土曜日に世田谷美術館に行ってきました。
世田谷美術館は、私の行きつけの美術館で、別に何の展示をしていようと、内容には関係なく出かけて行くところです。
今回は、「奈良原一高のスペイン 約束の旅」という写真の展示をしていました。大部分モノクロです。
この方は、1960年代頃から活躍されている人で、今は88歳くらいになられるようです。
今回展示されている写真は、ちょうど昭和39年のオリンピックの頃にスペインで撮影されたものを中心としていました。
当時制作された写真集に掲載された写真を、美術館展示用に大きくして作りなおしたものだそうです。
この人は、スペインの前にフランスに行っていたようですが、フランスにはあまり魅力を感じず、スペインに行って、庶民の活気あふれる姿に惹かれたようでした。
特に、祭りを楽しむ人々の姿は、展示写真も楽しいものがいっぱいでした。
私も、こうやって人生を謳歌している感じはいいなあと思いながら、写真を眺めていきましたが、この人たちももうこんな活気あふれる若い時代は終わり、もうこの世には・・・
いやいや、考えたら、ちょうど私の親くらいの年代ですかね。
つまり、この写真家奈良原氏もこの時若者で、国籍問わずスペインの街の人々の中に溶け込んで暮らしていたようですが、この人が生きてるんだから、写真の人たちも生きてる人が多いはず。
そう、今も、元気で快活な老人であってほしいなと思いました。
奈良原氏は、東京オリンピックの日本よりも、スペインに関心があったようですね。
そして、闘牛士の写真もたくさんありました。人間が大きな牛に立ち向かうお祭り。
これも、なんとなくわかるような気がしました。晴れ着を着て挑むわけですよね。
危険だとか言われて、今は昔とは少し変わってきているようだけど、やっぱり無くなりはしないスペインの文化?精神?です。
私もフランスよりもスペインのほうが好きな気がするなあ。
・・・
さて、そのあと、セタビカフェでガレットを食べて、それから100円ワークショップで、スペイン風オーナメントを作りました。
これは、紙粘土にタイルを貼って作る飾りなのですが、出来上がったものが悲惨で・・・
すべては、私の美術的感性が無さ過ぎるので、さんざんな支離滅裂作品になってしまったのです。
全然ダメだ~~~
自分の作品みても楽しくない。もう捨てたい!
イメージがわかないから、方向性がないっていうか、そもそもスペイン風っていったいどういう感じ?
そうだ、この失敗を踏まえて、次からはもっとマシな作品を作ろうね。
・・・
そうして、さて帰ろうと思ったら、ちょうど「30分でわかるミニレクチャー」というのを講堂でやるというので、それも聴いてきた。
うんそうか、最初の外に飾ってあったポスターの写真だけど、祭りで若者が4人楽しそうに歩いている。
この女の人たちのワンピース、ファッションがいい感じだ。
この写真は右端の人が半分しか写ってなくて、左側にスペースが空いているけれど、この風の通り抜けるような空間が場の雰囲気を醸し出しているんだね。
・・・
いろんなことをしていたら、もう1日美術館に入り浸り。
砧公園。
この円の中心で声を出すとコダマが帰ってくるところだそうだ。テレビで不思議な現象としてやっていた。
紅葉。
紅葉は逆光で取ったほうが葉がきれいに見えるみたいだ。
美術館を出ると、もうかなり陽が斜めになってきていた。
落ち葉もいっぱいで、もうすぐ紅葉も見おさめかな。
まだ始まったばかりのようですし、絶対行きます!
情報ありがとうございます(人''▽`)
明治の頃か、大飢饉に襲われた時、鈴木氏は貧しい人たちに麦やアワを無償で提供した。この善行に付近の人は雑木山を鈴木氏に献じた。それが30ヘクタールの高台。
大正末期、小田急の開通前に、成城学園の構想をもつ小原と小田急の利光社長で、鈴木氏と会い、砧一帯の売却が決まった。
値段が決まらない
3時間、黙然と3人は座り続けた
小原が切り出した
「小田急さんが停車場に必要なのは1800坪だそうです。残りは全部、うちが買いたい。小田急さんには坪3円、うちには倍の坪6円でどうです?」
鈴木氏が承諾した
小田急は坪8円の腹づもりだったので、これは破格の安値だったという
小原が地主の鈴木氏と買収契約した土地は14万5千㎡
このうち5万㎡を学校の敷地に寄付し、残りの9万5千㎡は、住宅地として区画整理して分譲売却、その利益を学校建設資金とした
というのが、小原国芳の本のひとつに書いてありました
私は初めて知った写真家でした。
1月26日までやっているようですね。写真展、ぜひ楽しんできてください。
砧公園を調べてみたところ、昭和15年の東京オリンピックのために用地を用意していたのが没になり、そのあとゴルフ場だったのが、公園になったのだとか。こっちもびっくりな歴史でした。