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津・松阪地区で高校入試における内申でお悩みの方は、無料相談承ります。
メール(reimei.nakayama@gmail.com)またはお電話(059-255-1123)で、れいめい塾まで『内申の件で』とご連絡ください。
河合塾が今年になり、今までのA判定からE判定に加えF判定というのを出した。F判定、つまりフリーだ。入試のボーダーがない。受ければ誰だって合格する。確かに大学全入になったことをヒシヒシと感じる。この近辺では芦屋大学にF判定が出ていた。しかし芦屋だけではなく多くの大学(河合塾では私大の18%にも達するという)がかつてほどの努力をせずとも合格できる。そして何の目的もなく大学生活を送る。バイトは遊ぶための費用、留学もまた物見湯山で国内旅行の延長でしかない。このタイプの学生、すなわち享楽追求型の人間が就職シーズンとなりやっと自分の将来というものを考え始める。村上龍が「学歴は崩壊した」と何度叫んでみても、今年もまたある一定以上の大学から有力企業に入っている現実がある。確かに崩壊しつつある。しかし企業側の論理として「無駄だとは思っても化けるかもしれへん。よっしゃ、採用してみよか」なんてノリで採用する余裕、今の時代なきに等しい。しかし成績が悪くても好奇心の強さ・一般的な見識の広さ・人を魅了するキャラクター、このようなものが備わっているならば、単に成績がいいという学生よりは秀でている。ウチの塾の現実的なスタンスは、文系の高校生にはある一定以上の大学、この場合は将来を見据えたうえでの専門的な勉強や研究ができる環境を備えている大学に行ってほしい。そして大学の4年間では最低限の勉強と自分の興味ある対象を見つけてほしい。学生空間から出て、社会の感性を身につけてほしい。学生間だけでなく、世間の人とも普通に話したいことを話せる普遍性を身につけてほしい。ここで俺には今イチ分からないのが理系の場合だ。俺もまた生徒たちには大学に進学する段階でほぼ自分の将来の職種が決定することを認識するようにと言っている。電気電子から土木へ就職する例はほとんどないし、理学部から医学部へもないだろう。となると学部を決める一瞬が将来の自分の職種を決めることになりうる。学部を決める時期は高2,3年。じゃあ、その時期に職業という意識をどこまで持っているのか? 数学や化学&物理が得意というだけの理由で理系に決定する。その危うさを高校生たちは全くといっていいほど認識していない。文部省が週休2日制を導入した。余暇の時間を利用して「自分探しの旅」をしてほしいとのネライだ。しかし中学生、しんどいやろな。でも高校生ならば自分の将来の職業と向かい合う時間が不可欠となる。ノッチンの授業、ウチの塾からの進路に悩む高校生へのサポートの一環。「自分の希望職種に就職するために学部を決めるべきである」という俺の発言にノッチンはクレームをつけた。「無理に就職する必要はないんだ。自分が何でメシを食っていくか? それを是非高校生のうちから考えてくれ」というノッチンの発言には唸った。高校生だけにではなく俺にとってもいい講義だった。いつのまにか、俺の思考も硬直化していたようだ。
講義が終わった後で、俺とノッチンに村田君を加えて3人で飲みに行った。いろんな話をしたが、その大半を酔っぱらって忘れちまった。ただ、Sさんから聞いた話をした。そして医学部の禁忌問題について話した。ここ数年、成績優秀者が医師国家試験に落ちている。原因は禁忌問題。患者さんにこんな処置を施したら死に至らせるという設問をちりばめ、その選択肢を選んだら成績が良くとも落ちることになる。三重大医学部でも今年の国家試験で学年2位の学生が落ちたという。それに対してノッチンの感想・・・「でもな、それをできる医学部はすごいよ。その禁忌問題を出題することで改善を図っている。その意味では内部的には問題もあろうが、立命館も同じやな、すごいよ。賛否両論はあるだろうが改革への明確な意志が感じられる。しかし俺が所属する工学部は遅れてるよ」
ノッチンは俺の家に泊まった。翌朝、2人でニュースを見ていると名古屋大学でおもしろい実験が行われたとニュースキャスターが報じている。2人とも画像へ視線が動く。その実験とは教官から学生たちがボール紙と生卵を渡され、ボール紙で工夫して卵を包み10階の高さから落とす。着地して卵が割れなかったら単位が修得できるという内容。学生たちは1週間ほどの猶予を与えられ工夫を重ねていく。なんとか着地のショックを和らげようとする。あるいは紙を細かく切って翼をつけて回転させながら落とそうとする。結局は半分以上の学生が合格したが、教授がこのような実験をした動機について語っていた。「最近の学生たちはまわりの現象に不思議だな?という感性が鈍っている。多分、小さい時から与えられた物ばかりで遊んできた。自分たちで物を作って遊んだという経験がないから、工夫できない。工学部は物作りが基本ですから、このような実験が刺激になってくれればと・・・」 隣りでノッチンがつぶやいた。「現場サイドが言うことは皆同じなんやな」
今回のノッチンの授業は概論であった。次回からは各論に絞るつもりだ。数学・物理を中心として、絵を描くことにより記憶を定着させるプロセスを解説してもらおう。なにしろ自分の娘に2次関数の最大最小をニンジンを縦に切ることを例に説明した男だ。当然、ノッチンの娘さんは小さい時から料理の手ほどきを受け、包丁を使わせても上手いとのこと。薄っぺらい知識だけなら小中レベルならしのげるかもしれない。しかしある一定のレベルを攻略する際には皮相的な知識では限界がある。どうしても実学的な知識が不可避となる。小学生のご父兄には「れいめい塾通信」で何度も言っているように、子供には必ず料理をさせるように。さらに料理だけでなく、家のなかのあらゆる仕事を! それがイヤがれば子供たちに「外で遊べ!」と号令をかけてほしい。外での遊びにも料理同様に将来にいつか必ず役立つ貴重な経験が無数にある。一番やっかいなことは、自分の子供が机に向かって勉強している姿を見て安心する親たちだ。あげく勉強さえちゃんとしてくれるのなら、家の仕事はお母さんやお父さんがしてあげるから・・・なんて雰囲気、これが諸悪の根元なのだ。このような親たちの思考が子供を壊している。ウチのBBSでやってるテーマ『少年犯罪&政治に無関心な子供たち』・・・この遠大なるテーマの最も重要なキーワードとなるのが、このような親の姿勢。暗黙の中での価値基準の子供たちへの押しつけだと俺は睨んでいる。
16日、1週間前には45歳のロッカーを見事に演じてみせたデンちゃんが、今日は毒舌の日本史講師として登場。その毒舌、今日も冴えわたり波多野が血祭りに上げられていた。
BBSでおなじみの「ダーティー珍」ところの息子が、この夏はるばる福井からウチの塾に留学するそうな・・・留学、ここはオヤジ同士がプロレス者らしく「密航する」といこうか。名前はアキラ・・・立命館大学志望のアキラはウチの古い塾でどんな17歳の夏を過ごすのか? ウチの高3からどんな影響を受け、どんな影響を与えてくれるのだろうか? とりあえずDUOを購入して、その日まで英単語を磨いといてや。密航予定日は7月30日、今から楽しみにしている。
