山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

「歌姫コンシュエロ」を借りる

2020-06-14 14:11:03 | 日記

ショパン展でポーリーヌ・ガルシアの肖像画を見て、この人のことを調べていたら、ジョルジュ・サンドが書いた小説のヒロインのモデルになっているとのことを知った。ヒロインの名は「コンシュエロ」(コンスエロとも表記)。

ならば、このジョルジュ・サンドの小説が読んでみたいと思い、アマゾンなどで探してみると、なんと5000円を超える値段なのである。

本の題名は「歌姫コンシュエロ」。しかも上巻。下巻は別にあり。

こんな高い本は買えないわと思い、図書館を探したところ、我が家から3つ目に近い場所の図書館にあることがわかった。

リクエストして近くの図書館に取り寄せるよりも、ウォーキングを兼ねて借りに行こうと思い、あそこに違いないと思う公共施設に向かって30分ほど歩いた。

ところが、いや待てよ、やっぱりここじゃなかった。そこには図書室はあるが図書館ではないのだ。そうか、あっちか、と思ってまたさらに20分ほど歩く。

暑い暑い。汗が流れ落ちる。

図書館に着き、無事書棚の中に本を見つけた。ものすごく分厚い本だ。

上下一緒に借りようと思っていたが、とてもではないが重いし、どうせ読めるはずがないと思うから、上巻だけ借りてきた。上巻の方が下巻よりも厚いのだった。

図書館は、新型コロナ対策で、室内の椅子に座れないようになっている。これってひどくないですか?疲れてくたばっちまいます。

本を借りると、そそくさと帰る。相変わらず滝のように流れる汗。マスクを外して汗を拭く。

図書館は中途半端なところにあるので、電車を使うにも駅まで遠い。

歩いてスーパーに行き、食品を買ってまた歩く。
買いすぎてしまい、今度は重くてしょうがない。

バスで帰ろう。
歩けども歩けどもバス停がない。やっとバス停にたどり着く。
幸いバスがすぐに来た。

そして、最寄のバス停で降りるが、我が家へ行くバス路線とは違うので、これまた停留所から家までがものすごく遠い。

10分?8分くらいか?思い荷物を持って歩いて帰宅。

9579歩、歩いた。


「ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルド」の肖像

2020-06-14 00:51:17 | 音楽

 

「ショパン―200年の肖像」展を見に行ってから、もう1週間が経った。

ここの展示の終わりの方で、1人の女性の肖像画に目が留まった。

「あっ、ポーリーヌ・ガルシアだ!」と思った。

(上の絵はネット上でみつけたもので、展示の絵とは違うかもしれないが、同じ人の肖像画)

 

それは、以前世田谷美術館に「パリジェンヌ展」を見に行ったときに、展示の中で初めて知った音楽家の女性である。

この人は、容姿は不細工だが、音楽の才能を発揮した人であった。そして、この人の作曲したピアノ曲「セレナーデ」が、そのときの音声ガイドの中に入っていて、素敵な曲だなあと思って何度も聴いてしまったのだった。

 

その人が、どうやらショパンと関係があるらしい。だが、特に詳しい説明書きはないようだった。

 

今日、パソコンで調べてみた。

 

ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルド

1821.7.181910.5.18

19世紀、フランスの声楽家・作曲家。

顔が不細工だったにも関わらず、歌劇などで広い声域と演技力で実力を発揮し人々を魅了した。ショパン・ベルリオーズ・サンサーンスに芸術的影響を与えた。

語学力にも優れ、スペイン・イタリア・フランス・英・ドイツ・ロシア語で声楽曲を創作した。ジョルジュ・サンドの小説「コンシュエロ」(1843年)のモデルになった人。

 

というわけで、ショパンと同時代にパリに存在していたので、音楽家としても影響しあい、関係があったようだ。

 

かなりの才女である。

不細工不細工と、かなり書かれている。確かに、西洋人にしては、鼻の下が長く、口元に締まりがなさそうな、上品ではないような顔つきだが、そこまで不細工ではないように思うけど・・・。

 

この人の父は、テノール歌手だったそうで、この人の息子はポール・ヴィアルドというバイオリニストであった。(1957.7.201941.12.11

有名な音楽家というのは、2代目くらいが多く、さらに続いていることが多い。

ポーリーヌの子孫っていうのは、今存在していて音楽家だったりするのだろうか?というのが私の知りたいところでもあるのだが、その件に関しての情報は見つからなかった。

 

