山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

大学受験の思い出

2017-01-20 10:25:02 | お題
40年近く前のこと、静岡県の辺鄙な地域から、東京の大学を受験した。
受験勉強はほとんどしていない。今思えば勉強の仕方を知らなかった。
現国・古文・日本史は自力で勉強できたが、英語が悲惨だった。

両親は学がなく、田舎から出たこともない人で、家計も厳しく、大学進学には反対だった。
なんとか説得したあげく、受験料だけ出してもらった。
願書と共に郵便為替で受験料を送る方法等、初めて知った。
受けた大学は第一志望の1校のみ。あとはその大学に編入できる同短大と滑り止めの短大1校。

受験当日、電車で東京に着き、駅の階段を下りているとき、足を踏み外し5~6段の高さからホームに落ちた。そばを歩いていた人が「あ~っ」と叫んだ。
その時は、何食わぬ顔で起き上がって歩き、電車に乗ったが、あとで見たら、ストッキングに穴が空き、膝をけがしていた。

制服に学生カバンで受験会場に行ったら、周囲はみんな私服で驚いた。
苦手な英語の問題は、やはりできなかった。
受験は失敗した。

数日後、自宅に薄っぺらな封筒が届いた。不合格通知。
合格の掲示板を見に行くことができないため、合否を郵送してもらったからだ。

親は、私を大学に行かせたくなかったので、ほっとしたことだろう。
その大学の短大も落ちた。
英語の受験科目がない滑り止めの短大に受かった。

当時、進研ゼミだけやっていた。
赤い紙の達磨があった。合格したら、そこに目を入れるのだ。
第三志望の短大名を書いて、目を入れた。

今振り返れば、私にちょうどよい短大だったのだ。短大での勉強は充実していた。
その短大で学んだことは、今も役にたっている。
英語の苦手な私にも、文学を学ぶ機会を与えてくれて感謝している。


2 コメント

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予備校生活 (ラーメンまん&あしたのジョー)
2019-01-16 22:01:48
大学に現役合格してから学位記授与してから社会に出ました。予備校生活でのみ沢山発見出来ました。
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Unknown (飛鳥)
2019-01-16 23:25:55
都会の人は予備校に行けて効果的な勉強ができていいなあと思います。

自分の子供は都会育ちなのに、親の私が田舎ものなので、教育というものを知らず、自分が育ったように育ててしまいました。

部活を3年の夏までやって、試合に負けてから、予備校に入ろうとしたら、もう入れなかったです。知らなかった。
そういうもんなんですね~
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