face book では前田や佑輔が「れいめい東京会」の写真を貼ってくれている。その写真の中から名幹事との評価を不動のものとした佑輔の撮ったスナップ・・・これが一番きれいやね。
6時から始まり時間延長に次ぐ延長、結局は午後10時過ぎに撤収。外で記念写真を撮る。
後列左から右へ・・・瞭と玄太の親父さん(東京大学職員)・橋本ドクター(呉・橋本クリニック)・北野君(築地の大きな病院)・邦博(4期生・ノキアシーメンス)・前田(6期生・千葉大学医学部特任助教)・日置(神楽坂キーストーン法律法律事務所&早稲田法科大学院教授)・岡南(18期生・東京工業大学院2年)・森下(8期生・和光大学専任講師)・放蕩な亭主に苦労しっ放しの奥さん・サッチャン(東京大学医科学研究所特任研究員)。そして前列左から右へ・・・敏也(5期生・建築業)・甚ちゃん(6期生相当・県職員)・古西(12期生・JT)・村瀬(13期生・オービック)。そして申し訳ないのは佑輔(14期生・日本ユニシス)と菊山(15期生・小松製作所)の二人、この時は二次会の場所を探してくれてたんだっけ。
みんな、集まってくれて本当にありがとう。たぶん、死ぬまで・・・微笑みながら何度も何度も思い返す、そんな記憶になるはずだ。感謝する。
俺は27年前の春、生徒数13名で塾を始めた・・・。
普通ならここでエンド、以下は「れいめい東京会・Ⅳ」というエントリーにするだろうが今日から期末試験直前の戦塵が舞う。「記事のエントリーは手ごろな長さにして、みんなが読みやすいように」との克典(9期生・ツイッター)の口癖。言いたいことは重々承知やけど、今回は例外。一挙に最後までや。
瞭の親父さんと別れの挨拶・・・飲み会冒頭で親父さんを皆に紹介した。「二人のご子息が魅力もあり、成績もいい。兄は難関の名古屋の航空へ進み、弟は医学部へと進学した。子育てに関しては皆の参考になるはず。よお~く拝聴するように」 これに対して親父さん、「そりゃ、小学生になったられいめい塾に入れることですよ」と絶妙のキラーパス、感謝します。そして、それ以上にありがたかったこと・・・サッチャンや前田に大学関係者を紹介していただいた。ことに東京暮らしが始まったばかりのサッチャンにとっては心強かったことと思います。本当にお世話になりました。
親父さんと別れたものの、どうやら誰も帰る気配なく、新宿の盛り場で「次の戦場は何処(いずこ)なり!」と騒いでいる。
唯一、佐倉に一軒家を建てた前田だけが終電を気にしてはスマートフォンで最終をチェック。ちなみに前田同様、かなり遠くからの登場は平塚に住む菊山(15期生・小松製作所)、平塚行最終は遥か彼方を疾走しているはずだ。
そして二次会は佑輔主導で『番屋』のすぐそばの飲み屋・・・これがまた飲み放題。再び乾杯の音頭が店内を震わせる。橋本ドクターがやって来る。「先生、皆が集まってきてくれて・・・本当に楽しいですね」 「遠路はるばるの橋本君からのコメントや、それが嬉しいよ」
飲み始めて30分ほどで前田が別れの挨拶。「前田先輩、僕の息子も昨夜から熱を出してまして・・・それでも今日はとことん行きますよ」と下剋上発言は村瀬。「アカンアカン、俺んとこは配偶者激怒や」とのコメントを叫び散らして退散。
午前1時の新宿、さすがに巷の喧騒の度は多少なりとも鎮静化。日置とは再会を期して別れる。「次はさ、神楽坂で飲もうよ」 「ホンマ? 絶対やで」
そして20年ぶりの邂逅・・・日置との語らいのなかでの一番のビッグニュース・・・「これからは次の世代を託せる若者たちを育てていきたいと考えている。たとえば中山が言ってたように、今の時代だと東京の早稲田や慶応に下宿させて通わせるのは大変かもしれない。でもね、早慶じゃなくともいい、それなりの大学に入学すれば世界中のシンクタンクや図書館などから情報を集めることができる。個人でやろうとすれば100万以上のお金が必要かもしれない。でも大学に入ることで、大学を利用してタダで自分が欲しい情報を手に入れることができる。これって、すごいと思わないか。勉強が好きな生徒には、そんな環境の整った大学で真面目に勉強させてあげたい。大学で何をするのか・・・その一番大切なことを今こそきちんと高校生たちに伝えなければならない。僕たちの時代のように、偏差値で大学を決めるんじゃなく、将来何をするか、それを踏まえて大学で何をするか・・・それを明確にして大学を決める。それが今の日本の高校生に一番必要なことだと思っている。もし、そんな話を高校生にして欲しいんだったら僕は中山の塾まで行くよ」