突然、斉藤太郎(北海道大学3年目の1年)から電話。「クラキマイって知ってるか?」 「なんや、それ。知らんわ」 「今度デビューする歌手なんやけどな」 「それがどうした」 「明日CDが発売されるねん。俺は買う」 「勝手に買えや。で・・・なんや」 「先生も買え」 「アホか! なんでオマエが好きやからて俺が買わなアカンねん」 「あれは聞かんと塾の生徒の気持ちが分からんぞ」 「で、なんや、そのマクラは? まだ何かネタあるんか」 「実はさ、ヒロミちゃんの妹って立命館高校やったよな?」 「ああ、そうや」 「何年生や?」 「・・・知らんよ」 「倉木麻衣(後に生徒たちから漢字を聞いた)は立命館高校に通ってるんや」 「なんや、ヒロミちゃん経由でサインでももらおうってか」 「ちゃうちゃう、今な、倉木麻衣はイジメにあってるらしいわ。噂が北海道にまで伝わってきた」 「何感動してるねん? で、原因は?」 「まあな、宇多田ヒカルの物マネやとかな・・・」 「宇多田ヒカル? ああ、藤圭子の娘か?」 「思考が完全にオッサンやな」 「ほっとけ!」 「確かに似てるんは認めるけどな・・・、その噂が真実なのかどうか」 「分かった分かった、今度大阪へ行くからヒロミちゃんに聞いといたるよ」 「よし」 「バカ野郎、何がよしだ!」
しかし大阪ではヒロミちゃん(渡部裕美・京都教育大2年)にすっぽかされた? 1時間待っても来なかった。俺はデンちゃんの奥さんが経営している喫茶店『ベン・シャーン』に行った。デンちゃんのバンド、『セルフィッシュ・ベベ・バンド』の演奏は3時から。それまでの時間をコーヒーでも飲んでいようと考えた。カウンターには久しぶりに会うSさんがいた。以下の内容ゆえに名前はイニシャルにしておく。Sさんは関西圏のいくつかの大学で英語の講師をしている。俺もまた塾を生業としていることから話題は自然と最近の大学事情となった。以下はその時の概略・・・
「中山は俺が立命館大学で教えてるの知ってたよな」 「ああ、Sさん前に嘆いてたやん。立命館は200人教室に生徒を詰め込んで英語の授業やるって」 「そうそう、だから授業内容も工夫してさ。生徒を当ててる時間なんてないしさ。英語の歌の歌詞を題材にして比較文化論風にアレンジしてやってたんや。それが去年1年間は他の大学からぜひにと言われて授業を増やして、立命館のほうは休んでたんや。それで今年1年ぶりに立命館を訪れた。俺を昔に立命館に引っ張ってくれた人の姿がない。それで、事務の人にどうしたんですか?って聞いたら辞めたって。事務の人がその教授から俺あての手紙を預かってるって言う。その手紙を見たら『S君。突然だが大学を辞めることにした。身体がもたない。君も早く辞めたほうがいい』って書いてあった」 「理由は?」 「うん、去年から英語の専任講師として立命館にマイケルっていうアメリカ人が入ってきたんや。これがさ、学術畑じゃなくて海兵隊出身なんや」 「そりゃ、珍しいな」 「だろう? で、このマイケルが英語の授業に口出し始めたんや」 「口出しって大学の場合は授業は専任であろうと非常勤であろうと、各講師の自由裁量に任されているやん」 「確かにな、でも立命館は去年からマイケルを中心に全ての英語の教官に教材を配布した」 「つまり、それって授業内容がみんないっしょってこと?」 「そうや。それも本なんかを渡すんじゃんくてさ、授業当日にその日にやるヒアリングテープとそれに関する問題を渡す」 「どんな授業内容なん?」 「1コマ90分のうち、前半40分でヒアリングテープを聞かせてその内容の論述試験、10分休憩後に再び後半40分で2回目の試験や」 「ヒアリングばっか?」 「ああ、それを毎時間やるんや」 「毎時間って? それで単位はどうなるの?」 「毎回試験して60点以下は落ちる」 「一度でも落としたら単位取れへんの」 「細かい基準は分からない。ただ、今年も今の段階で落ちてないのは10%もいない。でもこのままいくと、ほとんどが落ちる」 「その英語は必修?」 「ああ・・・」 「全学部?」 「ああ」 「ということは・・・卒業できる奴って・・・」 「英語ができる奴か? でもほとんどが壊滅状態やな」 「そのヒアリングのレベルってどうなん? 方法論としてはいい方法やん?」 「確かに方法論としてはな。ただ、どう考えても今の学生の英語のレベルとではかけ離れている。難しすぎるんや。ちょっと背伸びした程度のヒアリングやったら俺も賛成するわ。でも差が歴然としすぎている。なにしろ講師の中にも『今日のは分からんかった』っていう人がいるくらいや」 「立命館ってさ、最近いろんな入試やってるやん。AO入試とか一芸入試とか・・・」 「だから、そんな奴らにすりゃますます最悪なんや」 「そりゃひどいな」 「でもな、それだけじゃないんや。マイケルは試験の結果を教官にその日のうちに大学側へ申告するようにと命じたんや」 「採点してから?」 「ああ、申告はパソコンに入力する。だから自宅からでもかまわないと言っているけどな。その場合、パソコンがなければ自前で買えと言ってる。そしてな、それにかかる時間には手当が付かない」 「え!」 「当然、採点もしてその結果をパソコンに打ち込む作業、俺でも3時間くらいはかかる。俺でも3時間・・・」 「あ!」 「中山、気づいたやろ? そや、高齢の教授なんかはパソコンなんか打ったことがない人、世間の人が想像する以上に多い。そんな人にとって一体何時間かかることか・・・」 「だから・・・身体がもたない・・・」 「ああ・・・」 「で、Sさんはこれからどうするの?」 「マイケルはなぜか俺にだけは口出ししてこない」 「他の講師の人たちは?」 「正直言って、今の立命館内部は爆発寸前やな。来年あたり講師が一斉に辞めるかもしれない」 「そうなったら?」 「マイケルのメガネにかなった連中が入ってくるんやろな。現に今春から腰巾着みたいな奴らが何人か入ってきている」 「大学側の目的は・・・リストラ策? コストのかかる高齢の講師の退職の追い込んでの・・・」 「そんなとこやろ。確かにコスト削減には貢献しているな、マイケルは・・・」 「ノッチン(後野大阪工業大学教授)が言ってたよ・・・関西圏の私大で生き残るのは立命館やって」 「確かにな、立命館はあの調子でいったら生き残るよ」 「でも俺の立場からすると、英語の苦手な生徒を受けさせるのは酷やな」 「ああ・・・、学生たちと話してても3か月過ぎてもヒアリングがさっぱり分からんって言ってるよ」 「留年が大勢出るよね」 「ああ・・・、出るだろうな」
デンちゃんの一人息子、茂太(もた)が店に顔を出す。「茂太、いっしょにオヤジのかっこええとこ見にいこや」 茂太は「いえ、僕は結構です」 「なんでや」 「僕はああいうのかっこいいとは思えやんから」 「やっかいな息子やな。45歳になってもロックやってるなんて誇れるオヤジやで」 横合いからデンちゃんの奥さんのマッチャンがささやく。「だめなの、この子。お父さんのああいう姿は絶対に見たくないんだって」
45歳のオヤジのロックは気色良かった。まわりの面々もかつて関大を中心にして活躍した面々。俺にとっても懐かしい。稲ちゃんのギターは昔と変わりなく絶品だった。デンちゃんの結婚式以来の対面、デンちゃんは大阪千里のラクスマンホールでコンサート形式の結婚式を挙げた。新郎自らがボーカルを担当、そしてバックを務めたのがこの日集った面々。ちなみに俺は司会、サンバイザーにエプロン姿に下駄という出で立ちで司会を務めた。あの時、マッチャンのお腹のなかに茂太がいた。その茂太もいつしか高2、45歳になっても何かにこだわりつつ生きる濃いオヤジを持て余す年齢になったわけだ。
盛り上がった二次会の喧噪が収まりかけた頃、宮口が到着。空腹だという宮口と二人、天神橋六丁目、通称天六へ。ここには大阪一安いと評判の寿司屋『春駒』がある。大学生の頃、俺はこの店に通うためだけの目的で、下宿を吹田から天六に移した。店構えはあの頃と同じ、しかしカウンターの中は見知らぬ顔ばかり・・・当たり前か。宮口と競争するように注文していく。皿がみるみる積み上げられていく。まいったのは「サバ、ワサビ抜きで!」「ハマチ、ワサビ抜きで!」と声を張り上げる宮口の必殺ワサビ抜き攻撃。宮口の携帯が鳴り、日比が来るとのこと。玉造の駅で待ち合わせ、3人して中村(近畿大2年)のバイトする店へと向かう。店じまいをした中村と落ち合い、遅くまでやってる居酒屋へ。
