山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

文学に関する面接授業

2012-02-11 23:33:54 | 放送大学
放送大学で、次期の科目登録にあたり、受講してみたいなあと思った面接授業が「川端康成を読む」というものだ。私は現在、旧「自然の理解」コースなので、まるで分野違いだが、もともとは文学が好きなのである。

この授業の内容は、
1 対照読解について 川端康成について
2 川端康成「十六歳の日記」と志賀直哉「祖母の為に」
3 川端康成「硝子」と江戸川乱歩「人間椅子」①
4 川端康成「硝子」と江戸川乱歩「人間椅子」②
5 川端康成「伊豆の踊子」映画との比較①
6 川端康成「伊豆の踊子」映画との比較②
7 川端康成「抒情歌」と夏目漱石「夢十夜」①
8 川端康成「抒情歌」と夏目漱石「夢十夜」② まとめ
というものである。

授業は、平日2コマずつ4回。
よし、半日ずつ有給休暇をとって受講しよう!!!

と、思ったのだが・・・
なんと、
10:00~11:25
11:40~13:05

一応午前中の授業ということなんでしょうけど、午前は10時からだから、終わるのが1時を過ぎてしまうのですね。4週連続1日有休ってのはいくらなんでも無理だなあ。
普通の大学のように9時からの授業なら、午後の仕事に間に合うはずですけどね。

内容がいいなあと思うと、
日程の折り合いがつかず、がっかりしてしまいます。
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ツグミが出てくる文学作品

2012-02-11 10:38:01 | 読書
ボッケニャンドリさんのブログに「ツグミ」の写真とツグミのことが書いてあった。ツグミと言えば、その名はよく聞いたことがあるが、実物は見たこともなく、どんな鳥か知らなかった。名前からすると、かわいい感じがしていたもので、ボッケニャンドリさんのブログの写真を見ると、想い描いていたイメージとそれほど違わなかった。

名前を聞いたことがある、というのは、音声で聞いたわけではなく、文字で読んだにちがいなかった。文学作品の中に出てきたと思ったのだが、ほんの一部分の情景描写のようなところに、「1羽のツグミが飛び立った。」とか「2羽のツグミが梢にとまり、~をついばんでいた」などというふうな文があったような気がしたのだった。それは、ちょっと古い地味な小説かなんかの一文だというような気がした。当然、何の作品だったかなどということは思い出せないし、最初から記憶もしていない。

しかし、気になるので、ちょっと「つぐみ」を検索してみた。そうしたら、青空文庫の中に宮沢賢治の「よく利く薬とえらい薬」という作品を見つけた。その他に、萩原朔太郎の「利根川の岸辺より」という詩にも出てくることがわかった。
だが、これらは、あきらかに、私が以前読んだことのあるものではなかった
「つぐみ」といえば、吉本ばななという人が、「TUGUMI」という題名の小説を書いているらしいが、それは女の子の名前のようであって、鳥のことではないらしい。

ところで、宮沢賢治の作品には鳥がいっぱい出てくる。いろいろ検索していたら、宮沢賢治の作品を朗読しているサイトがあった。そこで、「よだかの星」と「よく利く薬とえらい薬」の朗読を聴いた。「よだかの星」は昔、中学の教科書に載っていたが、ちょっと陰気くさくて好きではない。改めて聴いてみると、やはり、よだかは、なんでそんなに悲観的なのかと思うばかりだが、鷹が夜鷹に「名前を“いちぞう”に変えろ、“いちぞう”という札を首から下げろ」などと言っていじめるのは、まさしくパワハラであった。それにしても、弟のカワセミなどは「兄さん遠くに行かないで」と言っているのに、どうして星になってしまったのか。ごく一部の人に愛情があったとしても、多くの者からいじめられるものは、やはり生きていく気にはなれないものかもしれない。

さて、「よく利く薬とえらい薬」には、最初からつぐみが出てくる。
(引用)
清夫は今日も、森の中のあき地にばらの実をとりに行きました。
 そして一足冷たい森の中にはひりますと、つぐみがすぐ飛んで来て言ひました。
「清夫さん。今日もお薬取りですか。
 お母さんは どうですか。
 ばらの実は まだありますか。」
 清夫は笑って、
「いや、つぐみ、お早う。」と言ひながらそこを通りました。
 其の声を聞いて、ふくろふが木の洞の中で太い声で言ひました。(引用終わり)

と言う具合だ。
“つぐみ”のほかに、“ふくろう”や“よしきり”も出てくる。

清夫は母のために一生懸命ばらの実を取っていたが、そのひとつぶを食べると急にすがすがしい気分になり、身体の機能が健やかになった。その実は透き通っていて美しかった。それで、家に帰り母に食べさせると、母はみるみる元気になって病気が治ってしまったという。

その噂を聴いて、他の人もばらの実を探そうとした。その中に、大三(だいぞう)という悪い人間がいた。

この男は、象のように太っていて大きく、アタマがぼんやりするのは病気か栄養が足りないせいだと自分では思っているが、実は食べすぎである。この男は、偽金を作って本当のお金に換えていたので、金持ちだった。
ということだ。

まあ、なんというタイミング。私はこのあいだ偽金かもしれないお金に振り回されていたので、こういう悪党は許せない。

で、物語はどうなるかというと、この大三は、ばらの実をものすごくたくさん取ったが、清夫が見つけたような透き通る実はみつけることができなかった。

そこで、大三は、自分で作ってしまえば良いのだと思いついて、透き通った実を作ろうとする。

物語の最後のくだりはこうだ。
(引用)
それからにせ金(がね)製造場へ自分で降りて行って、ばらの実をるつぼに入れました。それからすきとほらせる為に、ガラスのかけらと水銀と塩酸を入れて、ブウブウとふいごにかけ、まっ赤に灼(や)きました。そしたらどうです。るつぼの中にすきとほったものが出来てゐました。大三はよろこんでそれを呑(の)みました。するとアプッと云って死んでしまひました。それが丁度そのばんの八時半ごろ、るつぼの中にできたすきとほったものは、実は昇汞(しょうこう)といふいちばんひどい毒薬でした。
(引用終わり)

欲張りな悪人が、善人のまねをして、同じ恵みを得ようし、その貪欲さゆえに最悪の事態に行きつくというのは、昔話によくあるパターンだ。
「こぶとりじいさん」や「したきりすずめ」「金の斧と銀の斧」などと同じパターンだ。
こどもに読んで聞かせるのに、こんな面白い話はない。良い人の名前が「清夫(きよお)」であり、象のように大きい悪者の男が「大三(だいぞう)」というのも笑ってしまう。
宮沢賢治の言葉の言い回しが愉快であり、人間の言語と鳥がさえずる声とをかけ合わせたような描写も面白い。

そして、この「昇汞(しょうこう)」とは、いきなり化学だ。
「昇汞」とは、塩化水銀のことだそうで、昔は消毒に使われたこともあったそうだが、猛毒だという。水銀と塩酸を入れれば猛毒になるのは当然なようだが、大三はよほどのバカ者なのだろう。それにしても「昇汞」=塩化水銀というのは、1つ勉強になった。

宮沢賢治はあまり好きだと思ったことはなかったが、まだ読んでいない作品で面白いものがありそうである。



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