今年の残りが、日毎に少なくなってゆく。
昨日、買い物に行ったショッピングセンターの正面には、気の早い門松が立てられていた。店内にはクリスマスソングが流れて、見るもの聞くもの、年末の風情である。
都会だけでなく、田舎でも、季節を先取りして時が流れる。
何となく気ぜわしい思いである。
ただ、年が改まるというだけのことなのに、片づけておかなくてはならないと思うことが、あれこれある。
賀状書きはその中の一つだが、すべてパソコン頼みで、表裏を印刷すると、大方片づいた気になる。本当はこれからが大変で、送り主の顔を思い出しながら、自筆で一、二文を添える仕事が残っている。それはまたと日延べし、なかなか取りかかれない。
まず急ぐことをと、今日はお礼の手紙を書き、散歩がてらポストまで歩いた。
お礼を申し上げたい人は沢山いる。
その中の一人、主治医のK先生に、お礼のお便りを記した。折に身体が異常を訴えるので、その都度、先生に相談する。格別の治療は受けなくても、話を聞いていただくだけで安心し、身体が楽になる。
師走らしく、雪の舞う日々となりました。
今年も残りわずかになり、し残しの仕事を思うにつけ、心せわしい気がいたします。
今年も、大変お世話さまになりました。
お蔭さまで、無事に越年できそうで、喜んでいます。
先日読みました本で、実際年齢と実力年齢とは違うという、嬉しい考え方に出会いました。
実際年齢 × 0.8 = 実力年齢
という八掛けの考え方でした。
この方式に従うと、まだまだ若やいで生きられそうです。
とにかく気持ちが老け込まないように、生きたいと思っています。
どうぞ、来る年も、よろしくお願いいたします。
皆様の新しい良き年を祈念いたします。
一枚の写真を添付し、A4用紙に印刷した。そして、ポストに投函した。
実は、<実際年齢×0.8=実力年齢>の考え方は、先日山口に出かけたとき、本屋で求めた、岩井俊憲著『心の雨の日の過ごし方』(写真)を読んで、知ったことである。
確かに、最近は大方の人が、実年齢より若く見える。肯ける理論である。
ただ、実生活では、いつも順風満帆とはいかないことが多い。
表題のとおり、<心の雨の日>の占める割合は、人によっても、また一生涯の過程においても、異なるだろう。
<雨の日>のまっただ中を生きざるを得ない状況の人は、結構多いに違いない。
ここ数日のように、雪の舞う寒い日が続くと、先日、上京の際に目にしたホームレスの姿が思い出され、案じられる。幾つかのダンボール箱や数本のビニール傘を寒さ除けとし、そこに一夜を過ごす場を求めていた人たちの姿が忘れられない。
職を得られぬまま、今日の糧に困る人たちのことなども考えてしまう。
投稿者の常連だった(ホームレス)歌人の歌が、最近、朝日歌壇に登場しない。掲載日の月曜日、名前のないのを確かめると、いつもお元気なのだろうかと案じる。
<雨の日>どころか、まさに<嵐の日>を生きている人たちが、この世には、数え切れないほどあるはずだ。
その点、私は今日の糧に困らず、寒さに震えることもない日常を過ごしている。
何の不満もないはずである。それでいて、心に雨の降る日がある。
考えてみると、幸せなことに、私は今まで逆境に立たされることが少なかった。身にあまる願望を抱かなかったせいもあるが、周囲の人たちに恵まれ、いつも真綿に包まれているような人生の日々だった。
しかし、この加齢の日々は、非情な雨に降られることもあり、心萎えてしまうこともある。そして、降り注ぐ雨の冷たさに耐えがたくなったりもする。
そんな日の私は、動物的な勘が働くのであろう、ひとりでに活動的になる。
体を動かすことは、心を濡らす雨を払ってくれるからに違いない。
山口に出かけたのも、そんな日だった。
行きつけの書店に立ち、溢れる出版物に眼を走らせたとき、これなら帰りの車中で読めそうだと、手に取った本が上記のそれである。
作者自身が、逆境時代を生きた体験者なので、説得力がある。
著名な人たちのなかにも、逆境に立たされた時期を持つ人は多い。
第二章の<心の雨の日を過ごした人たち>の中には、森鴎外を初め、有名な人々の生き方を紹介している。