昼間っから飲みっぱなしの俺、さすがに冷酒や焼酎とはいかない。軽めの焼酎割りを頼むと中村が「先生のそんなとこは見たくないな」とジャブを繰り出す。「うるせいな、倒れそうなんだよ」と俺。「そうや!先生」と中村が素っ頓狂な声を上げる。「なんや」 「ホンマに古西が津高で1番になったん?」 「えらい情報速いやん」 「塾のホームページ、チェックしてるからね」 「なんなん!それ」と日比が横やり。「ほんまなん? ホンマやったらなめとるわ、あいつ」 「数学、力ついとるん?」と中村。「慶応は単答式の問題や。古西にはむいてるわ」と俺。「よっしゃ! 俺が夏に帰ったら古西と勝負したる!」 「勝負って何の勝負だ」 「数学や数学」 「そういや俺、久居の花火大会の日に波多野とDUO;3.0の勝負するねんで」と日比。「そんな話になってんの?」と自覚のない塾経営者。「ああ、5月の連休の時に約束したんや。そや、中村先輩、いっしょにDUO;3.0の勝負やろうよ」 「アカンわ。英語なんてもう忘れたわ」と泣きの入る中村。「そういや、波多野は頑張ってる?」と日比。 「国語がついに偏差値40を切った・・・、今日はどこまで行くのやら・・・やな」 「何やってんねん!あいつ」 「電話でハッパかけてやれよ」 俺たち3人がワイワイやってる間にも宮口は雑炊を注文している。「オマエ、アフリカ難民か」と俺。「いやあ、食える時に食っとかないと」と平気な顔の宮口。「そういや、ヒロミ先輩は?」と日比。「今日、関大前で待ち合わせしょうやとメール出したんやけどな。来んかったんや」 「また、何かヒロミちゃんを怒らすようなこと言うたんちがうの」と中村。「別にこれと言って・・・、そや!斉藤のネタ伝えやなアカンかったのに」 「なんなん。斉藤先輩、何かあったん?」 そして俺は倉木麻衣がらみのネタを話す。「ヒロミちゃんから妹に聞いてもらわんと」 「先生、倉木麻衣なら転校したよ」と中村。「え! なんでオマエなんかが知ってるねん」 「ウチの店でバイトしてる女子高生が言ってた、『倉木麻衣がイジメられて立命館高校からウチの高校へ転校してきた』って」 「そりゃ、どこの高校なんや?」 「さあ、今度聞いとくよ」 雑炊を食い終わった宮口がおもむろに口を開く。「先生、僕は桐原2章の試験やりますよ」 「なんやて! オマエ、まだ英熟語覚えてるの?」 「まだまだ現役っすよ。高校生なんかに負けへん」 「負けへんって、オマエ。アスカちゃん(妹・津西1年)に負けたらどないすんねん」 「あんな奴に負けるはずが・・・、もし僕が高校生に負けたらメシ奢ってやりますよ」 「2万くらいいるぞ」 「失礼な」 「で、いつにする?」 「8月は盆までクラブの合宿がありますから・・・、17日あたりでどうですか」 「かまへんよ。塾にもどったら皆に言うとくわ」
夏休みは現役にとり大学受験の正念場となる。大学生となったかつての受験生たちは夏休みに帰省すると古い塾の高3たちと勝負をする。種目はかつて自分が得意としたジャンル。自分がバイブルとし擦り切れるまで慈しんだ問題集で現役との勝負に臨む・・・高3のテンションを下げさせないために。こんな伝統が夏の高3を強くする。
この日は宮口の下宿へ泊まる。宮口はベッドに、俺は床に。宮口はふかふかのベッド、俺は固いフローリング・・・なめとる!
ノッチンこと、大阪工業大学後野教授は11日、午後6時に到着した。途中、道を間違えて関インターで降りてしまったというが無事に到着。8時頃から講義が始まった。出席した面々は理系&文系に悩む高1中心、そこへ理系に進んだ高2と高3、そして自由参加の中学生たち。当初は中2の直矢だけを想定していたが、中1があれよあれよと参加、教室内はほぼ満員状態。「こんだけ中学生が多いと話す内容を考えなあかんな」と一人ごちる。「人が興味を持つ対象を大きく2つに分けると、人に対する興味、そして物に対する興味。この2つや。人に対して興味を持つ人は文系に進め。そして物に対して興味を持つ人は理系に進むこと」 後野教授、第一回講義が幕を開けた。
内容は簡単な実験を通して「塾に来るくらいやったらもっと遊べ」と実学の勧めを説きつつ、大学進学で学部を決めるにあたり将来自分が何でメシを食っていくか?を真剣に自分に問いかけろとのメッセージを投げかけた。ウチの塾で物理を教えている村田君も出席。実験ではさっそく当てられる。細長い紙を折ってホッチキスの針のような形をつくる。それを机の上に橋のように立てる。橋の下の部分に息を吹きかけるとどうなるか? 村田君、しばし考えて「下に沈むと思います」 しかし村田君以外の出席者は全員が息に吹き飛ぶ、あるいはひっくり返るなどの答。そしてノッチンが実際にやってみせると・・・紙の机と水平部分が震えながら下に沈む。「さすが大学生やな。当たったよ」 そして全員を見渡して「不思議やとか、おかしいと感じた人?」 卓(高田Ⅱ類1年)たち数人が手を挙げる。「じゃあ、自分たちでやってみたら?」 腰をかがめて息を吹き込み始めたのは、やはり根っからの理系希望者が多い。違和感ある現象に対して感性が鈍っている生徒が目立つ。ノッチンが言う。「自分のまわりでな、いろんなことが起こる。そのいろんななかで『あれ?』って思うことがあったら心に留めておくんや。これ、絶対にや。その時分からんかってもいい。ただ『不思議やな、何でやろ』、この疑問を心のどっかに置いておく。いつか分かる、何かの拍子に、大学で先生が説明してくれた時『あっ!これや』なんて、いつかその疑問は氷塊する」 そしてコンピューターのバイトからメガの話に移り、コンピューターが認識する量よりも人間の記憶量は遙かに多いんだと説く。「人間の持つ記憶量、つまり君たちの持っている頭脳のすばらしさは例えようがない。小学校入学式の時に校長先生が話してくれた内容は忘れても、校長先生が着ていた服、お母さんが着ていた服は覚えている。この記憶を勉強にも役立てること。文字を追うんじゃない、絵で理解するんや。どんなことでも理系教科は絵で表せることができる。因数分解でもいっしょや。公式を暗記するんじゃなくて、その公式を絵にして理解していく。理科の教科書やったら、文章を読む前にそのページにあるグラフやら写真をじっと見つめてみる。そこには文章に書かれていることよりも遙かに多くの情報量が詰まっている。それを理解するんや」
俺はノッチンの講義をまとめにはいる。「ウチの塾の大学入試に対するスタンスは、文系は大学に入ったら授業は適当でいいから、いろんなことをして自分の人格を磨けってこと。バイトでもいいし、留学でもいい。とにかく目的意識を持って遊ぶことや。就職試験ではあらゆる人格が問われる。よく言うように自分が好きなこと、興味を持つことを1時間以上延々と熱っぽく話せる奴、こんな奴はどこだって合格する。しかし理系に進むと知識に立脚した知性が必要となる。さすがに遊んでばかりじゃダメさ。技術を修得したうえで人格が問われる。技術だけではダメだし、かといってキャラだけでもダメさ。そんな奴は就職できない」 これに対しノッチンがすかさず反論する。「今な、塾頭が言ったなかで気になったのは就職って言葉や。別に就職する必要なんてないんや。自分のやりたいことがあったら一人でだってできる。毎日新聞で『世界一の日本企業』という特集を組んでた。そのなかでかなりの会社が20人にも満たない小さい会社や。そんな会社はある特定の技術では世界一なんや。理系の場合は企業の大小なんて関係ないんや。だからな、俺がさっき言ったように就職ではなく、『何でメシを食っていくか?』ってことを真面目に考えてほしいんや」 これには俺が一本取られた、確かにそうだ。就職する会社に合わせるんじゃなく、自分がやりたいことがその会社にあれば就職してもいい。なければ自分でそんな会社を作ってしまえばいい。文系にもその意味での起業家はいるだろうが少ない。やはり起業家たりえること、これは理系の特色ではないだろうか?
