ちょうど10年前くらいに、“顔面神経麻痺”というものにかかりました。
これは“ベル麻痺”と言って、ある日突然顔の半分が動かなくなる病気です。
顔面につながる末梢神経が損傷したか炎症を起こしたかして機能しなくなり、顔の筋肉がまったく動かなくなったのです。どん底です。回復までには何ヶ月もかかり、この麻痺の経験で人生観が変わりました。
人間はいつどうなるかわからないものだという恐れもありましたが、治ったからには今まで以上に有意義な人生を送ろうと思いました。
そして、年齢もちょうど中年にさしかかり、外見やかわいらしさで世を渡る歳でもなく、子供の手も離れてきたので、自分の内面を充実させて、世の中のためになるような仕事をしたいと思いました。
1998年から日本語教師養成講座に通い、2000年に日本語教育能力検定試験に合格し、日本語学校の非常勤講師になりました。この頃は今までの自分では無いような自己実現を達成したといえるような活発な時期でした。
最初の2年は順調に働きました。しかし、そこである学生の人権に関わる問題が起こり、その学生のために動いたところ、それが学校全体にとっては非常に迷惑な、損失につながることだったので、私はその学校を辞めなければならなくなりました。
その後、すぐ別の学校に転職しましたがうまく行かず3ヶ月でやめ、不動産会社に勤めました。でもまた7ヵ月後に日本語教師に復帰し、スーパーの仕事と掛け持ちで1年働きましたが、その後の契約は更新されず、なんだかヤル気がなくなって、日本語教師から足を洗いました。
何をやっているんでしょうね。
転機と言えば、10年前顔が全く動かなくなった時もそうだし、日本語教師になろうと養成講座に行き始めたのも転機だし、検定に受かって就職できたのも転機です。そして最初の学校をクビになったのも転機だし、その後職場を変えるたびに転機で、めまぐるしく、ジェットコースターに乗っているような方向転換と浮き沈みの激しい10年でした。
それで、2年前から文書の校正の仕事をしていますが、ま、いい場所に収まったって感じです。やはり私は黙々と人知れず文字を読んでいるのが性に合っているようです。
もともと国文科なのですが、なぜか畑違いの化学や物理の文書を読んでいます。文系から理系へ、これが1番新しい2年前の転機でした。
これは“ベル麻痺”と言って、ある日突然顔の半分が動かなくなる病気です。
顔面につながる末梢神経が損傷したか炎症を起こしたかして機能しなくなり、顔の筋肉がまったく動かなくなったのです。どん底です。回復までには何ヶ月もかかり、この麻痺の経験で人生観が変わりました。
人間はいつどうなるかわからないものだという恐れもありましたが、治ったからには今まで以上に有意義な人生を送ろうと思いました。
そして、年齢もちょうど中年にさしかかり、外見やかわいらしさで世を渡る歳でもなく、子供の手も離れてきたので、自分の内面を充実させて、世の中のためになるような仕事をしたいと思いました。
1998年から日本語教師養成講座に通い、2000年に日本語教育能力検定試験に合格し、日本語学校の非常勤講師になりました。この頃は今までの自分では無いような自己実現を達成したといえるような活発な時期でした。
最初の2年は順調に働きました。しかし、そこである学生の人権に関わる問題が起こり、その学生のために動いたところ、それが学校全体にとっては非常に迷惑な、損失につながることだったので、私はその学校を辞めなければならなくなりました。
その後、すぐ別の学校に転職しましたがうまく行かず3ヶ月でやめ、不動産会社に勤めました。でもまた7ヵ月後に日本語教師に復帰し、スーパーの仕事と掛け持ちで1年働きましたが、その後の契約は更新されず、なんだかヤル気がなくなって、日本語教師から足を洗いました。
何をやっているんでしょうね。
転機と言えば、10年前顔が全く動かなくなった時もそうだし、日本語教師になろうと養成講座に行き始めたのも転機だし、検定に受かって就職できたのも転機です。そして最初の学校をクビになったのも転機だし、その後職場を変えるたびに転機で、めまぐるしく、ジェットコースターに乗っているような方向転換と浮き沈みの激しい10年でした。
それで、2年前から文書の校正の仕事をしていますが、ま、いい場所に収まったって感じです。やはり私は黙々と人知れず文字を読んでいるのが性に合っているようです。
もともと国文科なのですが、なぜか畑違いの化学や物理の文書を読んでいます。文系から理系へ、これが1番新しい2年前の転機でした。
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