ぶらぶら人生

心の呟き

実際年齢 × 0.8 = 実力年齢

2009-12-18 | 身辺雑記
 今年の残りが、日毎に少なくなってゆく。
 昨日、買い物に行ったショッピングセンターの正面には、気の早い門松が立てられていた。店内にはクリスマスソングが流れて、見るもの聞くもの、年末の風情である。
 都会だけでなく、田舎でも、季節を先取りして時が流れる。
 何となく気ぜわしい思いである。
 ただ、年が改まるというだけのことなのに、片づけておかなくてはならないと思うことが、あれこれある。
 賀状書きはその中の一つだが、すべてパソコン頼みで、表裏を印刷すると、大方片づいた気になる。本当はこれからが大変で、送り主の顔を思い出しながら、自筆で一、二文を添える仕事が残っている。それはまたと日延べし、なかなか取りかかれない。

 まず急ぐことをと、今日はお礼の手紙を書き、散歩がてらポストまで歩いた。
 お礼を申し上げたい人は沢山いる。
 その中の一人、主治医のK先生に、お礼のお便りを記した。折に身体が異常を訴えるので、その都度、先生に相談する。格別の治療は受けなくても、話を聞いていただくだけで安心し、身体が楽になる。

    師走らしく、雪の舞う日々となりました。
    今年も残りわずかになり、し残しの仕事を思うにつけ、心せわしい気がいたします。

    今年も、大変お世話さまになりました。
    お蔭さまで、無事に越年できそうで、喜んでいます。

    先日読みました本で、実際年齢と実力年齢とは違うという、嬉しい考え方に出会いました。

       実際年齢 × 0.8 = 実力年齢

    という八掛けの考え方でした。
    この方式に従うと、まだまだ若やいで生きられそうです。
    とにかく気持ちが老け込まないように、生きたいと思っています。

    どうぞ、来る年も、よろしくお願いいたします。
    皆様の新しい良き年を祈念いたします。


 一枚の写真を添付し、A4用紙に印刷した。そして、ポストに投函した。


 実は、<実際年齢×0.8=実力年齢>の考え方は、先日山口に出かけたとき、本屋で求めた、岩井俊憲著『心の雨の日の過ごし方』(写真)を読んで、知ったことである。
 確かに、最近は大方の人が、実年齢より若く見える。肯ける理論である。
 ただ、実生活では、いつも順風満帆とはいかないことが多い。
 表題のとおり、<心の雨の日>の占める割合は、人によっても、また一生涯の過程においても、異なるだろう。

 <雨の日>のまっただ中を生きざるを得ない状況の人は、結構多いに違いない。
 ここ数日のように、雪の舞う寒い日が続くと、先日、上京の際に目にしたホームレスの姿が思い出され、案じられる。幾つかのダンボール箱や数本のビニール傘を寒さ除けとし、そこに一夜を過ごす場を求めていた人たちの姿が忘れられない。
 職を得られぬまま、今日の糧に困る人たちのことなども考えてしまう。
 投稿者の常連だった(ホームレス)歌人の歌が、最近、朝日歌壇に登場しない。掲載日の月曜日、名前のないのを確かめると、いつもお元気なのだろうかと案じる。
 <雨の日>どころか、まさに<嵐の日>を生きている人たちが、この世には、数え切れないほどあるはずだ。

 その点、私は今日の糧に困らず、寒さに震えることもない日常を過ごしている。
 何の不満もないはずである。それでいて、心に雨の降る日がある。
 考えてみると、幸せなことに、私は今まで逆境に立たされることが少なかった。身にあまる願望を抱かなかったせいもあるが、周囲の人たちに恵まれ、いつも真綿に包まれているような人生の日々だった。
 しかし、この加齢の日々は、非情な雨に降られることもあり、心萎えてしまうこともある。そして、降り注ぐ雨の冷たさに耐えがたくなったりもする。

 そんな日の私は、動物的な勘が働くのであろう、ひとりでに活動的になる。
 体を動かすことは、心を濡らす雨を払ってくれるからに違いない。
 山口に出かけたのも、そんな日だった。
 行きつけの書店に立ち、溢れる出版物に眼を走らせたとき、これなら帰りの車中で読めそうだと、手に取った本が上記のそれである。