追伸かたがた、その後のメイの話だ。不思議なことに比のテストでなぜか98点取ってきたがった。やっきになって教えたつもりはない。ただ、何度も同じプリントを自分でコピーしてはやってる姿が目についた。「アホはアホなりに、算数苦手は苦手なりに少しは勉強方法を工夫したんかいな?」 来週にレイとメイの参観がある。ストレスが溜まったはず、これが小学校のほうではどんな変化があったのか? そしてメイに付きっきりの父親を眺めていたレイに変化はあったのか? そのあたりの風のそよぎを担任の先生に尋ねてみたい。つまりは俺も十分に親バカやで。
鈴鹿中央病院第二内科に勤務する北野君が姿を見せる。7月から松阪市民病院に移った挨拶である。熊のような体躯を縮めては、パソコンでウチのHPを覗き込み大ハシャギ。こんな光景、とうてい医師には見えない。あげく自分のキャラクター紹介の間違いを指摘する。「先生、僕の父が亡くなったのは小6の時じゃなくて小5の時ですよ」 北野君が松阪市民、橋本君と中西君が山田日赤、田丸君が伊勢市民・・・近々、伊勢あたりで飲むことを約束して別れた。
河合塾で浪人生活を送っている佐藤から連絡がある。全国統一模試の第一回マークの成績の報告がてらだ。佐藤の志望は獣医学科、大阪府立の狙っている。とりあえずはA判定だとか。「当たり前やよな、浪人がこの時期にA判定で出えへんだらずっと出んわ」 「でも記述模試のデキが良くなかった」 「アホ! 浪人が記述でアカンでどないするねん!」 「そうなんやけど・・・」 「浪人が弱気になるなよ。ウチの高3に負けちまうぞ!」 「みんな頑張ってる?」 「そこそこにはな」 「古西(津高)は?」 「古西は文系だろうが! まあ、慶応でA判定出してたようだけどな。英語の偏差値74,5だぞ!」 「うわ、負けた。スゴイな・・・」 「バカ!負けるな。浪人が現役に感心すんじゃねえ!」 「他は?」 「理系やったら寺田(津西)が神戸はC判定やけど筑波でA出してるわ!」 「阿部(津高)は?」 「阿部は自分に甘いからな・・・定番の名古屋E!」 「波多野(三重A)や今井は?」 「波多野は日本史・英語はともかく国語で死んでる。今井はそこそこいいんやけど早稲田の判定Eの嵐や」 「今井は塾に馴染めんだみたいやけど今は慣れたかな?」
今井(鈴鹿6年制6年)は高2になると同時にウチの塾に入った。しかし生え抜きが強いウチの塾は、新入生にとっては居辛い空間。当時高2の面々と同じ空間で勉強するのに耐えかね?古い塾で勉強する姿がよく見られた。当時の古い塾の住人である杉本などは今井のことを心配してはよく俺に言ったものだ。「今のままでは今井君、かわいそうよ」 「そんな心配する暇があったら自分の勉強したら?」 俺は優しい先輩の心配を揶揄してみせた。高校生にもなって「みんなが冷たくするから勉強できません」なんて弱音を吐くような奴はいらない。それがイヤなら縁がなかったのさ。今年に入り今井が1週間ほど塾を休んだ。「やっぱ、無理だったのかな」と一人ごちた。しばらくして塾に姿を見せた今井は心なしかやつれていた。「やっと終わりました・・・」 「何が?」 「え、先生ご存じじゃなかったんですか」 「何かあったんか」 「実は父が亡くなりまして・・・」 「え!」 「葬式やなんかでバタバタしてて・・・」 「そうやったんか・・・」 今井が塾の雰囲気に耐えかねてやめたんじゃねえか?と勘ぐっていた自分を恥じた。「で、受験のほうはどうするんや?」 「受けます。親も僕が大学に行くために積み立てしててくれたみたいで」 「そうか、で塾のほうは?」 「受験までお世話になります」 「・・・じゃあ、オヤッサンの弔いや。パアッといこや。早稲田でどや?」 「え・・・」 今井の取り柄といえば現代文読解に秀でていたくらいか。小さいときから読書好きってタイプだ。ただ、これは大学受験では最強の武器となる。他の教科は努力が実る。しかし国語は実る保証はない。今井の英語はというと、鈴鹿6年制では英語のできないクラスに在籍していた。しかし教えてみると1文1文を納得するまで聞いてくる姿勢が買えた。このままいきゃ必ず伸びるはず。後は日本史、これは早稲田と立命館を十八番としているDENチャンの薫陶を受けりゃ可能性はある。それまでの今井の志望大学は法政や明治学院あたり。父親を亡くしたダメージを何かで払拭したい。全てを忘れて没頭できる対象、それが早稲田だった。その頃の今井の偏差値では全く話にならなかった。しかし国語の基本ができている以上、チャンスはあるはず。「早稲田ですか・・・」 今井がつぶやいた。「早稲田やったら不服か」 「いえ、そんな・・・でも、僕なんかが受かるでしょうか?」 「チャンスはあるさ。国語ができる」 「英語はどうするんですか?」 「やりゃ上がる」 「日本史は?」 「日本史こそやりゃ上がるだろ」 「早稲田か・・・合格するでしょうか?」 「そりゃ分からんわ。でもやりゃ何かが見えてくるだろ」 「・・・わかりました。頑張ってみます」 塾の階段を下りていく今井を眺めながら心の中でつぶやいた。「受験生は所詮一人や・・・」
今井は3年になり、やっと英語の偏差値を60台に乗せてきた。鈴鹿6年制160名のなかで半分以下だった順位も34番にまでなった。しかし早稲田の判定では各学部で軒並みEが並んでいた。
ウチの塾で日本史を教えているDENちゃんが9日に大阪でライブをする。社会人とロッカーの狭間で悩む小林(5期生)とは違うスタンスで45歳の現在まで年に1度のサイクルでライブをこなしてきた。その息の長さには正直舌を巻く。去年行けなかったこともあり、今年は観にいくつもりだ。7期生の藤田正知(龍谷大4年)も来阪予定。ついでに就職状況、といってもこ奴の場合は公務員試験の真っ只中、試験の出来具合を聞くつもりだった。後は前回と同じ面々、裕美ちゃんに中村、日比、宮口といったところか。
4日、今年就職(松下電器)した5期生の菊山に眠っていたところを起こされた。時刻は正午過ぎ。なにしろ連日、夏季講習のプリントを古いワープロからパソコンへ打ち直す作業に追われている。眠るのは完全な朝。「なんや、オマエ」 「実は研修で津の『パル長谷川』におるんさ。今日は久しぶりの休みでね」 早速奥さんを呼びだして3人で飯を食った。盆休みまではこちらで研修が続くという。話のなか、塾では1年後輩となる谷の話が出た。山形大工学部を卒業して地元就職したものの、毎日のように10時頃まで仕事が続く。週末には必ず塾に姿を見せる谷、その会話の中で多少のグチめいたセリフが口をついて出た。「帰ったら風呂に入ってすぐに寝る生活、自分の時間がない・・・」 この話をすると菊山が即座に反応した。「ウチもさ、配属された部署によっては大変や。俺は電子レンジやで暇なほうやったけど、携帯電話で研修受けてる同期の連中、午前様がほとんど毎日、午前2時を過ぎることもあるって。まあ一生続くんやったら考えやなアカンけど今のうちは仕方ないんとちがう。まあ、谷には頑張るように言っといてよ」
5日、菊山と同期の山田智子が姿を見せた。現在、セキスイハイムに勤めているが結婚が決まったそうな。ちなみに4月25日号で花婿をケーキまるけにした話を書いたが、智ちゃんは公則の姉である。阿鼻叫喚の弟の結婚式に懲りないのか、「先生、結婚式に来てな」 「あのさ、アンタの旦那の意向もあるだろうが」 「いいの、彼もちゃんとビデオ見たから」 「そうでっか。それじゃ、亭主の合意も得たことだし、公則んときのノリで結婚式に乗り込むよ」 智ちゃんすかさず顔色変えて叫んだ。「ケーキ投げしたらアカンよ!」
高3の第一回記述模試が返却されてきた。寺田(津西)の成績(偏差値)から・・・。
