぶりに甚チャンが塾に姿を見せる。「先生、別になんてことないんですが飲みに行きませんか?」 「やっかいな誘い方やな?」と言いつつ俺の頭の中では仕事の悩みかな?なんどと想像しつつ快諾。ただ津高が中間試験に突入している。後藤佑輔を送ってかなくっちゃならない。佑輔に「2時頃でもいいか?」と水を向けると「かまいませんよ」とのこと。本当に久しぶりに焼肉屋『きじま』に顔を出す。0時を回っていることや、季節がらもあるのだろう、閑散とした店内で客は俺達2人だけ。「ボトルある?」と店員に聞くとまだ残っているという。埃のかぶった焼酎「トライアングル」が運ばれてくる。グラスに焼酎を注ぎながら甚ちゃんが言う。「4月以降毎日教壇に立っているんですが、僕の教え方は進歩してない気がするんです。生徒たちからのアンケートでも『しゃべり方が速すぎる』とか『タメとか間がないから分かりにくい』とか言われまして」 「すぐには上達せんやろけど、授業なんてやってけばうまくなってくで」 「でもあとひと月もしたら夏季講習が始まります。なんとかそれまでには自分の授業のスタイルを確立したいんですけど・・・」 

 14日、スラム街のベッドでうつらうつらしていると電話。なんと開明学院の永橋学長、甚ちゃんもしかしたら昨夜のこと言ったんかいな? 内容は教材についての問い合わせだったが俺は昨夜、甚ちゃんと飲んだネタをふってみた。「そうか、甚野君、そんなことで悩んでいるんだね」 「まあ、ただでさえウチの塾で講師やってたことでプレッシャーかかってるみたいですから」 「でもさ、入社そうそうの若手に自分のスタイルの確立なんて僕は望んでないけどな」 「やっぱ、夏季講習で完璧な授業をしなければ、という思いが強いようですね」 「授業なんてさ、やってれば上達していくよ。去年入社したなかでも全然マトモな授業できなかった者が1年経ったら驚くほどに上手くなったんさ。1年もあれば見違えるほどになるよね。大切なのはさ、子供たちとどう向き合うかだよ。ウチにもね、学校を退職して来てもらった人もいたんだけど生徒たちが分からないなんて言うと、僕はしっかりした授業をしているって。授業が分からないのは生徒が悪い、そんなふうに先生のキャリアを持つ人は言うね。塾は学校と違うんさ。教師にとっていい授業なんてどうだっていい、大事なのは生徒たちにとっていい授業とは何か?なんだよ」 「確かにそうですよね。でも、甚ちゃんの悩みを聞いててなんか新鮮でしたね。俺も昔はこんなに悩んでたんだろうなって」 「そうだよね、前向きな悩みは大いに悩んでもらって結構です。まあ、また甚野が相談に行ったら時間を割いてやってください」

 15日、久居高校を退学した金児直哉に里絵が連絡をつけ,2人ともども塾に現れた。時刻は9時、俺は中2の授業を手短に終え「高校中退した先輩と会うから」と言って塾を抜け出した。場所は最近の定番IZIRINMA。『よし川』でもよかったが直哉が刺身などの生物がダメなので洋風、しかし酒がからっきしなのではおもしろくない。ほぼ1年半ぶりの直哉は唇にピアスをして髪の毛は見事な茶髪、ウーロン茶を注文したきり押し黙っている。「バイトしてるって聞いたけど」と俺。「やめた」 「じゃあ毎日が日曜日ってか」 「まあ」 「でも久居高校の体育祭にもぐりこんだって聞いたで」 一瞬口元が緩んだ。「ネタの出先は1年後輩のアキちゃんや」 「ああ」 アキちゃんの話では直哉は学生服をダチから借りて忍び込んだとか。「まだ高校に未練があるんかいな」 これには返答なし。「で、毎日何やってんねん」 「ゴロゴロ」 「友達とか」 「うん」 「同じような境遇の」 「うん」 「やはり久居高校を退学になったクチか」 「いや、高校は違うけど・・・、友達のライブで知り合った」 「起きる時間は昼頃か」 「うん」 「夜は何してんねん」 「友達が遊びに来るから、さっき言った友達」 「で、何してんねん」 「ゲームとか、ダベったり、バイクで走ったり」 「おもろいか」 「・・・うん」 「退屈だろ」 「・・・まあ」 「で、これからどうするねん」 「来年、夢学園を受ける」 「やっぱ高校だけは卒業するってか」 「うん」 「将来、何かになりたいってある?」 「・・・整備士」 「整備士もさ、最近では営業にまわされてるよ。営業する覚悟はあるんか」 「営業はしたくない」 「夢学園を卒業して就職か」 「専門学校へ行ければ」 「高山かトヨタ系列のか」 「うん」 会うまではいろいろと聞きたいことがあったはずなのに、たかだか30分ほどでネタを尽きたようだ。この日はたまたまライブが開かれていた。客はまばらで俺たちは一曲終わる度に拍手をしないと避難されそうな雰囲気のなかで冷え切った会話をポツポツと続けた。金児里絵が直哉に聞いた。「ナオ、あんた、塾をやめてから更正したと思う?」 里絵はウチのHPに目を通しているようだった。更正・・・久居高校の先生が直哉に言った台詞。しばらくして直哉が答えた。「悪くなったな・・・」 聞きたくないことを聞いてしまった後ろめたさから俺はステージで演奏している2人組に視線を移した。