 作者自身が、逆境時代を生きた体験者なので、説得力がある。
 著名な人たちのなかにも、逆境に立たされた時期を持つ人は多い。
 第二章の<心の雨の日を過ごした人たち>の中には、森鴎外を初め、有名な人々の生き方を紹介している。
 人生の成功者たちは、逆境をプラスに変えて生き得た人たちである。

 誰にも訪れる老いの日には、とかく<雨の日>が多い。その問題を、第三章の<二毛作の人生を生きる>で、取り上げてあった。
 先に引用した実際年齢と実力年齢の考え方が出ていたのも、この章であった。
 現代は<二毛作>を生き得る時代なので、<再創造>を試みようとの勧めである。
 <心の雨の日を過ごす五つの知恵>という章もあり、一つ一つ肯いて読みはしたけれど、知恵が即座に心に降る雨を晴らしてくれるとは限らない。
 しかし、読書を通して得たものは、どこかで自分を変えようという力にはなってくれる。それが、読書の醍醐味であろう。

             
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花を買い来て

2009-12-17 | 身辺雑記
 じっとしているのは、今の心の状況にはよくない気がし、今日も家を出た。
 <ひまわりカイロ>で、首の凝りを取ってもらい、花を買って帰ってきた。

   友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
   花を買ひ来て
   妻としたしむ

 『一握の砂』中の、人口に膾炙した、石川啄木の歌である。
 若き啄木のような哀しみではないけれど、私もまた、ここ数日、自分の心をもてあまし気味である。
 そんの日は、花でも買ってこようと、思い立ったのだ。

 シンビジュームの鉢を求めた。(写真①)
 花壇に植える小さな花の鉢も12個買ってきた。
 帰宅後、雨の止み間に、花壇に植えた。(写真②)
 少し華やいだ感じになった花壇に、心も和む。
 
 今、ヤマボウシの、散り残った葉の赤い色が美しい。(写真③)
 ここ数日のうちに、木は完全な裸木となるであろう。

 今朝、街には、ひと時、かなりの雪が舞ったらしい。
 帰り、花の鉢を抱えて乗ったタクシーの運転手から、石見空港に、朝、到着予定の飛行機が、雪のために視界が悪く、一時間ばかり遅れたと聞いた。
 妹からも、雪は大丈夫かと、朝、安否を尋ねる電話があった。
 話中の子機を持ったまま、外をのぞくと、当地の空には、わずかではあるが青い空があった。
 同じ市内でも、随分、雪の降り方には、違いがあるらしい。
 私の家の周囲では、ハラハラと舞う程度の降りであった。海に近いせいだろう。
 県境や山よりの里では、雪景色になっているところもあるのだろう。

 上記した啄木の歌の表記を確認するために、『一握の砂』を開いて、かつて印を入れている歌を拾い読みした。その中の一首。

   かなしくも
   頭のなかに崖ありて
   日毎に土のくづるるごとし     


                ①

          ②

          ③
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山口に出かけて

2009-12-17 | 旅日記
 月一回の所用を済ませるため、山口に行ってきた。
 慌てて出かけたわけでもないのに、山口線でカバンを開けてみると、車中で読む本を入れ忘れていた。
 活字が読めるのは、電子辞書だけだった。
 車窓の風景を見ながら、辞書に出ている英会話や中国語の会話を音読したり、発音を聞いたりして過ごした。

 予想外の冬日和であった。
 徳佐の駅に特急列車が停車すると、落葉した梢の遥かに、小さな十種ヶ峰の山影を見ることができた。頂上辺りに、雪を留めているらしかった。(写真①)
 山口の駅通りを歩いていると、真正面に鳳翩山の姿も見えた。こちらには、雪が全くない。銀杏並木は、大方落葉していた。(写真②)

 所用を要領よく片付けて、食事をし喫茶店にも入った。
 山口の街には、紫外線の強そうな日差しが満ちていた。
 帰途、鍋倉に着くと、ホーム脇にある畑に、林檎の赤い実が、採り残されて枝にあった。もの寂しげな光景であった。(写真③)
 が、その林檎には、薄い日差しが差していた。
 ところが、徳佐のあたりから、天候が急変した。
 雪交じりの雨が降り、思い雲が十種ヶ峰を隠していた。
 家に帰り着くまで、雨は降り続いた。雪に変わったところもあるだろう。
 寒波が襲来し、全国的に寒くなったと、ニュースが伝えていた。