ちなみに、ショパンの子孫はいないし、ベートーヴェンの子孫もいない。

たとえ音楽の天才が子孫を残したとしても、そんなに何代も同じ遺伝子を受け継いで天才が続くわけでもないみたいだ。

 

話がそれてしまったが、ショパン展でポーリーヌ・ガルシアの肖像に出会えたのはよかった。

 

2018.2.25  ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルド「セレナーデ」

 

 

 

 


ショパンエチュード「革命」の背景

2020-06-13 11:23:20 | 日記2020

ショパンエチュード10-12“革命”

まずは、ショパン展のことを教えてくれたフォルテ君の演奏から。↓

ショパンエチュード革命/Chopin-RevolutionaryEtude(Op.10No.12)

「ショパン―200年の肖像」展を見て、この曲ができた背景を初めて知りました。

この曲は、激しい勢いのある曲でインパクトが強いです。

これまでは、ただカッコいいというふうに思っていて、「革命」という題名からも漠然としたイメージしかありませんでした。

しかし、この曲は1831年にポーランドのワルシャワでおきた独立運動がロシア帝国に鎮圧されてしまった出来事が大きく関連した曲だということを知りました。

この時、多くのポーランド人が武装反乱を起こして、自由・平等・人間の尊厳・博愛などの精神を求めて戦ったのだそうです。しかし、ロシア軍にやられてしまい、挫折してしまいました。

(会場には、このときのワルシャワの様子の絵などが展示されていました。)

ショパンは1830年にはウィーンに行っており、1831年にはパリに移っていたそうです。元々身体も弱かったので、武装勢力と戦えるような人ではなかったということですが、ロシア軍に対する激しい怒りと、負けてしまった祖国のことを思って、音楽で表現したと言われています。

ただ、元々この曲にショパンが「革命」と題名をつけたわけではないそうです。

ショパンはこの曲を、友人のリストに献呈したそうです。リストは、どんな難しい曲でも初見で弾いてしまうほどのピアニストでしたが、この曲はさすがに初見では完璧には弾けず、いったん持ち帰ってすぐ完璧に演奏したとのこと。そして、「革命」という題名をつけたのはリストだそうです。

リストは1811年10月22日に、ハンガリーのライディングで生まれ、12歳からパリで暮らしていたそうです。一方ショパンは1810年3月1日生まれで、ポーランドのワルシャワで生まれ、20歳ころにパリに移住。年齢はほぼ同じであり、リストのほうがパリに暮らし慣れていたとのこと。リストのほうが力強く積極的な人物像で盛大なリサイタルなどを開いており、ショパンは病弱でおとなしく、こじんまりした演奏会を開いていたようです。しかし、両者はお互いの才能を認め合っていたとのこと。

ショパンの演奏会には、ポーランドからの亡命者や留学性もたくさん聴きにきていたそうです。

(以上、インターネットでいくつかの記事を読んで収集した情報です。)

この曲、カッコいいから好きなんていう現代の日本人は本当に平和ボケしているのかもしれません。歴史的背景を知ると、曲に対する感じ方もずいぶん変わってくると思いました。

 

 


やはり椅子が必要か

2020-06-13 09:44:41 | 日記2020

これまで、テレワークで苦しんできた大きな理由は、もしかしたら机の上の狭さよりも、椅子なのではないかと思えてきた。

会社では、とても安定した姿勢で長時間作業ができるのだが、家にいるとどうも普通の座り方ができなくなり、なぜか椅子の上で膝を立てて体操すわりをしてしまうのである。

骨盤が後傾して背中が丸くなり、身体よりも足が上にあるかのようなブザマな姿だ。

これはいかんと思って普通に座り直しても、しばらくするとまた同じようになってしまう。

そういえば、以前自分が使っていた学習用の椅子は、表面の布がボロボロになってしまったので廃棄してしまったのだが、あれを捨てなきゃよかったかな。

今の椅子は、次女が高校生のころ使っていたもので、硬いし、滑り台みたいに滑ってきてしまうから、それで体操すわりにして足の裏で食い止めているような気がする。

学習椅子が二つあったときはとても邪魔で、早く処分したいと思っていたのだが、ここでまた一つ買うと、また以前と同じように狭くなって困ってしまうかも。

ベランダに出入りできなくなってしまうのである。
でも、机の下を空っぽにすれば、椅子をそこに押し込んでしまうことができるだろう。

椅子は通販ではなく実際に座ってみないと買えないなあ。

会社の椅子ってものすごく座りやすいけど、いくらくらいするものだろうか?
会社では人の目があるから、変な姿勢で仕事をすることはないとはいえ、どうしたって椅子の上で体操すわりをしたいなどとは思わないのである。

これは椅子の構造の違いによるとしか考えられない。
なるべく場所を取らないもので、安くて座りやすい椅子が、家具屋さんにあるかな~。


暑い!