 高3の第一回全国統一模試が返却されてきた。成績は以下のごとし。

     英語 数学 国語 化学 物理  日本史 地理

古西   74.5  59.9  62,7

阿部   50.4  59.2  61.3  46.5  51.4       45.3

寺田   55.6  67.4  50.3  58.1  62.1       54.6

今井   63.0      55.8          59.6 

波多野 52.7      39.7          56.8

 まずは本題からははずれる面々の成績。阿部(津高)の志望は名古屋大学、しかし古い塾に入ってから緊迫感がなくなったと講師たちがつぶやく。反省すべきだろう。寺田(津西)は中学生の時からウチで過ごすもののウチの暑苦しさはない。淡々と勉強するこ奴のスタイルに古い塾は合っているようだ。ただ、やっかいなことに志望大学が神戸大。ここは理系バカはいらない!と公言するように工学部なれど国語の配点が数学の4倍という理系バカにとっては恐怖の館。十分理系バカの寺田、筑波ならC判定出てるのに神戸で勝負ってか。

 ご父兄からよくくる質問、津と津西の格差について簡単に説明しておく。まず俺の中勢地区七不思議の筆頭・・・『なぜ津西は入学時には津高と遜色がないのに高3になるとこうも差を付けられるんかいな?』 やっかいなのは津西の場合、学年が進むごとに全国偏差値が落ちていくってこと。そして高3にもなれば終着駅、主要3教科総合で全国平均を下回る展開がここ数年続いている。つまり全国の進学校のなか、津西は半分よりも下ってことになる。ところが今年の高3、近年になくなかなか英語が良かった(それでも全国平均で52あたり)こともあり、かろうじて全国平均を上回った。しかし数学と国語は全国平均以下。ウチの講師の小田君(数学担当)が2年前「津西の進路は速いんですが、大事なところにかける時間が十分ではない。あの速いだけの進路では一部の優秀な生徒はともかく、ほとんどの連中は実力がつかないでしょう」と看破したことが現実のものとなった。英語もまた高1からターゲット1900(今年はレベルの高さに懲りたのかNAVIを使用)を使用。試験の度に100単語ずつ試験をしているもののフィードバックを考慮しないカリキュラム。夏休みには高1で未習範囲の文法事項を含む英文を訳させる。試験ともなれば日本語訳を暗記するだけだろう。つまりはその時だけ覚えてそれっきりのテストが延々と続く。そして偏差値は落ちていく。教師側の工夫が全く見られない。こんな体制じゃ、津高との差はますます開くばかり。学年が進むにつれて実力が落ちていく・・・これが私立なら教師の責任問題、スタッフ刷新などでなんらかの方策を講じるのだろうが、公立の限界?またぞろ「公立高校は義務教育ではない」との錦の御旗、振りかざすつもりかいな。しかし国や文部省あげて高校全入を掲げている以上は公立高校も今や民営化の時代。お客さんにサービスせんだら生き残れへんで。あげく今年から単位制への移行・・・「なにしろ1年目、失敗するか?成功するか?」なんぞとの発言が教師から聞かれるようでは戦略は無きに等しい。単位制が未開の地ならばともかく、ファッション感覚で今じゃどこでもやってるじゃん。失敗例と成功例も多々ある以上は馬券を買うノリで単位制なんぞという諸刃の刃を振り上げるのは無責任極まりない。このままじゃ一部の成績優秀者とその他大勢という久居高に追従していくんじゃないか?