 帰りの車中では、大方の時間、文栄堂で求めた『心の雨の日の過ごし方』を読んだ。折々眼を車窓に向け、次第に昏冥をます冬景色を眺めながら。 


            ①

                   ②

            ③
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東京へ

2009-12-15 | 旅日記
 12月3日から6日まで、上京した。
 旅日記をまとめておこうと思いながら、最近は、パソコンの画面を見ると、疲労気味で、なかなかはかどらない。
 せめて、写真を添付して、記録を残しておこうと思う。

 到着の3日は雨であった。
 大丸で昼食をとり、ホテルで寛いだ。
 帝国ホテルの10階からの風景。(写真①)
 夜は銀座に出て、夕食。
 翌朝、17階の食堂から見た国会議事堂。(写真②)

 二日目は、晴天となった。
 まず谷中を訪れ、亡き師のお墓にお参りした。
 歩いて、上野公園へ。
 国立西洋美術館の<すいれん>で昼食。
 いつものことだが、美術館前のロダンの像を見て歩く。
 <考える人>。(写真③)
 
 明治神宮外苑の銀杏並木を歩く。(写真④)
 サントリー美術館で、<名品でたどる鏑木清方の美の世界>を見る。
 サントリー美術館前のイルミネーション。(写真⑤)
 冬の日は早く暮れ、暮色の中、表参道を歩く。(写真⑥)

 5日は、紅葉の<六義園>に行く。(写真⑦~⑪)
 100年を生き抜いたドウダンツツジにも会った。(写真⑪)
 巣鴨へ出て、<とげぬき地蔵>へ。(写真⑫)
 百円のタオルを求め、地蔵の全身を洗っておいた。
 一切の刺が除去できたら、幸せである。

 連日、一万歩以上を歩く。多い日は、二万二千歩を歩いていた。
 都会は、ひとりでに沢山の歩を刻むようになっている。
 しかし、一人では行動範囲が狭まるに違いない。友人と一緒だから歩けたのだ。

 心に残る旅であった。
 6日夕、帰宅。
 

           ①

                ③

           ④

                ⑤

           ⑥

                 ⑦

           ⑧

                 ⑨

           ⑩

                 ⑪

           ⑫
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三人の遺影

2009-12-14 | 身辺雑記
 最近、眼の具合が余りよくない。
 夜になると、パソコンの画面が見えにくいし、本の活字も読みにくい。
 眼のせいだけではなく、怠け癖も出ているのだろうと思いながら、かかりつけのS眼科へ行ってきた。
 今朝、あまり天気がいいので、冬の日差しに誘われて。
 街の中でバス停を降り、川を眺めながら歩いた。
 草色のない、蕭条とした風景である。(写真)

 眼の検診の結果は、白内障の進み具合もそうひどくなく、もう少し様子を見るようにとのことだった。冬になると、ドライアイになりやすく、それ用の目薬が処方された。

 帰途、遠い昔の同僚に遇った。
 S眼科近くの、住宅の前で、畑で玉葱の苗を植えているのが、その人であった。
 目が合ったので、立ち止まって久闊を叙した。
 なにしろ、お互いが30歳代の頃、同じ職場にいた人である。当時は、Y姓であったが、今はH性に変わっていることは、年々の賀状で知ってはいた。が、私には呼びなれぬH姓が、とっさに出てこなかった。

 手の泥を洗い落とすHさんに、私はすぐ帰るからと言った。
 しかし、Hさんは、久しぶりだから、ちょっと話していけと誘われた。また会うこともないだろうと、玄関続きの応接間に上がった。
 そこには、私の全く知らない世界があった。
 鴨居の上には二つの遺影があり、仏壇の前には、もう一つの遺影があった。
 もちろん、私の知らぬ人である。
 鴨居の上のそれは、両親とのことであった。
 二人とも若い。
 Hさんのお父さんは、Hさんの幼き日に戦死されたのだと、初めて知った。
 お母さんは、幾歳で亡くなられたのか知らないが、父親の若い姿に釣り合うように、あえて若い日の写真に紋付を着せた合成写真とのことであった。