英語 53.6 数学 63.3 物理 51.7 化学 53.7
この成績、津西理系198人中12番である。「ピンとこんな、こんな成績。ぬるい偏差値やな」 無口な寺田が微笑む。隣のコンピューターの部屋では高橋君(三重大医学部)が化学のプリントをパソコンに打ち込んでいる。3人して夏休みの相談が始まる。高橋君は高3の数学と化学の担当をしているウチの今年の理系の要だ。寺田の場合、数学は合格としても得意なはずの物理・化学が今一歩、この夏の仕上がりが趨勢を分ける。
津西の平均が全教科全国平均を下回った。前回のマーク模試では英語が平均以上だったが、今回はわずかだが平均を切っている。数学はかなり下回り、1年から恐ろしいほどの勢いで進んでいる化学もかなり下回っている。ホンマに問題なんや! 津西の教師陣の意見を聞いてみたい。普通の私立高校やったら責任問題。入学時に明確な実力差が津高との間にあるならともかく、それほどの差がないところからスタートして高3になる頃には途方もないくらいに差が開く。今回の得点(英語&数学は200点満点、化学&物理は100点満点)を比較してみる。
英語 数学 化学 物理
津西 81.5 75.5 35.6 22.2
津 106.3 95.5 44.9 41.0
全国平均 83.2 85.0 40.7 35.6
津西はこの地区で最も試験が多い。中間・期末に加え、放課後試験やら実力試験やら単元テストやら・・・とにかく祭りの縁日の出店のノリで矢継ぎ早に来る。俺が塾を始めてから15年間、ずっとこうだった。いや、津西の創設時からこうだったはず。津西ができた時、俺たちを教えてくれた先生の中から名物先生やイキのいい先生が津西に転勤していった。彼らは新天地・津西で「津高に追いつけ!追い越せ!」とばかりに試験数を増やすという現行のシステムにたどり着いた。生徒たちもまた自分では選べずに津西に入学したツキのなさを嘆きながらも情熱ある先生たちの熱意が感染、試験数の多さに頓着しなくなっていった。教師と生徒、目指すものはいっしょだった。しかし今、情熱なき指導者のもとでシステムだけが昔のまま。生徒たちは試験の多さに閉口している。高校生となり40点以下を取ろうものなら「赤点や!」と青くなるのも最初のうちだけ。試験数の多さからいつしか麻痺してしまい、10点でも6点でも気にならなくなっちまう。そして自分の実力に疑いを持ち、「中学の頃が良かっただけで私には真の実力がなかったんだ」と諦感する。このセリフ、この15年間、津西の入塾希望の生徒たちから幾度となく聞いた。なんとかしなくちゃ、この流れはまだまだ続く。まだまだ落ちていく。もういいかげんに気づけよ。アンタたちの計画性のない、締め付けるだけのやり方じゃダメなんだ!
今井が少し興奮した面もちでやって来る。「どないや?」 「やっと・・・」 今井が広げた成績表をザッと眺める。早稲田大学商学部D判定。「やっと・・・なるほど、やっとD判定でっか」 「ええ」 「今まではずっとE判定ばっかやったもんな。ちったあホッとした?」 「ええ、なんか見えたかなと・・・」 「いいねえ、いいねえ、そのセリフ。これで勢いつけて夏休み一発!C判定と行きたいとこやな」 「ええ、僕もそのつもりです」
そして夜になり古西が機嫌の悪そうなツラで姿を見せる。こ奴の場合、機嫌が悪そうなのはテレの裏返しと相場は決まっている。手元を見ると全統の「ANTENA](全国優秀者名簿)。なるほどね・・・と思い「良かったんけ?」 「いやあ・・・ハハハ。これほど上手くはまるとは・・・」 成績表を見ると軒並みA判定、慶応経済・中央法学・上智経済・・・。「で、ランキングに乗ったんかい?」 「そりゃ、まあ・・・、でもそれよりは」と成績表から視線をはずそうとしない。もう一度眺める。「なるほど、津高で1番ってか・・・」 「ハハハ、気づいてくれた、ハハハ」 こ奴にとっては全国ランキング(336番)に名前を連ねるよりは津高で1番になるほうがうれしいってわけだ。古西は上機嫌、酔っぱらいのオヤジ顔負けの足取りで古い塾に帰っていった。しばらくして高橋君がパソコンで打った化学の問題をプリントアウトしに来る。「古西の自慢話聞かされた?」 「ええ、ハハハ」 「なんて言ってた? 津高で1番でしたよ!なんてノリ?」 「ハハハ、それがですね、『高橋先輩、先輩のおかげで津高で1番取れましたよ』って・・・、ハハハ、僕って理系の担当ですからね。関係ないのにね・・・ハハハ」 「あの野郎!」
津高1番といっても大した成績じゃないと思うのだが・・・参考に以下に掲げておく。
英語 69.6 数学 67.5 国語 67.5 総合 68.2
6日、沢木のリカちゃん(愛知学院大・歯学部)から電話。「先生、黒田さんに聞きたいことあるんですけど古い塾で勉強してもいいですか」 「かまへんよ」 そして夜になり、オシャレな装いに一新。リカちゃん姿を見せる。「先生、これお礼にみんなで召し上がってください」と上品そうなお菓子を・・・。「リカちゃん、ウチの塾のホームページ見てくれた?」 「いえ、私まだパソコンできないんです。お父さんに頼んで見てみます」 リカちゃんの父親は三重中央病院のお医者さんだ。「忙しいお父さん煩わしたらアカンで。はよできるようにならな、大学の論文フロッピーで提出する時代や」 よく見るとリカちゃん、うっすらと化粧している。「なんとね、リカちゃんも化粧するんや」 彼女は2浪してやっと志望大学に合格した。この春休みの合格祝いの時はまだまだ浪人の雰囲気、どこかヤボったさを引きずっていた。3か月が経ち、いっぱしの女子大生とやらになった。「リカちゃんが化粧するんや。動物園のカバさんでも化粧するで」
7日の七夕、遅れて神妙な顔つきの阿部と波多野がやって来る。こりゃ、アカンかったんやろな。「死にました・・・」と波多野。見れば国語の偏差値、34.3・・・、なんとか日本史が56.1だが焼け石に水だ。阿部もまた悲惨な結果。英語・数学・物理・化学とも偏差値50を切ってる教科はないものの全てが50すれすれ。当然のごとく名古屋大・名工大ともにE判定。阿部の成績表を見ながらつぶやく。「ぬるいな」 そして波多野の成績表を見ながらつぶやく。「ひどいな」 ギャグは全然受けない。阿部にとって古い塾の環境が良いのか悪いのか、自分で考えるべきなのだ。ウチの塾の場合、自由に勉強できるということは責任が付いてまわるということ。自由な勉強はえてして自己満足な勉強に陥りやすい。自分を管理できるだけの裁量が問われている。
遠く福井でこのHPを眺めている立命館大学志望の高3へ。ウチの塾に留学するってことは、自由に勉強できるってことだ。しかしな、強固な意志がない限り自分を甘やかすのがオチなんだ、阿部のようにな。そんだけの意志があると思たら来てもええで。古い塾で寝泊まりすりゃいい。窮屈だが冷房もあるから暑さはしのげるだろう。でもゴキブリが床を這ってるで。俺は大学の頃にウチの下宿のゴキブリ捕まえては白のマジックで友達の名前書いてたよ。朝起きるだろ?背中に「鈴木」と書いたゴキブリが歩いてくねん。「やあ、鈴木君元気?」ってね。そして風呂か? 風呂なんて受験生入るの? 去年の夏季講習、俺はひと夏で2回しか入ってへんよ。俺の風呂嫌いは大学時代から変わってへん、ウソやと思たらオヤジに聞いてみ。あんなん、時間の無駄やろ。最も忌むべきものは現代人最後の宗教・・・健康やで! 自分の目標あんのに、十分な睡眠なんてバカじゃねえの。規則正しい生活をってか? 学校推薦で行くんじゃねえぞ。自分でタイマンはって勝負するねん、健康なんて何の目標もない理想もない大人にでもくれてやれよ。