 そして今回の本題となる文系。古西(津高)の志望は慶応大・経済である。ここは英語と数学に小論文という変則教科がポイント。古西の判定はA判定。英語に関しては確かに去年から下級学年とのせめぎ合いで真の実力を付けたといえる。数学もまた慶応の問題ならこの半年で仕上げてくるだろう。しかし残る小論文が問題。関関同立を落ちても慶応に合格する生徒がいる。小論文の出来が良かったのだろう。この小論文が古西のアキレス腱となっている。ウチの塾で小論文に秀でている奴としては鼻谷と海津がいる。ともに予備校の先生が「小論文に関しては教えることはない」と断言した過去を持つ。しかし鼻谷は社会人だからダメ、その点海津は大学生(早稲田)だから都合がいいわけだが、やっかいなことに古西は海津と肌が合わない。一言で言えば学者タイプの海津と野武士タイプの古西ってな比喩かな。ここは自分の人生の最大の岐路ということで教えを請えばいいのだが、ネタを振っても乗ってこない。「しょうもないプライドやな」と苦虫を噛みつぶしていたところにBBSである。ファイティング志摩がふっかけてきたディベイトにウマイ具合に乗ったまではよかった。しかしZ会に問題を送っているようなチンタラした展開。A判定に気を良くしているのか、古い塾で惰眠を貪っている風情。波多野(三重A)もまた一回書いたっきりでお茶を濁している。波多野の場合、こと国語に関しては成績にあるように付ける薬がない。チマチマと問題集なんぞをやっているが、ここ1年間状況は変わらない。結局は受け身の勉強、それが限界に来ている。このままだと志望大学の明治大学なんて夢のまた夢。意識を変換する必要がある。それが「文章を書く」という行為。つまりは問題を解くという受け身の国語からの脱却、「読み手」から「書き手」へと自分の立場を変えることで、何かが生まれてこないだろうか?という淡いといえば淡い期待。残された時間は約半年・・・しかし現状では他にこれといった方法がない。つまりは波多野もBBSというオクタゴンへ放り込んだつもりだった。しかし一発やられてからは無言を決め込んでいる。他には今井(鈴鹿6年制)も参加したわけだが、こ奴の場合は1年前に入塾した段階で英語が腐っていた。志望は早稲田大学、しかし6年制なれど英語ができへんクラスに在籍していた。ゆえにこの1年間英語中心でやってきた。50あたりをさまよっていた偏差値もようやく60の壁を突破、校内順位もいつしか38番にまでなった。しかしそんな英語中心の勉強の反動からか国語が下降気味。が、BBSの文でも分かるように地力はある。今井に古西や波多野ほどの危機感はなかった。予想外に健闘したのが高2のアキちゃん、前後3回もの作品を提出。本人も楽しんでやっているようだ。アキちゃんの志望大学は早稲田、しかし当初はナチュラルな国語力に疑問を感じ早稲田でも教育か商学で勝負しようと考えていた。これが3回もの作品を見ていると上達していくのが分かる。今の学年を考えれば、今年小論文でしごいたら文学部(小論文あり)でも勝負できるんじゃないか?とほくそ笑む次第。しかし肝心なのは高3の古西と波多野、古い塾を使わせるということは勝手気ままに勉強すことじゃない。それじゃダメなんだ!ってことが上の学年を見てきて分かっているはず・・・しかし自分たちが古い塾の住人になっちまうと甘くなる。自分が見えない。俺はここ2年ほど、こんな馬鹿ばっか相手にしている気がする。

 大学受験は大人の受験である・・・俺はよく言う。受験を川を渡るのに例えて話す。高校受験はみんなの手を引いて渡る。危険な場所や深みがあると俺が言う。「そこんとこ危ないで」 ウチの塾は他の塾に比べて指示や強制ということは少なく、各生徒に課題を出したり計画を立てさせたりして、なんとか自主性を持たせたいと願っているのは事実である。そんな風景を見学に来られる塾の先生たちも数多くいる。しかしやはり俺の頭の中のイメージとしては、生徒たちの手を取って川を渡っている。つまりは高校受験、子供の受験。しかし大学受験は違う。各自が自分の将来の夢を叶えるために志望大学を決める。そして志望大学の傾向を探り、自分なりの対応策を立て、カリキュラムを組む。それまでの喧噪と猥雑な空間から遮断するため、静寂を与えるために古い塾という空間を与える。高校生たちに全てを自己管理させたい・・・これがウチの古い塾の存在基盤となっている。それがここ最近揺らいできている。自分に対して厳しくなれない、自由ないさせると甘い線引きをしてしまう。あげく滅多に古い塾に行かない俺に向かって「先生に見捨てられた」という女子生徒たち。さすがに男だけの今年はそんな泣きは入ってこない。しかし俺が狙いとしていることが読めていない。ゆえに言っちまったわけだ。「古い塾は潰すぞ、夏休みに引っ越しや」

