山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

「眠る骨」(桐生典子)

2006-02-20 21:06:51 | 読書
この作品は、短編集「やわらかな針」の集大成を感じさせるような内容で、さすがに長編だけあって内容が充実していた。

最初のうちは特段いつもの短編と変わらない気分で読んでいたが、終盤になり、心に迫るものを感じてきた。

人間としての生と性、そして、生物としての生と性を考えずにはいられない。
人間とは何か、恋愛とは何か、夫婦とは何か、生物とは何か、男と女とは何か、生きるということは何か、死ぬということはなにか、生まれるということは何か・・・・・

人間はこの世に生まれて、男なり女なりとして生きていくことになるが、そこで、恋をしたり、仕事を持ったり、伴侶を見つけて家庭を持ったりする。人は、愛するもの、理解者、家族を必要とし、また恋愛の対象を必要とし、そこには心と体というものがある。
常に、こころと肉体を求めているといっていいかもしれない。
また同時に社会生活においては、人間は仕事の成功や世間の信用というものでも能力を発揮し、認められ役割をになって活躍したいという願望を持ち続ける。
時には純粋な情熱に動かされ、時には打算や世間体にも動かされる。様々な人間性・愛欲・理性・まごころ・本能・野望・意地などが絡み合って、人は複雑な生き様をさらして生きていくこととなる。

しかし、その人間の根本はやはり「生物」であり、その肉体は物体であり、自然の摂理の一部である。恋愛して子供を産むということも当然その一部であるし、死んでバクテリアに分解されたり蛆虫に食べられたりすることも、植物や野に飛ぶ鳥などと同じ摂理の中のひとつである。

時には命を懸けたり無理をしたり、性の本能に暴走したり、人のために命を削ったり、嫉妬したり、・・・様々なことに翻弄されているかのような人間だが、
自然の摂理の中の生命のあり方を思うときに、何か妙な納得のような気持ちが起きてくる。

腐臭を放ち蛆虫に食われた末に無機物の骨のみになった大澤の前で、初めて早紀の夫の誠は全てを受け入れる気持ちになり、早紀に大澤の子供を産めと言った。
早紀は愛するものの死に遭遇し遺言を守り、その肉体が腐って朽ち果てるという事実に眼をそむけず、その死後までの壮絶な生命の行く末を見届けた。夫誠はそんな妻の強さと、骨となった男の現実を見て、遺された生命体が誕生することは、自然の摂理であると納得したのであろう。

早紀も大澤も誠もみちるも一生懸命生きている。
登場人物をひとりずつ考えてみる。
みちるはかつて3歳の自分の命を助けてくれた大澤を慕い、早紀の胎内にやどった大澤の子を助けようと女としての武器まで使う。同時に誠に心を惹かれてもいるし、将来看護婦になるという自分の人生の計画も考えている。
早紀は女としての自分が男としての大澤を求め愛するとともに、人間としての大澤の遺言を守り、また彼自身が信頼に足る人間であったかを彼の死後に確かめようとする。早紀は夫についてはよくできた人格を認めて尊重し、妻としての役割を果たしている。また、自分自身も仕事をもちその分野で認められたいと努力している。
夫は、妻の行いに対して男としての嫉妬を排除できないが、最後には妻の生き様を否定しきることはできない。また、自分自身もみちるとの間において、男としての弱さを持つものであることも知ることとなる。彼は仕事もまじめにこなし、世間から見て信頼のおける愛される人間でもあろうとし続ける。
大澤は恵まれない青少年期をすごし、その後も成功しかけた事業に失敗したりなどし、それでも戦い続けて、結局は悪人の前に敗北するが、かつての初恋の相手早紀と出会うことができ、彼女に愛と信頼をむけ、自分の死後を託すこととなった。

最後に早紀が死んだ大澤の生をうけついだ子供として女の子を産んだということは、ひとつの安堵だった。大澤に似た男の子でも生まれていたら、また夫に愛憎が湧きそうであるが、女の子でよかったと思った。そういう意味でも読後に落ち着きが得られる作品であった。
ストーリーとしての展開も面白く、想像される場面の映像もインパクトがあった。
そういう意味で充分楽しめるし、感動できる作品だ。
いつも思うが、この人の作品はテレビドラマや映画にしてもいいものができると思う。
実際に映像にしたら原作以上のものを再現できない場面も多いと思うが、それを抜いても
いいドラマが作れるのではないかなと思う。






コメントを投稿