 Hさんが、幼い日に父と死別という、悲運の人であったとは…。
 私の知っているY姓は、養子としてI寺の住職だった頃のものなのだった。
 当時、私生活について話すことはなかったので、この度、改めてその生い立ちを知った。
 Yさんが住職を止めお寺を出て元の姓に戻り、再婚という新たな人生を歩まれてからのことについては、全く知らなかった。
 愛息まで亡くすという哀しみの多い人生だったことも。
 一人娘のお嬢さんは、N女子大で中世の文学を学び、東京でそれを生かした仕事について活躍中という。

 何にもないがと言いつつ、Hさんはブラックの缶コーヒーを二つ運び、自らコーヒーの缶を開けて飲み始め、私が不器用に缶の口を開けようとすると、大丈夫かな? という表情で見守るあたりの、こまやかな心遣いだけは、昔のYさんであった。
 私の方が遥かに年上であったが、女性ゆえの頼りなさに対し、よく心配りや手助けををしてくれる人だった。車で送る労など、厭うこともなく。
 言葉遣いは荒っぽいけれど、包み隠しなく自己を語る様子も、昔のままであった。

 仏壇に置かれた写真の息子さんは、大学院の一年の時、風邪がもとで急逝されたのだという。
 仏壇の周辺に、子息の沢山の写真が置かれていた。中高時代は野球部員だったらしく、ユニホームを着た、抜きん出て背の高い少年が写っていた。幼い日の可憐な写真なども置いてあり、三回忌がすんだというのに、まだ遺骨を墓に納められないのだと、仏壇に置いてあった。
 私は、お線香を上げ、今は亡き青年の死を悼んだ。
 Hさんにとって、またその妻である人(現職)にとっても、掛け替えのない子息だったに違いない。
 再婚によって摑んだ、人生の幸せも、百点満点とはいかなかったようだ。
 辞去しようとしたとき、昼の時間を過ぎていたので、一緒に食事をすることになった。
 大衆向きの混み合った食堂で定食を食べた。
 食事前に錠剤を取り出したHさんに、それは何かと尋ねた。糖尿病の薬とのことだった。かつて、同じ職場にいた頃の若さは、当然のことながら、とっくに失せているのだった。

 結局、家の前まで送ってもらった。
 「お互いに、元気で頑張りましょう」
 と、Hさんは月並みな言葉を発し、私はひと言、
 「煙草の量を減らしたら?」
 と、忠告めいたことを言ったが、Hさんの性格を考えると、多分やめられないだろう。亡くなった兄が、晩年、肺気腫を患ったことを思い出しての忠言だったのだが…。

 (追記 床の間の掛け軸や仏壇に置かれた短冊の書が、京都・清水寺の森清範貫主《先日、今年の漢字「新」を揮毫した人》のものだと、Hさんから聞いたとき、住職をやめたことに悔いはないのかと尋ねた。全くないとの返事だった。
 森貫主とは、大学時代の同期の由。毎年同窓会で顔を合わせる仲だとのことだった。) 

           
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記憶の整理棚

2009-12-11 | 身辺雑記
 過日、大阪の妹から電話があったとき、美術館の話になった。
 NHKの日曜美術館で紹介していた根津美術館に行ったことがあるかと、妹が尋ねた。
 私は訪れていないことを言い、
 「この前の日曜日は上京していたから、日曜美術館も見ていない。今回は、サントリー美術館に行って、鏑木清方を見てきたの」
 と、話した。
 一週間後の再放送で、根津美術館の紹介を見た。
 上京の際、ぜひ行ってみたいと思う。

 根津美術館の話の後で、
 「晩年、蟻の絵など描いた画家は、名前なんと言ったかしら?」
 と、妹が尋ねた。
 私はすぐ、妹の言っている画家の絵を思い出したが、即座に名前が出てこない。
 「<一>がついていたね。…<守る>という字も…」
 と、私。
 「守一?」
 と、妹。
 「そうそう、熊谷守一!」
 と、私。
 一人の著名な画家の名前を思い出すのに、なんと手間のかかることか。しかも、名前の終わりの文字から順番に思い出すとは…。
 頭の中の、記憶の整理棚は、一体どんなシステムになっているのだろう?
 最近は、一事が万事、物事を思い出すのに時間がかかり、すんなりといかなくなった。