 6月16日の中日新聞の発言の欄に「17歳の犯罪を17歳はこう考える」という特集が組まれた。ここに掲載された作品は愛知県の長久手高校の生徒たちが政治経済の授業のなかで書いたという。決して進学校として名を馳せている高校ではなく普通の高校の高3の作品が並ぶ。編集部内で多少の添削が行われたことを差し引いたとしても、自分たちの考えを素直に表現しているいい作文。小論文とか作文とかの出来不出来は高校格差に関係がないというのが俺の持論。これらの作品とウチの生徒たちの作品とを見比べると雲泥の差。「これで慶応で勝負するってか」とつぶやきながらタバコの紫煙を流れる様を眺めていると甚ちゃんが登場。「先生、昨日の中日新聞見ましたか」 「隅から隅までね」 そんなところへ古西がやって来て作文を書いたとのこと。後から今井と波多野もやって来ては作文を書き出す。佑輔とあすかチャンを家に送る時間でもあり、古西に「パソコンに打ち込んどいてや」と言いつつ2人を送る。久居からヨットハーバーまでを周遊して塾にもどり、古西が打ったBBSの作文に目を通す。「最低やな!」 俺は思わずつぶやいてしまう。「そうでしょ? 一体、あいつは何を考えて書いているんや!」と甚ちゃん。歴史の教科書からでも引用したのだろう、取るに足らない下手クソな歴史の講義が続く。そして結論らしきものとすれば、最後の1行?日本は貿易を盛んにしましょう!でおしまい。俺は一瞬BBSに掲載するか削除するか悩んだ。塾の恥を晒すような内容の作文・・・栃木から九州までいろんな塾の先生の顔がよぎった。でも古西の次回に賭けよう・・・俺はBBSの掲載キーを押した。『れいめいをなめんなよ!・・・とくに俺をね』という、とりあえず威勢だけはいいタイトルが画像に浮かび上がった。

 翌日、ファイティング志摩より電話。「中山先生、中日新聞見た?」 「頭痛いわ、ウチのアホどもにコピーして渡しておきましたよ」 「ところでBBSですけど、これからの方向性を聞こうかなと思って電話したんですわ」 そろそろ正体を明かしてもいいだろう。ファイティング志摩とは南勢地区の塾の先生である。年齢は俺より若いが見識の高さ、文章力など俺なんぞ足下にも及ばない。去年の全県模試2回で勝負、ウチの中3にとり初の黒星を食らわされた。しかし4回ではウチが極差で勝ち1勝1敗のタイ。南勢地区では有数の進学塾である。英検1級を持ち、大学時代に英語でのディベイトに没頭する。現在は深夜ネット上をさまよい、そのツテで知り合った人と国語に関する著作をポプラ社などから出版している。「古西君から『俺をなめんな』って来られてうれしかったわ」 「でも、他のBBSでもディベイトやってて大変でしょ」 「いやあ、昼は仕事、夜はネット。楽しみでやってるさかい。大学のときにね、ディベイトやっててプレパレーション、つまりディベイトの準備やってるときにいろんな資料を集める。それまで知らんかったジャンル、ほんまに自衛隊なんか全然知らんかった。それでも自分のディベイト内容に合わせて都合のいい情報をいろんなとこから寄せ集める。限られた時間内に膨大な資料を読んでいく。他人の論説に自分なりのエッセンスをくっつけていく。このプロセスがたまらんかったわ。れいめい塾の高校生の諸君に短時間である特定のジャンルのエッセンスを味わう経験を積んでほしいな。哲学書読め!なんて言われても普段やったら絶対に読む気せん。でも何か目的があったら驚くほど短時間でそれなりの知識を習得できる・・・。古西君は経済で来た。僕も今経済学をチョコチョコ勉強してる。その意味で今回の古西君への返答、その成果を出してみようかなと。添削ばっかやとのヤジもあるしね、自分なりの意見を書きますわ」 「感謝します。でもBBSへの出稿時間、深夜の3時4時ばっかでしょ? 大丈夫ですか。ご自分の仕事を中心にして参加してくださいよ」 「いえいえ、これがまた僕にとっても充実した毎日になっているんですから」

 この日の深夜、さっそくファイティング志摩から返答が届いた。

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『れいめい塾』発25時 過去ログ 2000.6.6 その2