2020-06-13 00:32:29 | 日記2020

今日は、汗みどろの日だった。今も汗みどろ。

テレワークのパソコンを設置するために、電気屋にランケーブルを買いに行ってきた。
無線ランだったら線は要らないが、有線のほうが安定しているらしい。
これで、自分のパソコンもそのままつなぎっぱなしにして、夫も自分のパソコンを使っているので、3台のパソコンをランでルーターにつないでいる。

私の部屋は机を2つ並べてあるが、仕事用と私生活用に場所を作った。
どっちの机も本棚を置いているので、どうしても奥行が狭くなる。
ノートパソコンを開くと、キーボードの上に書類を載せて仕事をしないといけないが、会社のパソコンをリモートデスクトップで開いておいて、自分の閉じたパソコンの上に書類を広げ、作業をしつつ、会社のパソコンで入力をすればよかろう。

椅子が1つしかないので、移動させて使うことにする。
もっと座り心地のよい椅子が欲しいが、椅子2個を置くと狭い部屋がますます狭くなってしまうし、椅子は高くて買えない。

ひとつの机の下には段ボールなど色々なものを突っ込んであったのだが、それを出して部屋の隅に重ねたので、部屋がますます狭くなってしまった。倉庫の中みたいだ。

何かを捨てないといけないなあ。

会社のパソコンは一番窓際の位置になってしまったから、雨でも吹き込んだら大変。窓を閉めておかないと危険だから、神経を使う。

今日は、買い物に行っても汗だくで、やっと帰宅し、部屋の模様替えで汗だく。
あまりにも暑いので冷房を入れた。

途中で疲れて寝てしまった。身体が重い。夕飯は手抜き。

今もまだ、机の上にあったがらくたが、とりあえずの段ボールの中に山盛りぶっこまれているので、それを片づけなくちゃいけないし、色々なものをどかさないと寝るところもない。

困ったことだ。ものを寄せて、なんとか隙間に寝ることにするか。

疲れた。

冷房も切らないといけないなあ。


終わらぬテレワーク

2020-06-12 01:25:35 | 日記2020

「新型コロナウイルス緊急事態宣言」が解除され、「東京アラート」も解除されたというものの、「新しい生活様式」「新しい働き方」とのことで、テレワークは今後も続くという。

 

家で働くなんてイヤだ!

しかし、終わるどころか、本格的に始まってしまった・・・

 

4月に緊急事態が宣言されたときには、もうとにかくテレワークを始めなきゃならないということで、自宅の個人的パソコンにリモートデスクトップを設定して仕事に使っていた。

 

なので、ノートパソコン1台がやっと置けるような不便な場所で無理やり仕事をしていたのだ。それも一時的なことだと思えばこそ、我慢してやっていたのだ。

 

ところが、ここに来て、外出自粛生活が解除されても、出勤はしないほうが良いとの方針で、ついには会社がリモート用のパソコンを全員に用意してしまったのである。

 

確かに、自分のパソコンを仕事で1日中使っていたときは、パソコンが傷むと思って嫌だなと思ったが、だからといって会社のパソコンが用意されてしまうと、じゃあ、それをどこに置くのだ?ということになる。

 

自分のパソコンを普通に私生活で使いつつ、仕事では会社からもってきたパソコンを使うんだから、それだけ場所が必要なわけだが・・・置く場所がないよ。

 

だから、今週末には仕事用のパソコンの置き場所を作り、今後もそういう生活がずっと続くとなれば、自室にお仕事コーナーみたいな場所を確保しなくてはならない。

そんな場所、どうやって作るの?

