山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

ゴッホの椅子に遭遇(式場隆三郎[脳室反射鏡])

2020-10-12 00:19:34 | 美術・美術館

練馬区立美術館の「式場隆三郎 脳室反射鏡」にたまたま行ってみたら、そこで「ゴッホの椅子」に出会ってしまった。

私は、このあまりの偶然に鳥肌が立ってしまったのだった。

というのは、私はつい一昨日「椅子クラフツ文化の社会経済学」という放送大学の科目を勉強し始めたばかりなのだが、そこに「ゴッホの椅子」が出てきたのだった。

その時、「ゴッホの椅子」とは、ゴッホの描いた絵の中にある椅子であることを知った。

ゴーギャンと共同生活をしていた家で使っていたスペイン椅子である。
しかし「ゴッホの椅子」とは、そこに現存した特別な椅子を示すわけではなく、いわゆるその当時のそういうタイプのありふれた椅子を「ゴッホの椅子」と言うのである。

当時の椅子として典型的だったものなのかもしれない。

その椅子というのは、職人が道具を使って手で作った椅子であり、それほど高価ではなく、一般人が使っていたものである。手作業ではあるものの、同じものを多数生産していたようだ。

ゴッホの絵があまりにも有名だから、「ゴッホの椅子」と言われるのであろう。
生木で作られており、背もたれがあり、足が4本あり、座面は藁でできている。

・・・

この式場隆三郎は、ゴッホを日本に広めた人物であり、相当ゴッホが好きだったようだが、中でもこの「ゴッホの椅子」がとても気に入っていたようである。

「ゴッホの椅子」やゴッホの他の絵をモチーフにした柄の浴衣や服が展示されていた。
「ゴッホの椅子」をモチーフにしたデザインは、椅子の柄が重なっていて一見椅子には見えないほど見事だった。これを作ったのは式場氏である。

私は、浴衣もぜひとも欲しいものだと思ったけど、さらには女性のワンピースまで展示されていて、これがまたさらに素敵なのである。

ゴッホの椅子模様の浴衣や服を再現して売るのは無理にしても、手ぬぐいやタオルハンカチやスカーフとか、作れないものかな~~~

・・・

横道にそれたが、美術館の展示の一番最後のところに置かれていた一脚の「ゴッホの椅子」を見たときには、これがあの絵の中の椅子の現物か・・と思ったのだが・・、待てよ、そんなわけないだろうと思って再確認。

式場隆三郎はゴッホの椅子が好きだったが、その実物をコレクションにしていたわけではないのだ。

説明を読むと、昭和39年に浜田庄司が、スペインやメキシコで集めた家具5000点を日本橋三越で展示即売したそうである。

その中にスペインのアンダルシア村のグァディスの椅子というのがあり、それは、無垢材と藁で作られた素朴な、背もたれのある椅子あるが、それが「ゴッホの椅子」と同様のものであった。

では、そこに展示されている椅子がその中にあったもの?
いや、それも違うようだ。

展示即売されたスペインの椅子を元に、木工家の黒田辰秋などが模作し、日本製の「ゴッホの椅子」が作られたとのこと。それを式場隆三郎が大切に使っていたということだ。

そして、式場隆三郎自身が描いた「ゴッホの椅子」の絵も展示されていた。
だが、この絵の中のゴッホの椅子は、すぐそばに展示されているゴッホの椅子とは背もたれの数などが違うので、その絵のモデルになった椅子というわけではなく、似た椅子のようだった。

だが、式場隆三郎が大切にしていたゴッホの椅子には違いないのだろう。

・・・

あ、そうそう、そこで放送大学の授業と「ゴッホの椅子」と、この展示と関連性のあったのが「柳宗悦」である。私は昔からこの人は「リュウソウエツ」と読むのだと思っていたが、放送大学で初めて「やなぎむねよし」と読むことを知った。

展示では、柳宗悦は、式場隆三郎と行動を共にし、影響しあい、深い交流を持った人であることがわかった。柳の木喰の仏像研究に、式場が協力したことなども展示されていた。

放送大学の放送で知ったのは次のようなことだ。
「ゴッホの椅子」のようなものは、手作り部分が多く機械生産と違って生産性が低いが、製作技術を持った職人が労働として多量に生産している。芸術品のように芸術家が個性を出して一つだけ作ったり、装飾や美を追求したりする高価なものでもないのだが、飾り物ではない実用目的の工芸品には「用の美」というものが存在するとのこと。(習ったことをうまく表現できないが・・・。)この「用の美」について分析しているのが柳宗悦である。

「用」とは生活性のことで、生活で用いられる日用品の中に「美」がある。これらの実用的な工芸品は「生活を豊かにするもの、温めるもの、潤すもの、健やかにするもの」であると柳宗悦は言っているようだ。

これはおそらく実際に使う食器などもそうであろう。授業では絣の織物なども例に挙げられていた。

用途も材料も工程も決まっているものだから、そういうことには拘束されている。しかし、同じものを同じように作っても、自然素材を使い、手作りであるがゆえに、完璧でない部分が生まれ、そこがむしろそのものの味わいになり価値となっているのかもしれない。

だから、ゴッホが描いたスペインの椅子も、絵の中で何かとても味わい深いものになっているような気がするので、あの絵もまた魅力があり、式場隆太郎氏も椅子のとりこになってしまったのかもしれない、などと思った。

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私の父は木工職人であった。大正生まれの父は叔父の元に弟子入りして木工の技術を身に着けたのである。だから私にとって木や家具というのはなじみの深いものである。私の勉強机や洋服ダンスは父が作ったものであった。

私が子供のころ、父はよく「室内」という雑誌を読んでいた。父は、美術の勉強をしたことはないが、自己流の点描で、ベニヤ板に油絵もどきの水彩画を描いていた。

そんなこともあり、私は木や家具が好きである。

今日も、どこに行こうかと考え、八王子の村内家具に行こうかと思ったくらいだ。あそこの美術館には素敵な椅子が展示されているのだ。

でも、八王子は遠いので、ふと練馬美術館に行こうと思いついた。まるで知らない内容の企画展だけど、何でもいいやと思ってでかけた。よく行く世田谷美術館はコロナの影響か、企画展は来年までない。

そうして、練馬に行ってみたら、「柳宗悦」や「ゴッホの椅子」が出てきて、本当に驚いてしまった。

この偶然のタイミングは、いったいなんなんだ!?

・・・

この企画展の名前「脳室反射鏡」って意味不明だが・・・

式場隆三郎は精神科の医師だから、脳のことが専門である。反射鏡とは、何かに反応して何かが出てくること? いったい何がどうしてそれが関連して出てくるのか、不明であるが、脳とはそういうものなのか?

だから、私も私の中で、いろんな思いが反射して関連付けられたのでしょう。

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