2000年06月06日 17時00分51秒 | れいめい塾発 25時 過去ログ集

 2日の夜、岡田さんを連れてIZIRINMAに行く。5月27日号で紹介した薬剤師の方の勤務する会社に偶然にして三重大生物資源のOGがいた。薬剤師の方の話を聞くかたわら塾内に起こるいろんな出来事をギャグめかして話していた時に岡田講師に触れた。フットワークが悪い上品なお嬢さんが就職と院進学の狭間で佇んでいるという前回の「25時」の内容。それに反応したのがご父兄、「そういえばウチの会社に生物資源を出た社員いたっけ」となった。是非紹介してくれと頼み込んだ。当然岡田さんのことも頭にはあった。しかしそれ以前にも生き生きして仕事をしている女性に会ってみたかったのが本音。この辺りは女の子は手に職を付けてあげたいという親の希望が多い。そして娘たちもまたその意向に従う傾向がある。しかしどこか歪な印象を感じてしまう。手に職を付けたいという希望だけで学校の先生になってもらったんでは子供たちにとって不幸過ぎる。自分のやりたい仕事をやっているんだ! そうプライドを持って言える女性に会いたかった。ウチの塾は困ったことに女の子が70%で男の子が30%という、5年前では想像もしなかった比率となっている。塾内に生息する女の子を見渡し一人ごちる・・・所詮は会社に入って、お茶を入れたりコピーなんか取ったりして結婚までを過ごすのだろうか・・・。去年の大澤加郁(スポーツインストラクターを目指して留学)あたりから女性にとっての職業というものを考え始めた。そして今年、箸にも棒にもかかわらない岡田さんがいた。いみじくも甚ちゃんが言った。「岡田さん、黒いスーツなんか着たら落ち着きすぎて見えるよね」 正鵠を射る表現、真面目だし、しっかりしているものの、ただそれだけ・・・到底、企業が求める対称ではなかった。生き生きした女性を岡田さんに見せてやりたい・・・、それと同時にこれから塾を巣立っていく女生徒たちのためにも見ておきたかった。自信を持って「社会に巣立て!」と言うために・・・。

 M製薬に勤める今年入社3年目のMさんはコロコロとよく笑う女性だった。岡田さんと見比べても、どちらが学生?なんて思いにとらわれた。彼女はM製薬の実験室勤務。化学が好きだったの?と水を向けると「いえ、高校時代は化学は見るのも嫌いなくらい。だから大学入試では生物を専攻したんですよ。そして進学後も遺伝子の研究してたんです。だけど大学の授業で有機の実験があって・・・それからかな、俄然化学にのめり込んでいったのは」 「受験生的には理論化学はともかく、有機なんて覚えるだけのシンドイ範囲でしょ? それが大学生になってなぜ有機に目覚めたんでしょうね?」と俺。「そうですね・・・高校生の場合はとにかく覚えないと入試に間に合わない。でも大学では実験中心で視覚的に分かりやすかったのが大きいかな」 劇的に変化する有機の実験に感銘を受けたことが化学分野への興味を抱くキッカケとなり、それが今の職種につながっていく。現在はラットなどを使って実験をしているという。その実験結果を会社のお歴々にレクチャーする機会も多いとか・・・。「オマエ、生意気そうに説明してるもんな」と上司である薬剤師の資格を持つ父兄が揶揄した。それに対して微笑みながら「そんなつもりはないんですけど・・・、そう見えます?」 

 この日の成果は大きかった。岡田さんにとっても、俺にとっても。生き生きと仕事をしている女性は女神だ。

 東進ゼミナールのシンポジウムを翌日に控えた3日の夜、長野が姿を見せる。「先生、正式にキユーピー内定のお知らせにあがりました」 チラッとシンポのことが頭をかすめた。多治見に9時やったからこっちを7時には出なアカンな・・・しかし俺は田中千秋の携帯の番号を探している。千秋は家にいた。長野に受話器を渡して高校生の英文法・時制のプリントをコピーし始める。後ろでは長野が千秋とはしゃぎながら話している。「はいはいはい、うん、分かった。そう、うん、楽しみにしてるから」 高校生にプリントを渡し、秋田真歩と英語の読解を始める。急がなくっちゃ・・・。受話器を置いた長野が叫ぶ。「先生、千秋ちゃんがすぐに来るって!」 「そうなると思ってたよ!」 真歩の英文読解、サッカーの英雄・ペレの話だ。それをラスト1ページまで訳すと長野に叫ぶ。「長野、後は頼む。俺は向こうで高校生やっつけてくるわ」 「俺に教えれるでしょうかね」 「馬鹿野郎、オマエ大学生だろ! でもな、真歩は英検の3級合格してるけどな」 「どないしょ、僕は4級しか持ってませんよ」 そして高1の英文法の授業を始める。高校生の授業を30分ほどしたところで千秋が姿を見せる。「先生、これお土産」 そういえば支店長の家族と長野県へ旅行に行ったんだっけ。お土産は俺の大好物の蕎麦である。「向こうに長野がいる。パソコンにはウチのホームページが立ち上がってるよ」 「ウワ! 楽しみ!」 俺は飲みに行くために授業を急ぐ。