 

今週末は、部屋を整理整頓して、仕事につかえる机席を作らないといけない。

これは、かなりの難関である。

 

疲れるなあ・・・

 

家までがお仕事をする場になってしまうなんて、ストレスが無くならない気分。

 

 

 

 


日本最初のショパン弾き「澤田柳吉」

2020-06-10 23:33:04 | 音楽

 

“ショパン―200年の肖像”展で興味を持ったのは、ショパンのピアノ曲が日本に伝来したころの様子である。

それは、明治時代だったようだ。

当時の日本人たちにショパンの曲がピアノで弾けたのかと驚いた。楽譜などが伝来し、普通に取り入れているところが驚きだが、どのような文化でも産業でも、世界から取りいれてしまう日本人なのだから、それは不思議でもなんでもないのかもしれない。しかし、現代のピアニストのように、幼少のころから英才教育を受けてピアノの特訓をして育ったわけではないだろうから、昔の人はすごいと思う。

 

その中で、わが国最初のショパン弾きと言われた有名なピアニストは「澤田柳吉」という人だったそうだ。

これは展示もされていたが、音声ガイドの最後には、「皆さまへのプレゼント」として、当時録音された澤田柳吉のピアノ演奏が流れて驚いた。

 

ネットで澤田柳吉について調べてみた。

澤田柳吉(1886年~1936年)

日本の最初のピアニストである。

この時代の3大ピアニストは、澤田柳吉と、久野ひさ(18851925)、小倉末(18861944)だそうである。この他に小松耕輔(18841966)という作曲家がいて、澤田と久野と小松は明治39年(1906)に東京音楽学校(今の東京芸大)を卒業した同級生だとのこと。

小倉は、東京音楽学校を半年で退学しベルリンへ行ったそうだ。この4人はほぼ同じ年齢のようだ。

そして、澤田は明治42年ころから「ショパン弾き」と呼ばれた。

明治45222日に、日本で最初のリサイタルを開催し、オールショパンのプログラムを一人で演奏した。当時は、複数の人が演奏するのが普通で、1人で演奏するものはなかったそうだ。

澤田柳吉は、ベートーヴェンの「悲愴」を録音したり、浅草オペラの創設に加わったり、レコードを出したり、ラジオ放送をしたり、教師をしたり、コンクールの審査をしたりなど、活動は多岐にわたった。

この時代に、多くの演奏録音を残していることで、特筆すべき人のようだ。

大正2年にショパンの「軍隊ポロネーズ」を録音したが、これが、日本人として最初のショパンのピアノ演奏の録音だそうだ。

(http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/2014/07/01_18180.html

こちらを参考にさせていただきました。)

 

ショパンが生きたのは1810年~1849年なので、日本では江戸時代。

日本人がショパンを弾きだしたのは、明治時代の後半であった。

それでも、私の感覚ではずいぶん古い時代から日本人はショパンの曲を弾いてきたんだなと思った。

 

この当時のドラマや映画があったら面白そうである。

 


ショパン国際コンクールについて

2020-06-10 00:34:10 | 日記2020

 

ショパン展の中で「ショパン国際コンクール」についての展示もあって興味を持った。 

ショパン国際コンクールは、ポーランド国立ショパン研究所によって1927年から行われており、現存するピアノコンクールの中では世界最古のものである。

5年おきに行われていて、第二次世界大戦のころに中断されたこともあるが、今年2020年が第18回目になるはずだった。ところが、新型コロナウイルスの世界感染によって、来年に延期になってしまったそうだ。

 

スポーツ選手にとってのオリンピックや重要な試合と同じように、ピアニストにとって重要なコンクールの延期は、とてもショックで大きな影響があるだろう。

 

コンクール開催日は、毎回ショパンの命日である1017日前後3週間の間に行われている。

1955年までは、ポーランドかソ連のピアニストが優勝していた。第6回目の1960年に初めてイタリア人が一位になったそうだ。優勝者がいないときもある。

予備審査・予備予選・一次予選・二次予選・3次予選・本選と進んでいくが、課題曲はすべてショパンの曲である。(展示内容をちゃんと覚えていないので、今wikiで調べて書いている。)

 

日本人は第3回目に原智恵子が日本人として初出場した。

7回、1965年に中村紘子が4位に入賞した。この人は有名だ。

8回、内田光子2位。

11回、1985年の1位は、ソ連のスタニスラフ・ブーニンで圧倒的に優れていたそうである。私も音楽には全く詳しくないが、ブーニンは知っている。

このとき、小山実稚恵という人が4位になっている。

12回は、横山幸雄が3位、高橋佳子が5位になっている。横山幸雄は、私はyou tubeで初めて知った人だが、ショパンコンクールの入賞者だとは知らなかった。

13回では宮谷里香5位、第14回では佐藤美香6位。

14回の1位はユンディ・リ(中国) この人もユーチューブで知った。

15回では山本貴志・関本正平が4位。 

17回の一位はチョ・ソンジン(韓国) この人もユーチューブで知った。

 