 「熊谷守一美術館もよさそうね。雰囲気のいい喫茶店もあって…」
 と、妹が言った。
 私は電話の後、美術関係の本を納めている書棚に行き、『熊谷守一』(別冊太陽)を取り出し、久しぶりにページを繰った。
 添付の写真は、絶筆「アゲ羽蝶」(1976年作)である。
 この美術館は、守一の住居跡に、次女の熊谷榧さんが建てられた個人美術館のようだ。
 毎年、5月末~6月上旬に会館記念の特別展が開催されるという。
 できれば、その時期に行ってみたい。             


            
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過失防止に

2009-12-10 | 身辺雑記
 先日、大失敗をした。
 草花舎から帰った後、煮豆を作っておこうと思い立った。豆類は体にいいし、一品を保存すれば、食卓の賑わいにもなる。
 保存食として、絶やさないようにしている。

 鍋を火にかけ、私は部屋を移動して、パソコンを開いた。
 写真を取り込んだり、ブログに書き込む準備をしたりした。
 そのうち、黒豆のことは、きれいさっぱり忘れてしまった。
 傍の窓辺に黄昏が迫り始めたとき、友人から電話があった。話し終えた後、そろそろ夕食や入浴の準備に取りかかろうと思った。
 立ち上がって、ドアを開けたとたんに驚いた。
 何かの焦げる臭い!
 <あッ!>と、思わず声を上げ、キッチンに急いだ。
 煙が濃霧のように部屋に立ち込め、ひどい有様であった。
 急いでガスの火を止め、換気扇の紐を引っ張り、キッチンの窓や裏口のドアを開けた。

 豆は、鍋の中で炭化していた。
 煮豆を作りそこなったことより、後始末や異臭に悩まされた。
 さらに、自分で自分を信じられないという惨めさ!
 老化のせいにはしたくないが、それも無視はできない。
 元来、一つのことに熱中しやすく、AもBもCも、同時に進行するのは、昔から苦手な方である。
 友人からの電話がなかったら、私はなおパソコンの前に座り続けていたかもしれない。そうしたら、豆の炭化だけでは済まなかったかも知れない。
 ぞっとしながら、以後の対策を考えさせられた。
 火を使うときには、台所を離れないのが一番大切なことなのだろうけれど、煮豆が出来上がるまで、火の番をすることなどできそうにもない。
 タイマー時計を持ち歩くこと。
 あるいは、ガスコンロについたタイマーを使って、必ず火がひとりでに止まるように設定しておくこと。
 それらを習慣化すれば、危険は防止できるだろう、と考えた。

 先月、コンロの定期検査に来宅のガス屋さんから、今、使用中のものより、使い勝手のいいコンロが発売されていることを聞いた。展示会をするので、見にきてほしいと誘われもした。
 そのことを思い出した。
 過失防止に、新しいコンロに替えるのも一方法である、と。

 換気扇を一晩中回し続けたが、臭いは容易に消え去ってくれない。
 部屋に立ちこめた臭いを消すために、翌朝は、家中の窓を開けた。
 が、二日経っても、焦げ付いた臭いが、家のどこかに漂っている。
 昨日、病院から帰宅したときにも、なお、臭いが気になった。
 執拗な臭気である。

 そこで、昨日、ガス屋さんに電話し、新式のコンロを注文したのだった。
 今後、同じ失敗を繰り返さないために。

 今日、それが届けられた。
 6年前には新式だったものに、改良が加えられ、便利で使い勝手のいい製品になっている。
 タイマーの設定時間一つを取ってみても、工夫されている。
 
 過失防止にと求めた、そのガスコンロで、早速、お湯を沸かし、設定どおりに火が消えてくれるか確かめてみた。(写真)
 うまくいった。
 しかし、安全機能がついているとはいっても、操作するのは私である。今後は、コンロを買い換えた意図を思い出し、操作を忘れないようにしよう。


