1か月ほど前に、伊藤整の「若い詩人の肖像」をアマゾンで注文し、ぼちぼち読んでいる。
この作品は、私が高校の頃に読んだもので、かなり影響を受けたものだ。
それをもう一度読み直す気になったのは、以前にも書いたのだが、昨年10月に小樽に旅行に行って、伊藤整の故郷であることを思い出したからだった。
読み始めてみると、高校時代に全く知らなかった小樽という土地の情景が、より具体的に連想されるのだった。余市も出てくるし、余市と小樽の間にある蘭島という駅のことも思い出した。
登場人物で、印象に残っていたのは、小林多喜二・川崎昇・重田根見子だったが、蘭島は主人公が重田根見子と歩いたりしている場面があり、ああ、あの駅のところかと思い出すことができた。
この作品は、伊藤整の私小説であり、ほぼ自伝のようなものらしい。小林多喜二などは実名であり、重田根見子も、ネットでちょっと検索してみたところ、実在人物の名前も解明されているようである。
主人公が一番信頼を置き親しくしていた川崎昇に関しては、私も高校時代に実在の人物名を探そうとしたことがあったが、みつからなかった。
主人公は、インテリであり、英語の成績が優秀で、詩の才能があると自負しており、容姿も悪くはないと自覚していて、自分が客観的に人や若い女性等からみたらどんな感じだろうと意識し、結構プライドも高いわけなのだが、小心なところもあって、そういう人間像を自分自身で分析しているあたり嫌味には感じないのである。
重田根見子が橙色の湿った肌をしているという表現は、高校時代に読んだときから印象にあり、いったいどんな肌なんだ?とイメージがつきにくかった。今回も同様だが、元々主人公は根見子のようなタイプの女性が好きだったわけではなく、色白で目の細いどちらかといえば和風な感じの女性が好きだったのに、成り行きによって根見子と付き合うようになり根見子を恋人としたということが再確認できた。
根見子は目が大きく、顔のパーツがはっきりしていてどちらかというと洋風な感じなのかなと思うのである。そういうタイプを主人公が元々好きだったわけではないものの、それはそれで美しいと思っていたようだ。それが、恋人関係が悪くなってくると途端に、足が短いとか肩が角ばっているとか欠点が見えてくるというのもよくあることかもしれない。若い男性は、1人の女を恋人にしていると、他の女性との関係は発展する可能性がなくなる、というつまらなさも感じてしまう。
現実はそんなものだろう。そうして破局がくるのだ。
当時の小樽は都会なんだなと思う。銀行があり高等な学校があり、私が育った静岡県の田舎とは比べ物にならないくらい経済や文化が発達していたのだ。
小樽は、昨年秋に行ったときには、昔の偉大なものは皆観光の材料に変化しており、ぼったくり観光地となっていたのだ。
でも、過去に栄えていた小樽というのは、腐っても鯛というか、やっぱり人を引き付けるもののある土地だなと感じる。あの運河や古い立派な建物等、そんぞそこらにある物じゃない。
昔の風景は今とは全然違うだろうけど、地形や大通りなどがすっかり変わるわけもなく、昔の面影が残っていたに違いないのだ。伊藤整たちは、あの小樽駅に電車で降りて道を歩いて学校に通っていたのだと思う。
そうして、そういえば、伊藤整って東京ではどこで暮らしていたんだ?と思いついた。小平霊園にお墓があるんだけど、家はどこだったのか?
ネットで検索するとすぐにわかった。杉並区久我山だそうだ。なんだ、結構近いじゃないか。
そっちのほうが、遠い小樽を連想するよりもずっと簡単だし、やる気になれば、散歩もできそうである。もっと別の作品を読んでみたら、都内の地名も出てくるかもしれない。
それから、色々検索していたら、伊藤整ノーベル文学賞なんていう言葉も出てきて何のこと?と思った。そうしたら、伊藤整がノーベル文学賞の候補と期待されたこともあったようなのだ。
そして、文学者には生前注目されるが死後には注目されない人と、生前は注目されないが死後に注目される人がおり、伊藤整の場合は前者であって、残念ながら、死後は注目されなくなったようである。そういえば、生前は「チェタレイ夫人の恋人」裁判で話題になっており、むしろ本人の作品よりも、こちらの翻訳で話題になっていたのだろう。
伊藤整の誕生日は、1月16日で私の誕生日と近いのだ。だから波長が合うのかと思ったら、村上春樹の誕生日が1月12日で、こちらも近かったのに全然波長が合わないのだ。どちらも山羊座なんだけど。しかも伊藤整は英語が得意なのに、私は英語学習障害者で全然正反対だった。伊藤整を見倣って高校時代に英語を頑張ることが出来ればよかったのに・・・。元々才能のないものはダメなのだろう。
伊藤整は64歳のとき(11月15日)に胃がんで亡くなったそうだ。その年齢では、私もあと1年半くらいしかない。私はまだまだもっと長く生きるつもりなんだけど、読書をするなら今のうちにしとかないと、何もしないうちに人生が終わってしまうかもしれない。せめて人が書いた小説を読むくらいのことはできるだろう。
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