立命館大学入試まで、200日を切った・・・。
大阪のライブを翌日に控えた8日。中村耕治(近畿大2年)から連絡が入る。「先生、明日アカンわ。バイトの一人が包丁で指切ってさ。俺、バイトで急遽入ることになったんや」 「そりゃ仕方ねえよな」 そして45歳のロッカーの姿を見せてやろうと誘っていた小林からも「先生、明日はバイトなんや。一日、新大阪の駅で荷物の配送せなアカンねん。そうそう俺のバンドさ、今度テレビに出るねん」 「何の番組や」 「そっちでは放送されてへんけどさ、極楽トンボのやってる願組で『南極楽堂』ていうんや。そこのインディーズバンドの紹介で出演するんや」 「放送日は?」 「8月の12か13日やったわ」 「その番組のネーミングからすると関テレか」 「そうっすよ」 さらに6期生なれどなぜかまだ大学生の中山智博(大阪産業大、5月17日号登場の中山亜子の弟)にも叱咤ついでに飯でも食おうかと誘ったものの「すんません、明日は彼女と・・・えへへ」 「あ、オマエ、大恩ある先生より彼女取るの!」 「いやあ、実はまだ彼女じゃなくてアプローチの段階でして、やっと取り付けた約束ですから・・・」 大学生にふられて傷心の俺に、れいめい塾最後の良心と言われる正知から連絡が入る。「先生、ゴメン! 明日は暇やと思ってたら試験があったんや」 「バカ野郎!」
9日、中川駅のモータープールに車を預け特急電車に乗り込んだ。今日の宿泊場所も決まってなかった。日比(関西大1年)はサークルのサッカーの試合。宮口(近畿大1年)はラクロス部の試合。デンちゃんのライブの後は飲み会の予定とか・・・適当に抜け出して帰ろうか。せっかく大阪くんだりまで出かけて大学生に会えないのはきつかった。渡部裕美(京都教育大2年)とは「関大前プラットホームにて12時30分に待ち合わせ」とのメールを送ったのが2日前。しかし連絡はなかった。
12時15分、関大前に着いた。プラットホームに腰をかけて裕美ちゃんを待っていた。こんなふうに誰かを待つなんてことは久しぶりだった。いくつも電車がやってきた。しかし裕美ちゃんは降りてこない。下駄ばきにサングラスをかけて「アエラ」に時折目を落とすオッサンを迂回するように人波は流れた。いつしか開演時間の1時が過ぎていった。俺は平静を装いながら何度目かとなる雪印経営者の怠慢ぶりを非難する記事に目を通した。
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6月23日、大阪で小林のライブ第二弾があった。しかしとても塾を留守にできる状況じゃなかった。裕美ちゃんからはBBSに「先生、23日のこと覚えている?」と厳しい追及。タイトルは「ホホホ」だったが俺のとっちゃホラー小説の趣。俺は前日になりメールを送った。「どうしても塾を離れられない。期末試験が近い。それになんとかして成績を上げたい子がいるんや。堪忍や、7月9日にデンちゃんのライブがある。それで堪忍してや」 10期生の中村耕治(近畿大2年)からメールが届く。こ奴もまた23日に大阪でのライブを楽しみにしていたクチ。「絶対に見やんとこ!と思ってた塾のHPをついつい見てしまいました。でも、中1と中3はともかく、中2の塾平均398点てなんなん! たるんでるんと違うの」 痛いとこ突きやがる。仰せの通りじゃ! 少なくとも400点は取ってきた過去の面々に恥ずかしいわい・・・と怒ったところで、やっぱA級戦犯は俺やもんな。反省せなアカンやろな。しかし今イチ仕上がりが悪いな・・・。 ウチの2年って、意外とおもしろいメンバーが揃ってんのやけど今いちピンと来んねんな。まず気迫がない。ギラッとした光景見たことがない。唯一付属中の真歩かな、教科書も皆と違うからいつだって一人黙々とやっている。やっかいなのは「もう私、全然分からん! もう今度の試験は最悪やわ!」と叫びまわっているわりには、結果が出るといつだって学年順位5番以内をキープしている。ちょっとオシャベリが過ぎるオオカミ少女や。そして真歩と仲のいい由衣も最近よくなったか? なにしろこの娘、中学1年中間試験で400点取れんかったもんな。それが真歩に触発された(母親談)のが幸いしたのか、この中間テストで460点を叩いた。理解は遅いがコツコツとやってきた亀さん、やっとこさ日の目を見たってとこか。由衣の今回の期末のテーマは「いかにして短時間で効率良く勉強するか?」ってこと。前回の期末試験は春休みあたりから準備してた。つまりは亀さん、十分な時間を駆使して試験に臨めたわけだ。しかし今回はひと月弱で9教科を仕上げる展開。これだけでも大変なのに俺は「政治に関する作文を書いてみる?」とネタをふった。それがBBSに載った作品、コムスンのリストラをグチャグチャと書いてたけど出来はともかく、こいつ新聞は読んでんねんな、との感慨。聞けばクソ真面目な由衣、深夜2時までかかって書き上げたとか・・・。計画は着々進む。これで由衣の勉強時間がさらに削られた。ラスト1週間でどこまで仕上げて来るか楽しみやね。 前回の中間試験で一番嬉しかったのは、勉強の苦手なある女の子が333点を取ったことだ。ウチの塾には中1の途中から参入。聞けば1年の頃は200点にも満たない点数だったとか。それが春休み以降、俺の誘いに乗って毎日のように塾に来るようになった。それまでは授業中に彼女を当てる気になれなかった。出来る奴に当てて間違ったら笑ってバカにできるが、彼女に当てても答えられないのが分かっていた。だから授業と関係ない日に教えたことを塾の授業のなかで当てた。半分イカサマみたいなもんだが、前日に教えたことを答えられるとうれしかった。それと同時に他の面々にも影響を与えたようだった。そして毎日のように塾に通ってやっと取った333点。その点数を聞いた時にはとっさに「めでたいなあ、ゾロ目や」と取り繕ったが心の中では「やった!」とガッツポーズを決めていた。これで今までの苦労が報われる。日々継続していくことがどれほど重要なことか分かったはず。これで少しは自信を持ってこれから勉強していくだろう・・・そう思った。しかし俺の望んだように行かないのが現実か。中間試験が終わるとテンションが下がった。授業以外の日は塾にも姿を見せなくなった。家でやっているんかな?との淡い期待も塾でのテストの解答を見ればバッサリと切り捨てられた。全然やってない・・・。連立方程式の基本問題も解けないままに学校では一次関数になだれ込んでいた。一次関数の授業は6月中旬に終わってはいたが彼女、この時に塾を休んでいた。最悪な流れ、再び200点を着るモードに入っていた。4月の頃のひたむきさは陰を潜めていた。しかし俺はただ眺めていた。何かを言うとすれば期末試験の直前・・・そう決めた。なぜなのか分からない、そんな気がした。 前回の「25時」を中1が読んだのだろうとしか思えない展開が続く。あのときに書いた山本愛、才能ではなく努力の子だと書いた山本愛包囲網ってか? とにかく中1が帰らない。愛が自宅に電話をするのを待って自分も電話するような雰囲気。公立中学の面々の過半数が450点以上を叩き出している。各中学のヒトケタが揃っている。それぞれの生徒のお母さんに話を聞くと「やっぱり愛ちゃんを意識しているみたいで・・・」とのこと。確かに1年ということもあって多少ザワザワしているが例年に比べれば雲泥の差。前回は私立の面々、入試疲れか?一発食らっちまった。今回はキチッと平均載せるからな! でも昔は全員の成績を「25時」に載っけていた。HPとなって一番困ったのはこれやな。点数の悪い子の成績は出せんもんな。