16回以降、日本人は入賞していない。ある情報によれば、ダイナミックな個性ある演奏ができないからだとか? 18回はぜひとも入賞してもらいたいものだけど、今年は中止になってしまって残念だった。

 

ショパン展の展示で興味を持ったのは、このショパンコンクールのポスターである。ポスターにもまたコンクールがあって、どのポスターが選ばれ採用されるかが競われる。いろいろなデザインのものがあって素敵だ。ポスターの絵葉書が売っていたら買いたいなと期待していたのだけど、売っていなくて残念だった。

 

そして、漫画「ピアノの森」(一色まこと 作)の展示もあった。この漫画ではコンクールの場面なども描かれていて、原画が展示されていた。

アニメでは、ピアニストたちが演奏して収録しているが、主人公のピアノを演奏したピアニストだけは秘密らしい。

 

追記:

原智恵子(ショパンコンクール第3回のとき日本人で最初に出場した人)の演奏がyou tubeにありました。

 ショパン スケルツオ №2 原智恵子

この人は、入賞はしなかったのですが、聴衆からは高い評価があったそうです。

 

 


スマホアプリの歩数計

2020-06-08 19:54:17 | 日記2020

スマホの歩数計が作動しなくて困っている。

作動したりしなかったり、ほぼ1日おきのペースで正しい歩数を測ることができない。

どうやら、バッグに入れて歩くと感知しにくいらしい。

スマホの向きなどによるのかと思うが、どのような向きでバッグの中に入れたら作動するのかもよくわからない。水平にしたらよいのか、垂直にしたらよいのか?

ポケットに入れれば、身体に密着して良く振動するとのことなので、Gパンのポケットに入れて、少し歩いてみた。

足を前に出すたびにスマホにぶつかるので歩きにくいが、これなら振動するから計測されそうだ。

私は、アプリを3つ入れてみている。

最初から入っていたのは「pacer」というものである。

これの結果は、1262歩 38kcal 0.78km 11分 であった。

次に「歩数計」というアプリの結果である。

1126歩 39.8kcal   788m 10:15  

歩数は違うが、消費カロリーと距離と時間はあまり差が無い。

最後に「Fit」というアプリである。これはgoogleのものらしい。

1262歩 1012kcal   1.08km  13分

歩数はpacer と同じだが、距離と時間が多くなっている。

どういうわけなのだろうか? しかも消費カロリーが全然多いから不思議だ。

入力した体重と身長などが間違っているのかと思って確かめたが間違っていない。

本当にわけがわからない。

とりあえず、ポケットに入れて歩くと歩数はカウントされるようだ。

数値はわけがわからないけど、3つを併用して様子を見よう。

 

 

 


ショパン 200年の肖像(練馬区立美術館)

2020-06-07 01:09:35 | 美術・美術館

 

練馬区立美術館で426日から開催されるはずだった展覧会が、新型コロナの緊急事態宣言でなかなか開催できず、もうだめかなと思っていました。

今朝、ふとパソコンで調べてみると、なんと62日から始まっていることが、わかったのです。そこで、さっそく見に行くことにしました。

 

 

展示物は結構多かったです。

まず、ショパンの肖像画

ショパンってすごい美形だったようですね。特に鼻が高いです。絵画に描かれているのもそうですが、銅像のような立体的なものでも鼻がすごく高くて驚きました。目もきれいですし、口元も品がよかったそうです。そして、演奏中の風景を描いた絵画がありましたが、足がすらっと長くて、こんな人があの美しいピアノ曲を奏でたらみんな虜になってしまうでしょう。デスマスクと左手も残っていました。

一生をピアノの曲の音楽家として花を咲かせ、生きたようです。年上のジョルジュ・サンドと付き合っていたけど破局し、元々身体が弱く、結核で39歳の短い人生を終えてしまいました。ポーランド人。ワルシャワで暮らし、晩年はフランスのパリで暮らしたそうです。

 