 1時間ほどしてザッパに授業を終える。奥さんに電話。「あのさ、長野が内定の報告に来てさ・・・」 「・・・明日は早いんでしょ!」 さすがに俺の奥さん、勘がいいや。だてに俺と12年も暮らしちゃいない。「でさ、田中千秋も来てさ」 「明日は6時起きだったかしら」 「だからさ、お金ちょうだいよ」 「もう! 遅くまで飲んでいたら辛いのは自分なのよ」 「どうしようもなかったら、飯田先生に東名阪で事故起こしましたって言うよ」 「まあ! 結局はセミナーより生徒さんを取るのね」 

 宮池近くの『蔵』で飲むことにする。「飲み物は何にします?」と言うオバチャンに「生チュウ!」と俺。「ピーチ・チュウハイ」と千秋。「僕はウーロンで」と長野。「ウーロン割りか?」と俺。「いえ、ウーロン茶で・・・、えへへへ」 「なんなん!アンタ」と千秋。「新入生コンパでビールをオチョコに10杯ほど飲んで救急車で急性アルコール中毒で運ばれたほどですからね」 「情けな!」と千秋。「でも私も最近弱くってさ・・・」 運ばれてきたグラスを手に持って「長野、内定おめでとう。乾杯!!!」 長野が社会人の先輩たる千秋に質問してる。「千秋ちゃん、やっぱセクハラってあるの?」 「あるわよ。私なんか、いっつもオシリ触られたもの」 「よりによってオマエなんかの・・・」と俺が言うと「先生、その発言も十分にセクハラよ」 「すんません。で?」 「しつこいから私、支店長にチクッたのよ。じゃあ個人的に注意を受けてたみたい」 「それからその触った人の態度は?」と長野。「これが笑えるのよ。それからその人、男の人のオシリ触ってるの!」

 携帯に竹中から電話が入る。「めでたい酒やな、行かんわけにはいかんよな」 「へえへえ、すんまへんな」 そして竹中が座の中に入り狂乱の度合いが一挙に増す。俺と二人で冷酒を次から次へとお代わり・・・。前後不覚で塾にもどり藤山大輔(津高1年)にプロレスごっこのノリでつっかかったという。しかし大輔、マジに反撃! 蹴りを入れられて俺は後ろに吹っ飛んだとか・・・いつものように記憶がない。こら!大輔。40過ぎの大人に本気を出すな! オマエには「あえて先生にやられてあげよう」という優しさがないんか!

 塾のスラム街のベッド・・・電話が鳴っている。午前6時、出ると奥さん。「覚えてる? 岐阜の飯田先生とこのセミナーに行くんでしょ!」 「はいはい・・・もう行くから」と言いつつ再び睡魔に抱かれる俺。再び電話、「すぐ行くから」と言いつつ切る。さらに電話、「絶対に行くから」と言いつつ切る。さすが敵もさる者、何度も何度も敵機来襲。つまりは全然俺を信じてへんわけやな。午前7時、やっと久居を出発する。吐きそうになるのをこらえつつ伊勢自動車道を走る。

 去年のシンポジウムもやはり二日酔いで車を走らせた。会場の多治見市民会館に到着、机に着くやナメクジのように溶けてしまいそうだった。でも飯田先生に失礼だと気分を鼓舞し前から3列目の一番端に座った。たとえウツラウツラしてもこのポジションなら死角になる、というセコサも働いた。しかし「中山先生、ご苦労様」とのハイテンションの声とともに飯田先生登場! 困ったことに俺の隣に腰をかけた。「今日はたくさん勉強していってね!」 「はい!」 脇の下を酒臭い汗がつたった。 

 去年の記憶が蘇った。今度は同じテツは踏まねえと後ろの方に座った。吐きそうになるのをこらえながら、ホールへタバコを吸いに行った。階段を飯田先生が上がってきた。「ご苦労さん」 「今日もいろいろと勉強させてもらいます」 その後から今日のパネラー、それもトリを努める栃木の坂本先生が姿を現す。「久しぶりです」 「中山先生、元気だった?」 「なんとか」 「東京でさ、れいめい塾の広告見せてもらったよ。でも見ただけなんだよ。送ってくれる?」 「はい、三重県に戻ったらすぐにでも」 「栃木の塾の先生たちに言ってんだよ。自分の塾をどうしようか?なんて考えてるんだったら、三重県のれいめい塾に行けってね」 「光栄です」 2年前、坂本先生は吉田先生に勧められてウチの塾の見学に訪れた。そして栃木に帰るとすぐに塾のスタッフ2人を見学に寄越した。そしてそれまでの一斉授業のスタイルをウチの塾のように生徒一人一人の自主性に任せる形態に変えた。俺にとっては開明学院の永橋先生と並んで父のような存在(怒られるかな?)。旧交を温めながら会議室に入ると俺の席の隣に、なんと飯田先生が座っている。紅い糸ってか?