ゆえに塾内平均でお茶を濁す次第だ。私立中学の面々のブチ当たっている壁はスピードにつきる。とにかくテンポが遅い。確かに膨大な宿題を出す中学にも問題はある。あんだけの宿題を出すんやったら東大・京大ゴロゴロのはず。それが実績を残していないのは生徒達の学校に対する依存性の高さ。それが6年間持続できればいいが、どこかで緊張が切れる。毎年のように繰り返される展開、今年もまた夏休み過ぎには脱力感にまみれた生徒達が教室を埋め尽くすんじゃねえの。ちなみに今年、皇学館中学が三重県下の私立中学で一番進路が速い。スピード違反でガードレールに激突しなけりゃいいがな・・・。 24日の土曜日、前田(早稲田大学院)が姿を見せる。「どないしたんや」 「選挙で帰ってきました」 「前も一度そんなことがあったよな。ありゃ、オマエんとこの親戚が嬉野町の町会議員に立候補したからだろ?」 「ええ、まあ今回は身内は関係ないですけどね。ブラッとね」 「お母はん喜んだだろう」 「いやいや、なんで東京からわざわざ帰ってくるんやって」 「そりゃ辛いこって」 「BBSを見てないもんで、ちょっと見せてください」 画像を追いかける前田がつぶやく。「いつの間にかテーマは少年犯罪から政治へと移ってるんですね」 「まあな、選挙で新幹線代使って帰ってきたんや、どや久しぶりに政治について書いたら」 「いや、政治はちょっと・・・、やっぱり僕は少年犯罪で行きますよ」 前田は早稲田の院で現代教育学を専攻している。少年犯罪にこだわりがあるんだろう。 25日、昼前から塾の中は喧噪の度をましていく。期末試験直前である。そろそろテンションの下がったすぐ頭に乗る田舎者にどんなふうに切り出そうかと考えていた。合間を縫うように奥さんと選挙に出向く。夜になると再び前田が姿を見せ、インターネットでNHKの選挙速報の画像を追っている。開票と同時に田村憲久氏が当選。個人的に注目していた前鈴鹿市長を務めた人が一敗地にまみれる頃には川崎二郎氏も岡田克也氏も当選。残るは全国注目の5区、これが開票率90%の終盤戦にもつれ込んでも当確ランプが付かない。やっと11時30分過ぎ開票率97%で藤波孝生に当確表示! 残る俺の関心、2年前の選挙で落選、今回に雪辱を果たさんとする津高の同窓生。ネット上での新聞記事では衆議院選挙の情報で埋まり三重県なんぞの参議院補欠選挙の情報はどこにもなかった。 期末試験を翌週に控えた24,25の土日、嬉野中男子バレー部は奈良に遠征した。そして京都府・奈良県の県優勝チームとぶつかった。ウチの高林紘は京都1位のチームとの対戦中に負傷。病院で靱帯損傷の診断を受けて松葉杖をついて3階の教室に入ってきたのは26日のこと。試験まで後3日。紘はお寺の長男坊である。穏和で人当たりもいい。学校の先生の信頼度抜群なタイプ。指示を出すとキチッと仕上げてくる。いい生徒には違いないがゴツッといたとこがなかった。ゆえに極力こ奴には指示を出さずに自分で工夫させる環境を作ることにしてきた。クラブは男子バレー部、とりたてて運動神経がいいとは思えなかったこ奴だが、1年から準レギュラーに抜擢された。俺なんて嬉野中バレー部、部員が足らへんのかな?と心配したもんだ。それが去年の春の大会で嬉野中は優勝、紘は2年ながらレギュラーを確保していた。しかし春から夏にかけ他の強豪チームから徹底マークされたのだろう。夏の大会ではあえなく地区予選で敗退した。2回続けて勝つことがいかに難しいことか、あの頃俺は紘と機会がある度に話し込んだ。前評判が高かったぶん紘の意気消沈、激しいようだった。「落ち込んでるんか?」 「いや・・・うん、ちょっと」 「今年の経験を来年にいかすんや。優勝したからて頭に乗ってたらやられる」「そんなことはなかったけど」 「その意識はなかってもや、オマエんとこに負けたチームの感情を意識はしてへんだやろ。今度は負けへんで!てな激情やな」 「・・・」 「自分達だけが練習してるんやない。ついついいい成績残ちまうと他人が見えやんようになる。練習してても自己満足の練習になる。勉強と同じや。相手チームもよく研究してたやろ」 「確かに・・・」 「来年はオマエらが中心になる。今年の4月から7月にかけての練習内容・クラブの雰囲気、よく覚えとけよ。そして来年は同じ失敗したらアカンで」 「うん」 勉強させるよりはそんなことを話すほうが品行方正優良児のこ奴のためになるような気がしていた。そして今年、嬉野中は去年に同様に春の県大会で優勝。全てが去年と同じ流れで進んでいた。去年と同じツテを踏まない、そんなこと部外者の俺より顧問の先生、百も承知だろう。期末試験直前のこの時期の遠征、これもまた指導者の今年の夏にかける意気込みを感じさせた。紘の期末試験の準備は決して万全ではなかった。試験直前の2日の休みは痛かった。しかしクラブを通して受験というもの、勝負事の疑似体験を経験してほしかった。紘の志望は津高。決して気が抜ける成績ではない。むしろ気の抜けたコーラのような点数。しかしバレーで修羅場をくぐってくればラスト4か月でひっくり返せる土壌は育つはず。 夏休みに入るのと同時に開催される地区予選、競技の別なく俺は生徒達の活躍を見学に出向く。しかしバレーほど試合前の練習でその中学のレベルがわかる競技も少ない。全員が無駄なく一つのボールを追って少ない練習時間を有意義に使う中学、やはり強い。しかし無駄な動きが多くなかなか自分にボールがまわってこないような練習をしているチーム、初戦の結果が見えてる。男子バレーでは今から6~8年ほど前の久居西の練習が目を引いた。ウチの7期生の太田(就職)から9期生の山路(関西大)・星野(同志社)にかけての久居西だ。少ない試合前の練習時間、誰一人として緩慢な動作をすることなく矢継ぎ早にボールが選手の間を回っていた。その頃の話を紘にすると「ウチらの先生、昔久居西におったよ」 たまたま塾にいた西出身の長野(滋賀大)に確認すると「確かに嬉野の先生、太田や山路達の時代の先生ですよ」とのこと。俺は心底うなっちまった。嬉野中が県大会で注目されるようになったのはここ数年のことである。たかだか1学年2クラスしかない久居西であそこまでのチームにつくりあげ、そして今は嬉野中で全国大会をにらむ。指導者の資質がチームに与える影響のスゴサに俺は身震いした。じゃあ果たして俺は指導者としてどうなんだろう? いつしか自分自身に問いかけていた。 紘の前回の期末は439点。何度も言うが気の抜けたコーラ。逆境のなか果たしてどこまでの点数を叩けるか? そして7月21日から始まる地区予選での復帰は無理としても、県大会、さらなる向こうにある東海大会までには間に合うのか? HPで「25時」を書くようになって不自由なのは個人の点数を載せることができないこと。優秀な奴はいいだろうが勉強の苦手な子について書くこともまた憚られる。そこで憚る必要のない生徒がいた、俺の娘だ。双子の娘達れいとめいの一人、めいの話だ。 めいが勉強が苦手なのは分かっていた。かと言ってれいが得意かと言うとそうでもなく塾の先生の娘というだけで出来るんじゃないか?という世間の視線はイジメ以外の何者でもない。めいは正真正銘勉強ができない。塾には小学5年から来させた。ソフトな上下関係を学ばせたかった。かつて一人っ子として嫌な性格だった俺のトラウマやもしれぬ。なるべく雑多な環境を与えてやりたかった。塾では各自が勝手に勉強、宿題もしていた。俺はただ質問に答えるだけ、とは言うものの年中を通して父親と接する機会はマレでもあり質問してくることは滅多になかった。小6となり分数のかけ算・わり算に入ると割合と分数・小数の融合問題がある。