橋本ドクターと北野君とも別れる・・・たぶん、二人でどこかの飲み屋のカウンターででも延長戦に臨んだのかもしれない。岡南も帰途についたようだ。なぜか翌日が仕事の佑輔、サッチャンと行き先が同じ方向だからと渋谷からタクシー相乗り。残った面々はタクシーで邦博のマンションのゲストルームへと急ぐ。そして買ったばかりのマージャンマットの開帳である。
ラスマイでツモり四暗刻のイーシャンテンの俺、トップの古西と13000点差の2位。この手は鳴いても満貫、古西直撃で逆転・・・ほくそ笑む俺に古西のリーチ! 三竹の暗刻頼りにツモってきた二竹で振り込む・・・勝負あったか、唇を噛む俺。そして迎えたオーラス、依然として手配がよどみなく動く古西、9巡目にリーチ。俺はまたぞろ四暗刻がらみの手・・・中盤で間七萬でなんとか三暗刻テンパイ。そこへ想定外、菊山がリーチ! 俺は手替わり一つで四暗刻単騎に変る手だ、ここは行くしかない。何をツモっても前に出る。ところが誰もツモらない、誰も倒さない、誰もしゃべらない。ツモが数巡となった終盤、古西一瞬の逡巡の後に初牌の南をツモ切り。「ロン」 菊山が小さくつぶやき牌を倒す。南と七萬のシャボ・・・ツモれば四暗刻という強烈な一打。三暗トイトイにドラが乗って倍満。この乾坤一擲のリーチで、極差で菊山が逆転トップ。
いい勝負だった、しかし勝負の綾にからめない俺。ツキはない・・・ここは寝る一手、このまま続けると手ひどい目に会うはず。この一局で寝る、悔しいけど潔く寝る。
翌日は邦博のマンションから森下の運転で出発する。同乗者は敏也だ。邦博は朝からゴルフ、それ以外の面子も三々五々。しかし霞が関の官庁街、やっと探し当てた喫茶店だが、珈琲代より一般駐車場の料金のほうがかさむがな。
敏也を地下鉄の駅で降ろしてから、サッチャンとの飲み会の喧騒のなかでの約束・・・帰る前にウチに寄ってください、渡したいものがあります・・・目黒界隈を器用に飛ばす森下。こんな時にナビは便利だ。
「スッピンだから写真はやめてください!」との報道規制のもと、サッチャンからは俺んちや里恵(7期生)への土産を貰う。「先生、北野ドクターから、『まだまだ話し足りないから、近いうちに病院へ話の続きに来てください』って・・・本当にいろんな御縁を頂きました。ありがとうございます」 新たな糸の紡ぎがこっちでも・・・良かった。
和光大学に到着、再び俺がプリウスのハンドルを握る。少しは町田の田舎道に慣れたのか、快適に飛ばす。「こんなところに緑町スタジオがある!」と奥さん、はしゃいでいる。緑町スタジオが何か分からない俺、ひたすらに厚木街道から「横浜・町田」のインターを目指す。
帰りは東名・・・行きは見えなかった富士山、足柄SAで少しだけ拝める。
そして浜松で下に降り1号線に入る。浜松・・・香介(9期生・ヤマハ発動機)に会いにきて以来の浜松。その香介、今はオランダ・・・どや、香介、この記事読んで羨ましいやろ! 悔しかったら早く帰ってこいや。
浜松に降臨・・・以前からどうしても走ってみたかったルート・・・弁天島から浜名湖をきちんとぐるっと真面目に一周。沿岸沿いにはさすがに鰻屋がポツリポツリ・・・でも価格帯は三重より2割増し、あえなく却下。そういや俺たち夫婦が結婚して25周年、飲み会のサカナにもなっていたっけ。この周遊、夕日の壮麗さ・・・なんとか指輪代わりにならんかね。
二日間で1150km・・・燃費1ℓ あたり25km弱、少し嬉しい。でも、ほとんどは都心の一般道を走ってくれた森下のグッジャブやろな。「ところでプリウスを買ってから、ひと月の走行距離って知ってる?」と奥さん。「さあ・・・500kmくらいか」と俺。「・・・2000kmよ」と奥さん。この状況をどう認識していいのか・・・とりあえずは沈黙は金だ。
夜に森下から塾で高校生を相手に授業している玄太に連絡が入る。「ブログの更新が一向にないんやけど、先生まだ塾に着いてへんのか」
その時間、俺は23号線を悠々として急いでいる。
一気呵成の「れいめい東京会」の稿、これにて終了。
昨夜、森下が face book で日置の記事をシェアしていた。こっちの方は目論み通り・・・ついつい微笑んじまう。たぶん、森下が友達申請をしたんだろう。ここにも新しい糸の紡ぎだ。
そして深夜に北野君からメール。・・・日置先生は、高い社会的地位にある人には珍しく、寛容でバランス感覚が取れた方だったので嬉しかったです。現代の学力偏重の教育に危機感を持っておられるところでは意見が一致したと感じました。是非、今後もお付き合いいただければ光栄です・・・とのこと。いやあ北野ドクター、悪役レスラーらしからぬ、まっとうなコメントやん。また、日置と東京で飲もう。その時は俺がレフェリー、耳が不自由なレフェリーやな。
小さなころは、タクシーの運転手になりたかった俺だ。しかし今は・・・花咲かじいさんになりたい。