 中間期末などの試験は達成度試験である。しかし設問ひとつひとつに出題者の意図が潜む。たとえば一問一答形式の問題は単に生徒たちの知識を測り、記述問題では知識と知識を組み合わせ採点者に説明するという複合的な力を必要とする。飯田先生は東海中学(愛知県最難関の私立中学)の社会の過去問題を題材に、設問ひとつひとつを分類していく。これがビギナーの俺にとり大変役に立つ。分類においてはブルームの教育分類学を使う。分類は知識・理解・適用・分析・総合に分かれる。飯田先生によれば東海中学の社会は、知識・理解・適用の3つに分類され、地理分野では知識よりも理解の設問が、そして歴史分野では知識の設問が多いことを説明していく。俺がこのシンポに顔を出すキッカケはこの教育分類だった。今まで勘に頼ってきた傾向と対策を理論的に分類してみたと以前から思っていた。ブルームの教育分類学というのは吉田先生から聞いたのが初めてで、その吉田先生はSP理論などの権威である佐藤隆博先生から学んだという。佐藤先生は全国各地で教育理論の研究会を主催。この多治見でのシンポもまた、飯田先生が中心になりながらも顧問として佐藤先生が出席されていた。飯田先生の発表の後、俺は飯田先生に質問した。東海中学の設問のなかの難度の高い知識問題、つまり即答では答えられずに前後の文脈から判断して解答へと至るプロセスの問題、そんな問題は知識よりも適応のほうがよくはないか?と。飯田先生は噛んで含めるように説明してくれた。「中山先生の観点から、これは知識ではないなと思えば、それはそれでいいんですよ。重要なのは出題者側に均一化された基準があること。確かに僕は僕の基準であの問題を知識に分類したけど、悩んだ時は『えい、やあ!』ですね。正解はないんです」 「それを聞いて安心しました」 「でも中山先生、あれを適応はないんじゃない。知識レベルを逸脱しているとしたら理解かな」 「すんません、勉強不足で・・・」 「でもね、やっぱり難関私立の出題者はブルームあたりを研究してるよ。年度に知識・理解・適応のばらつきがないんだ。つまり応募者に対する明確な学校側の意志が感じられる。これが公立高校の入試になっちゃうと、もうメチャクチャ。いったい生徒の何を評価したいんだか? 出題者の確固たる意志が見られない状況・・・結局、何も考えていないんだな」

 佐藤先生の講義のなか、ブルームの分類(知識・理解・適応・分析・総合)は階層的な構造になっているのに対し、文部省の生徒指導要録では知識・技能と表現力・判断力が羅列的構造になっていると指摘された。つまり貧しい俺の知識で説明すると、ブルームの理論ではまず知識・技能といったものがあり、これを前提として修得していくうちに理解・適応・分析・総合といった思考力でくくれるエリアの問題に到達する。言葉を換えるならば、初めから思考力を養うのは不可能で、その以前の段階として知識・技能の修得が不可欠となる。これに対して文部省の指導要録、一般では「新しい学力観」では知識・技能と思考力が並立しており「知識はないけれども表現力はある」という奇妙な生徒評価が生まれる可能性があるわけだ。この俺の拙い説明、このHPを見た先生、飯田先生か坂本先生!添削してください。こんな理解でいいんでしょうか?

 坂本先生は栃木県内の塾を組織し統一試験を主催、その問題の制作も担当している。業者試験が完全に栃木県の入試問題に合わせて作られているのに対し、坂本先生の設問は子供達の表現力・判断力を育てる目的で作られている。問題制作の基準になっているのはブルームの教育分類学。以前の栃木県の入試問題は必要以上に知識問題が多く(つまりは短絡的な一問一答式問題)、物事の本質に迫る問題は皆無だったという。業者の問題はこの傾向を助長したにすぎない。そこで坂本先生は過去の栃木県の問題をブルームの分類学で分類し、教育委員会に提出。偏向的な出題傾向の変更を要請した。驚くべきことに教育委員会にはブルームの名前を知っている人はいなかったという。ただ再三にわたる坂本先生の説得と熱意ある態度、さらには度数分布などの膨大な資料を前に教育委員会は改善することを検討。そして最近では国語を除き、他の4教科は良い方向へと問題の改善が続いているとのこと。「よく教育委員会を動かせましたよね?」 「まあね、ウチの塾が属している組織の生徒数のトータルは栃木全県の生徒数の23%を占めてる。それが大きいんだろうけどね。短絡的な正解追求型の問題を出題することで、その解法のテクニックには長けるかもしれない。でもさ、思考力や表現力のない生徒を大量生産しているだけだよ。やっぱりこれからの日本の将来を担う人材を育成していくのが僕たちにできることじゃないかな」