 私は台所と寝室に、火災報知器をつけてもらっている。
 今回の煙くらいでは、作動しないのだろうかと疑問に思った。
 ガス屋さんにその話をすると、同じ火災報知器でも、台所のは熱に、寝室のは煙に反応する種類が多い、との答えが返った。
 そして、報知器は、万一火災が発生したとき、あくまでも命を救うために避難を促すものだ、と教えてもらった。
 慌てて消火活動などせずに、とにかく逃げなさいと危険を知らせるもの、と心得ておかなくてはいけないらしい。
 火災報知器の出番があるようでは大変なこと!
 十分慎重に生活しよう。 


              
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12月の庭 (小さなものたち)

2009-12-07 | 草花舎の四季
 今日は、草花舎の庭で、小さな命に出合った。
 桑の木の枝に止まった蛾(蝶?)。
 切り株に咲いた金平糖のような花の集団。
 そして、八ツ手の花。
 八ツ手は、葉も花も、大まかな感じだが、一つ一つの花は繊細かつ可憐である。
 いい天気なので、光沢のある金蝿が、小さな花に戯れていた。

 草花舎の庭は、庭めぐりを楽しむ私にとってばかりでなく、ひそやかに咲き、ひそやかに生きる虫たちにとっての楽園でもある。

            

            

            
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12月の庭 (冬、晴れて)

2009-12-07 | 草花舎の四季
 暦の上では<大雪>に当たるというのに、空の晴れ渡る冬日和であった。
 草花舎へ行く。
 スーザンさんも来られるというので、庭を散歩しながら待つ。
 入り口前に立つ白花水木は、葉のない枝を天上に向かって伸ばし、赤い実をつけた常緑樹は、屋根の上に伸びあがっている。
 いずれも冬の風情である。
 空を見上げる。
 程よく雲を浮かべた青い空。
 今年も終わろうとするのに、季節が狂ったかのようである。

 庭めぐりを終えて、部屋に戻る。間もなくして、石州和紙会館のAさん、その他、常連のお客が来られ、雑談しながら食事をした。
 スーザンさんは、三時になってやって来られた。

 このところ、スーザンさんと、系統だった日本語の勉強はしていない。
 けれども、彼女は、周囲の者が話す日本語に対し、いつも関心をもって耳を澄ましておられる。
 今日は、接頭語の<お>と接尾語の<さま>の連結した言葉に、興味を示された。
 発端は、「お日さま」という言葉だったような気がする。
 「お月さま」
 「お星さま」
 など、同類の語を挙げると、スーザンさんは、庭の木をさして尋ねられた。
 「お木さま?」
 「no!」
 「おカラスさま?」
 「no!」
 互いに笑いながらのやり取りであった。
 <お>と<さま>が、頭と尾につく言葉は、限られていることを伝える。
 日、月、星はいずれも、生物にとって有為の、神秘的な存在である。それらに<お>や<さま>をつけるのは、超越的な存在に対する崇拝の気持ちかと思える一方、幼児語的表現でもあるように思える。
 スーザンさんとの対話には、思わず立ち止まって考えさせられることがよくある。意義のある会話である。

 今日は、整体に詳しいAさんに、日常に役立つ簡単なリラックス法や足腰のためになる筋肉の鍛え方などを教えてもらった。
 スーザンさんも私も立ち上がり、空きスペースで、Aさんの指示通りに足を運んでみた。
 私は自分で、体のあちこちが緊張しすぎているように思うことがしばしばある。
 脳が過度に緊張しているのかもしれない。
 教えてもらったリラックス法、肩の上げ下げや呼吸法などを、生活の場に取り入れてみよう。 
 

          

          

         下の写真は、草花舎の、中庭に面した室内の眺め。

          
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わが家にも、山茶花咲いて

2009-12-02 | 身辺雑記
 日替わりで、お天気が変わる。
 今日は快晴の小春日和であった。
 あまりお天気がいいので、庭に出て、花が終わって立ち枯れたままの、ツワブキの茎などを片付けた。小さな労働。

 庭に二本の山茶花がある。
 毎年、花が少なく、全く無視していたのだが、今日見ると、例年より花のつきがよく、嬉しくなった。ごく平凡な類の山茶花ではあるけれど。(写真)

 今晩は満月が美しい。
 幾度も庭に出て、東から中天に移動する月を眺めた。


            
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