展示物は、ショパンの姿を描いたもの。ショパンの曲に対するイメージを描いた絵画。

ショパンが暮らした街や過ごした場所、関係する建物などを描いた絵画。

ショパンの自筆の楽譜。手紙の内容。

日本にショパンの曲が伝来した様子。

ショパン国際ピアノコンクール、出場者について。

ショパンのピアノコンクールのポスター等々、盛沢山でした。

音声ガイドを借りて、その中にも楽曲が流れていてよかったです。

 

 

色々書きたいことも山盛りなのですが、切りがないので、今日は概要のみにしておきます。

628日まで開催されています。か月以上も期間が削られてしまい、もったいなかったですが、開催できてよかったですね。

 

 

 


紫陽花

2020-06-05 01:22:38 | 植物・花・木

今日は遅くなってしまった。

何か書いておかないと・・・。

紫陽花の季節なので、アジサイの写真を載せよう。

そうだ、アジサイの句はないか?

アジサイの花は日本古来からあり、アジサイの句(歌)は、万葉集にもあるそうだ。

その当時の紫陽花は、原種のガクアジサイだったと思うけど。

万葉集の歌を調べたら、あんまりピンと来なかったので、それはやめた。

近代のものにする。

紫陽花やあしたは何の色を咲く    正岡子規

いろいろあったけど、簡単なこの句を選んでみた。

きれいな紫陽花を見つけたいなあ。

 

 


再びテレワーク

2020-06-03 23:22:26 | 日記2020

先週は、勝手に会社に通勤して仕事をしていたのだが、今週は東京都の感染者が増えてきて「東京アラート」というものが発せられたので、これはまた感染の危機が高まってきたのかと思い、在宅ワークにすることにした。

「東京アラート」なんて、またわけのわからないカタカナ語である。レインボーブリッジと都庁が不気味に赤く点灯するらしい。

会社で危険を感じるのは、換気ができないことである。そうすると、ウイルスの混じった空気がぐるぐる循環してきて吸い込んでしまい、感染することがあるのだそうだ。

同じフロアーに出勤してくる人は、2~3人くらいしかいないのだけど、それでも万が一その人たちが感染していたら危ないし、逆に自分が無症状で感染していたらその人たちにうつしてしまうおそれもある。だからやっぱり在宅にしたのだ。

在宅にするとまたいつもの運動不足問題だ。そしてパジャマのままずっと座って仕事を続けた。

通勤していると朝昼夕と分散して歩くことができるが、在宅ワークのときには、ず~っと座っていて、夕方だけ歩くのである。

人間は座っている時間が長いと寿命が縮まるそうだから、やっぱり通勤して働くのが良い。

夕方、用もなく、隣の駅方面まで8000歩くらい歩いてきたが、疲れるのなんの。やっぱりいきなりどかんと歩くのは良くなさそうだ。

それでも、歩かないと本当に、どんどん太り続けるばかりである。

今日の感染者は、昨日よりは減ったので、ちょっとほっとした。
多くは院内感染と夜の街のクラスターだそうだ。

それ以外に、市中にはそんなにたくさん感染者はいないと思いたい。

明日はどっちで働こうかな。


歩けども歩けども

2020-06-02 22:08:51 | 日記2020

どんなに歩いても、スマホの歩数が3歩です。

本当に歩いたかいがない。

朝からでかけて駅まで歩き、4か月ぶりくらいに電車に乗って、そこからまた歩いて美容院に行ってきた。

なんと半年ぶりに髪の毛を切った。

美容院も4か月行ってないと思っていたのだが、そうではなかった。
2月に行く予定だったのを行かなかったのである。
つまり、その前の12月から行ってなかったのだ。
やっとすっきりした。

そして、また駅まで歩いて電車に乗って、また歩いて家に着いた。

それなら5000歩は歩いているはずではないか。

ところが3歩なのである。

一昨日は8000歩くらい歩いたはずだったが、0歩だった。
自宅に戻ってから家の中を歩いてみたら動くようになり62歩になった。

このアプリが変だと思って、違うアプリを2つ入れてみた。
節電モードにしているとカウントされないことがあるというので節電をやめた。

そして、昨日は普通に5498歩だった。

だが、今日はまた3歩なのである。3つのアプリが3つとも3歩である。
それで、もう一度夕方買い物にでかけてみたが、やっぱり3歩のままである。

スマホがおかしい。

夫が色々いじくりまわして家の中を歩いたら、やっと45歩になったが、本当に歩数計の意味無い。

せっかく歩いたのにがっかりだ~