 午後5時になり終了、名古屋市内で塾を経営している跡部先生を乗せて19号線を走る。職業がら声が大きい塾の先生のなかでは珍しく、跡部先生はポツポツと噛んで含めるように話す。俺がデキの悪い生徒だからだろう。車中、含蓄に富む話をいくつかしていただいた。BBSの話題から「少年犯罪も問題だけれども、それより中小企業が絶滅の危機に瀕していることが心配ですね。手作業などで今までの日本経済を支えてきた技術者がいない。工場には高齢者ばかりで後継者不足に悩んでいる。少年犯罪より、このことのほうが近々日本を直撃するんじゃないかな」 大曽根の五叉路で跡部先生を下ろし、塾にもどったのが午後8時前。中間試験開けの岡田拓也が姿を見せる。「中間試験どやった?」 拓也は点数を紙に書き込む。合計415点・・・。「オマエさ、もしかしたら中学に入って初めて400点取ったクチか?」 拓也は頭をかいて苦笑しながら頷く。「やっぱうれしい?」 それにも微笑むだけ・・・。「オマエさ、感動ってないの?」 再び微笑み。「今度の期末は450点だ!なんてノリもねえの?」 ただただ微笑み。業を煮やした俺は叫ぶ。「そんなナヨナヨした性格じゃ就職面接、どっこの会社も受かれへんで!」 

 この夜、珍客登場・・・ドタキャンの杉本理恵。ウチの塾で国語を教える予定だったのはいつのことだっけ? 忘れちまったな(詳細は「25時」4月20日号)。杉本は飲み会帰りの風情で「中井君から頼まれて国語を教えることにした」と宣う。たとえウチの生徒であろうと4月の時のドタキャンに関する詫びも説明もない。俺にないくらいだから高1や高2にもないだろう。時間を守れない奴、自分のしたことに責任を持てない奴に興味はない。適当にあしらっておく。中井を教えるのは自由だがバイト料を払う気はない。是非にということならば、ここはかわいい後輩ということでボランティアでやってもらえばいい。機関銃のようにしゃべるだけしゃべって「なにか冷たい雰囲気、もうイヤやわ」と退却模様。

 6日、越山からメール・・・・以下。

 昨日、第三の人事の人から電話があって、結果は・・・不合格だそうです。これで、すっきりしました。やっぱ、どう考えても銀行には行きたくなかったから。これでほんとうによかったと思ってます。両親には悲しい思いをさせたと思いますけど、お互い?ベストを尽くして出た結果ですから納得です。あれだけ証券会社に行くなと言っていた母親も、いざ就職先が一個になると手のひらを帰したように「丸三証券に行きなさい」で、話は終わりました。それでは夏にお会いしましょう。あっ!そうだ。夏は麻雀つきあってくださいね。

 これで今年の就職組で残ったのは公務員試験を受ける藤田正知。俺はさっそく正知の携帯に電話。「勉強やってっか!」 「やってますよ。今だって図書館で・・・」 「いつからスタートだっけ?」 「6月10日からです」 「面接はともかく、オマエは勉強ではバカなんだから頑張れよ」 同じく6日、長谷川君(詳細「25時」5月7日号)からメール・・・・以下。

 先生お久しぶりです。二次会では心温まるスピーチ有り難うございました。新婚旅行から帰国し、そのまま仕事に突入。相変わらずの痩せる日々を送っていたとき、田丸・弟からアドレスを聞きました。さっそく目にしたそれは懐かしい「れいめい塾発25時」。思わず時間のたつのも忘れて読み進むうちに、自分のことが載っているのを発見。恥ずかしいやら嬉しいやら、奥さんといっしょに楽しませていただきました。これからは二人力を合わせて「泌尿器科に長谷川あり」といわれるようにがんばりたいと思います。(どっちの長谷川だ!なんて言われないように) また旅行のお土産を手に、塾に顔を出そうかと思っています。      

 さらに、披露宴の時に聞けなかった本音に迫るP.S.が続く。

 P.S.ちなみに奥さんは9年目のドクターです。それから、先に好きだと言ったのは、どう考えても自分ではなく奥さんの方だと思います。また、どうして師弟が結婚することになったか・・・。それは「釣り鐘理論」かな?なんて思ったりもします。釣り鐘を見知らぬ男女が一緒に渡ると、渡り終えた後に奇妙な連帯感が沸き起こるというもの。一緒に仕事をしていく上で、難しい症例や手術を幾度となくくぐり抜けていくうちに、いつの間にか惹かれあったのかもしれない。これが結婚に至る真相です。ではまた。

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