例えばこんな問題・・・「原価に3割の利益を見込んで2600円の定価をつけた。原価を求めよ。」 ここでポイントになるのが割合の「もと」となる1である。式としては、χ×(1+0.3)=2600となり、χを求めるために2600÷1.3というわり算が姿を現すことになる。実はこの問題、分数で書きたかったのだが俺はまだパソコンでの分数の打ち方を知らない。ゆえに小数で容赦願いたい。分数のかけ算からわり算にかけて、かけ算やってるからかけるとか、わり算やってるから割るという子が多い。不思議なことに小学校ではこの分野を1限か2限で終わらせていく。この問題、中学にいくと文字式で3割はa割となり2600円もb円などと姿を変えていく。つまり中学では同じ問題なれど、文字の花が咲くことになる。理論がしっかりしていないと文字を割ったり掛けたり、もうメチャクチャ! そしてそれは方程式の式立てに直撃する。ウチの生徒たちにはこの分野を最低ひと月はさせている。力のある子はすかさず中学の文字式に導入していく。めいの力を見ていて到底この分野、学校のスピードでは理解できないだろう。連休明けから俺は自分の娘を教え始めた。 見事に出来ない。単純な分数計算もあやふやである。まず5年時の約分に戻る。そして仮分数と帯分数の関係、これなんて4年の範囲だ。気がめいる日々が続く。気がめいるからめいと名付けたわけじゃねえ。「オマエは基礎が出来てへんから毎日来い」 俺は不機嫌な顔で言った。翌日からめいは毎日毎日、分数の計算とそれに付随する5年までの範囲の復習と格闘することになった。かけ算がなんとか見られるデキになった。塾では1枚のプリントで1ミス程度。小学校のテストならなんとか90点は行くだろうと思った。かけ算はともかくわり算がやっかいだった。当然割る問題と掛ける問題が出る。なぜ割るのか?なぜ掛けるのか? まだまだ勘に頼って解いていた。理論の理解までは到底行きつけない。その点かけ算ならば・・・と思っていたが見事に裏切られる。めいはなかなか試験を家に持ち帰らない。机の中に置いたままだという。母親が尋ねると「悪かった・・・」と言ったきり口をつぐむ。そしてやっと持ち帰った点数は65点。この点数には正直まいった。今までウチの塾で教えた生徒で分数のかけ算65点というのは記憶にない。つまりはめいが一番ひどい。塾の先生としての資質に自信が揺らいだ。奥さんに言うと「めいはめいで、お父さんが熱心に教えてくれてるの分かってるみたい・・・。本人なりに責任を感じてるみたいよ」 なんとか気を取り戻しめいにわり算を教え始めた。まず絵を書くこと、どれがもとになる1で、どれが比べられる量なのか? 何度も何度も説明した。教える俺も砂を噛むような思い、それはめいもいっしょだった。鉛筆を持った手が動かない・・・そんなめいを眺めながら俺はいつしか考えるようになった。別に勉強ができなくてもいいんじゃないか? めいは何をやってもれいに負けた。小さいときからそうだった。テストはもちろんのこと、マラソンにしてもれいは学年で4番くらい、めいは7番くらい。いつも、何をやってもれいに負けっぱなしだった。俺はれいよりめいのほうがかわいい。双子だから両方を・・・という博愛主義者ではない。れいは愛嬌もあり、かつアバウトな誰からでも好かれる性格(俺に似ているとの塾内の声は多い)。それに対してめいはどこかシニカルな発言が目立つどちらかといえば暗い性格。だから俺が愛さなくっちゃと考える。今回のことにしろ、一度でいいかられいに勝ったら自信が持てるんじゃないか?と考えてのこと。私は何をやってもれいに負ける・・・めいの顔にはそう書いてある。でもそうはさせたくない! 父親として? 塾の先生として? しかし理解の不出来に俺もまた悩んでいた。無理して勉強させることはないんじゃないか? 弱音がポツリと口をついて出た。 2年前からめいには絵を習わせていた。2年前のあの頃、すでにめいはれいに一歩引いていた。焦った俺はやはり何かれいよりも秀でたものはないか?と考えあぐね父親参観の時に見た絵を思い出した。れいの絵は分かりやすい絵だった。つまりはオブジェの説明でしかない。説明ならば絵に書く必要はない。しかし一方、めいの絵には色を作り出そうとする片鱗が窺えた。俺は小学校入学前から10年ほど絵を習っていた。美術の教師にでも、という親の期待もあったんだろうが見事に裏切ってやった。しかしその方面の目ききだけには自信があった。2人の絵を塾に持ち帰り全員にどちらがいいか聞いた。れいのほうがいい・・・大部分の生徒がそう答えた。「おまえら高校へ行っても美術取るなよ」 遙かにめいの絵のほうが芸術と言えた。たったひとつだけ見つけためいのメリット、俺は自宅で絵を教えているかつての塾生ご父兄の所へめいを連れて行った。 毎日教えてくれる父親に対するプレッシャーもあったのだろう。塾に姿を見せるめいの顔色はさえなかった。もし今回もテストの点数が悪かったら旅行に行こうと決めた。めいを連れてどっかめいが喜ぶような場所へ連れて行ってやろう。そして旅館にでも泊まってゆっくり話をしよう。無理して勉強する必要はないんだと。勉強は勉強、やはり努力はしてほしい。嫌なことから逃げてほしくない。しかし勉強よりも自分がやってて楽しいことを見つけようよと。決して点数が悪いから毎日塾に来させたんじゃないんだと。なんでもいいから自分に自信を持ってほしいから、一度でいいかられいに勝たせたかったから、そうして最後に、愛しているから・・・。 「お父さん、明日分数のわり算の試験がある・・・」 そう言うめいの顔は強ばっていた。その強ばりは俺にも伝染した。今まで間違えたプリントを最後にさせてみた。そこそこに解けるようになっていた。厳しい父親の言うように絵を書き、もとになるものに1と記し、方程式をたてていた。これ以上俺がすることはない。中1の問題もさせ、いつしかaやらbやらcで式を立てれるまでになっていた。こんだけやってアカンかったら・・・弱気の虫が囁いた。その時は・・・担任の先生に無理を言って2人で旅行に出かけよう・・・。 塾は期末試験が近づき午後4時頃には中学生達が姿を見せ始めていた。生徒からの質問を教えながら心は震えていた。電話をすると「テスト、今日はまだ返ってきてないみたいよ」と奥さん。そして数日が過ぎ、めいが塾に現れた。「お父さん、これ」と言って踵を返した。四つ折りの算数のテスト・・・恐る恐る広げると95点・・・。ドアを開けて出ていこうとするめいに声をかけた。「れいは何点やった?」 「90点だって・・・」 脇の下を冷や汗が伝った。 これで何かが変わるのか? それは分からない。ただ、めいが家で奥さんに言ったそうな・・・私、算数好きになってきたわ。奥さんはここぞとばかりに言った。「やっぱり毎日お父さんとこで勉強してたからこんないい点取れたんやに。継続は力なり! 分かった?」 「うん」 そんな平和な家庭の団らんとは裏腹、その日からめいは連休前までの曜日、週2回しか姿を見せなくなった。俺はイライラしながらつぶやいた。「あの野郎! 頭に乗りやがって・・・アレ? これって、誰かとそっくりだよな」 6月28日、白山中学・西郊中学・嬉野中学で期末試験がスタートした。翌28日からは久居中学・久居東・一志がそれに続いた。今回のルールは前回の中間試験より点数が上がったら+50ページ、下がったら-50ページ。各学年単位で集計、英語の基本文型の書き写しに入る。 7月11日、今年の広告にも載せたノッチンの物理の授業が塾であります。将来理系に進もうかな?と考えている生徒、あるいは物理の範囲(力とエネルギー)に興味のある生徒。対象は中学生・高校生です。 |