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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

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アンネのバラ(読書の森公園)

2012-06-17 00:08:34 | 植物・花・木


いつも読ませていただいている玉川のセレブーさんのブログ(「しんわの丘ローズガーデン」)に、「アンネのバラ」のことが載っていて驚いた。
そういえば私も、6月の初旬に、アンネのバラの写真を撮ってあったのだ。花は、ピンクに黄色がかった色が混じって、なかなかきれいな種類のようだが、私が見たのは、あまりにもこじんまりとしていて、サマにならないものだったので、そのままにしていた。
この地面の藁も、画像にすると残念な感じだが、木を守るためにはしかたがないのかな?



花はともかく、重要な経緯をもつものらしきこの名前。その由来を書いてある表示板も記念に撮影してきた。



こんなことが書いてある

「 アンネフランクはユダヤ人として迫害を受ける中で、平和を願う気持ちを日記に書きました。この日記は「アンネの日記」として出版され、世界中の人々に親しまれています。この日記に感銘したベルギーの園芸家が、アンネのバラを作り、アンネの父親のオットー・フランク氏に贈りました。

昭和50(1975年)、「アンネの日記」を学んだ高井戸中学校の生徒たちが、感想文集をオットー氏に贈り、翌年、オットー氏からアンネのバラが贈られました。このバラは高井戸中学校の生徒たちを中心に多くの人たちの協力により大切に育てられています。

杉並区は、アンネのバラに平和と人権尊重への願いを込めています。

平成18年3月 杉並区 」

これは、杉並区の中央図書館の隣にある「読書の森公園」にあるアンネのバラである。
もともとは、ここに書いてあるように「杉並区立高井戸中学校」にアンネの父、オットー氏から贈られたものだそうだ。

実は、このちょっと前に、どこか行くところないかな~と花の名所を探していたところ、高井戸中学校で「アンネのバラ」が一般公開されるというのを知って、行って見ようと思ったら、ちょうどその日の午前中に、公開期間が終了していたということがあった。

それで、アンネのバラは来年まで見られないと思っていたら、この公園にもあることを知った。この公園には、花らしきものが見当たらず、本当にあるのかと思ったら、確かにあった。一角にいくつか並んで花を咲かせているが、どの苗もまだ小さかった。

実は、神代植物公園にもあるらしいが、全然気がつかなかった。
高井戸中学校のサイトのアンネのバラのページを見ると、杉並区の中小学校や、長野県の学校などに贈られたそうである。神代植物公園にもここから行ったようである。
(「アンネのバラ・サポーターズ」のHP

高井戸中学校よりも先に、どこかの教会に贈られたらしいが、そこから分けてもらうほどはなかったそうで、直接オットー氏が中学に贈ってくれたそうである。
今現在は、この教会などから全国に分けられて、たくさんの場所で見ることができるようだ。

さて、「アンネの日記」は、誰でも知っているものであるが、改めてアンネがどういう一生をおくったかを確認してみた。

1929年6月12日  ドイツのフランクフルトに生まれる。今から83年前。(生きていれば83歳ということだ。)
この年は、世界恐慌の年。このころ、ヒトラーの率いるナチスも登場。

小学生時代には、ユダヤ人迫害が始まり、ドイツで3万人のユダヤ人が強制収容所に入れられた。1939年には、ヒトラーがポーランドを攻撃し、第二次世界大戦が始まった。
一家は、アンネが4歳のころから、迫害をのがれてオランダのアムステルダムに暮らしていた。

1941年 6月12日 13歳の誕生日に父から日記帳を贈られて日記を書く。
このころ隠れ家に住むようになり、その間、3冊の日記を書く。

1944年 8月4日 ナチスにつかまる。
9月3日 アウシュビッツ収容所に収容される。

10月30日 アンネと姉はドイツのベルゲン・べルゼン強制収容所に移送される。

1945年1月6日 母はアウシュビッツ収容所で亡くなる。

1月27日  アウシュビッツ収容所はソ連とポーランドによって解放され、父は釈放される。

2月 姉マルゴットが亡くなる。

3月 アンネ 15歳と9カ月で亡くなる。

5月8日 ドイツ降伏。8月、第二次世界大戦終わる。

1945年6月 1人だけ生き残った父オットー氏がアムステルダムの隠れ家にあった日記を受け取る。

1947年  アンネの日記が出版される。

(もう少し生きていたら、戦争が終わっていたのに、本当に残念です。)


ベルギの園芸家デルフォルゲ氏は、アンネ没後の15年目1960年に新種のバラを作り、「アンネの形見」と命名してオットー氏に贈った。
つぼみは赤で、開花するとオレンジ・黄色・ピンクと色が変化する。

オットー・フランク氏は1980年91歳で亡くなったそうだ。

(以上「アンネのバラ物語」などを参考にさせていただきました。)


これらの歴史を見ると、アンネフランクは、私の母の年代であり、ベルギーの園芸家が「アンネのバラ」を作ったのがちょうど私の生まれた年である。
オットー氏に手紙を書いた高井戸中学校の生徒たちの年齢が、ちょうど私の年齢と同じくらいであり、オットー氏は私が20歳のときに亡くなっている。


「読書の森公園」にはこんな池もありました。



図書館のそばにはガンジーの像もありました。(ガンジーって何した人だっけ???)



バラはだんだん大きくなるのでしょうか。来年も行ってみましょう。

追記:

神代植物公園に行ったときの写真の中に似たものがありましたが、
これはどうなのかな?




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さすがです! (玉川のセレブー)
2012-06-18 10:40:27
体調崩して以来、なかなかブログを集中して読めずにいて数日ぶりのお邪魔です。
毎日きちんとブログをアップすることがどんなに大変なことからこの頃富に実感しています。書くことはおろか、いつも欠かさずに読んでいた皆さんのブログすら見る気力が無くなってしまっていました。我ながらショックです。

さて、泣き言はさて置き。さすが飛鳥さん。アンネのバラ一つをとってもこんなに詳しく解説できるんですもの。頭が下がります。
少女時代に大抵は一読しているアンネの日記、辛さに耐えながら最期には悲しい結末を迎えた少女の短い一生に照らし合わせて見る人がたくさんいるはず。バラ一つをとってもドラマがありますね。
こちらのバラもあと数年もすれば立派な木になるはず。楽しみですね。
私もしんわの丘ローズガーデンでアンネのバラを見ながら、飛鳥さんが以前に載せていた神代植物公園のバラを思い出していました。
今は当にバラのシーズンですね!
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Unknown (飛鳥)
2012-06-18 20:51:13
セレブーさんが、アンネのバラのことを書いてくださったので、私も思いだしました。そうでなければ、バラを見たことも写真を撮ったことさえもすっか忘れていたと思います。

アンネの日記、そういえば、どんなことが書いてあったか覚えていません。もう一度読んでみようかな。
お父さんだけが生き残っていたというのは、今回初めて知りました。
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