人生の成功者たちは、逆境をプラスに変えて生き得た人たちである。
誰にも訪れる老いの日には、とかく<雨の日>が多い。その問題を、第三章の<二毛作の人生を生きる>で、取り上げてあった。
先に引用した実際年齢と実力年齢の考え方が出ていたのも、この章であった。
現代は<二毛作>を生き得る時代なので、<再創造>を試みようとの勧めである。
<心の雨の日を過ごす五つの知恵>という章もあり、一つ一つ肯いて読みはしたけれど、知恵が即座に心に降る雨を晴らしてくれるとは限らない。
しかし、読書を通して得たものは、どこかで自分を変えようという力にはなってくれる。それが、読書の醍醐味であろう。
昨日、買い物に行ったショッピングセンターの正面には、気の早い門松が立てられていた。店内にはクリスマスソングが流れて、見るもの聞くもの、年末の風情である。
都会だけでなく、田舎でも、季節を先取りして時が流れる。
何となく気ぜわしい思いである。
ただ、年が改まるというだけのことなのに、片づけておかなくてはならないと思うことが、あれこれある。
賀状書きはその中の一つだが、すべてパソコン頼みで、表裏を印刷すると、大方片づいた気になる。本当はこれからが大変で、送り主の顔を思い出しながら、自筆で一、二文を添える仕事が残っている。それはまたと日延べし、なかなか取りかかれない。
まず急ぐことをと、今日はお礼の手紙を書き、散歩がてらポストまで歩いた。
お礼を申し上げたい人は沢山いる。
その中の一人、主治医のK先生に、お礼のお便りを記した。折に身体が異常を訴えるので、その都度、先生に相談する。格別の治療は受けなくても、話を聞いていただくだけで安心し、身体が楽になる。
師走らしく、雪の舞う日々となりました。
今年も残りわずかになり、し残しの仕事を思うにつけ、心せわしい気がいたします。
今年も、大変お世話さまになりました。
お蔭さまで、無事に越年できそうで、喜んでいます。
先日読みました本で、実際年齢と実力年齢とは違うという、嬉しい考え方に出会いました。
実際年齢 × 0.8 = 実力年齢
という八掛けの考え方でした。
この方式に従うと、まだまだ若やいで生きられそうです。
とにかく気持ちが老け込まないように、生きたいと思っています。
どうぞ、来る年も、よろしくお願いいたします。
皆様の新しい良き年を祈念いたします。
一枚の写真を添付し、A4用紙に印刷した。そして、ポストに投函した。
実は、<実際年齢×0.8=実力年齢>の考え方は、先日山口に出かけたとき、本屋で求めた、岩井俊憲著『心の雨の日の過ごし方』(写真)を読んで、知ったことである。
確かに、最近は大方の人が、実年齢より若く見える。肯ける理論である。
ただ、実生活では、いつも順風満帆とはいかないことが多い。
表題のとおり、<心の雨の日>の占める割合は、人によっても、また一生涯の過程においても、異なるだろう。
<雨の日>のまっただ中を生きざるを得ない状況の人は、結構多いに違いない。
ここ数日のように、雪の舞う寒い日が続くと、先日、上京の際に目にしたホームレスの姿が思い出され、案じられる。幾つかのダンボール箱や数本のビニール傘を寒さ除けとし、そこに一夜を過ごす場を求めていた人たちの姿が忘れられない。
職を得られぬまま、今日の糧に困る人たちのことなども考えてしまう。
投稿者の常連だった(ホームレス)歌人の歌が、最近、朝日歌壇に登場しない。掲載日の月曜日、名前のないのを確かめると、いつもお元気なのだろうかと案じる。
<雨の日>どころか、まさに<嵐の日>を生きている人たちが、この世には、数え切れないほどあるはずだ。
その点、私は今日の糧に困らず、寒さに震えることもない日常を過ごしている。
何の不満もないはずである。それでいて、心に雨の降る日がある。
考えてみると、幸せなことに、私は今まで逆境に立たされることが少なかった。身にあまる願望を抱かなかったせいもあるが、周囲の人たちに恵まれ、いつも真綿に包まれているような人生の日々だった。
しかし、この加齢の日々は、非情な雨に降られることもあり、心萎えてしまうこともある。そして、降り注ぐ雨の冷たさに耐えがたくなったりもする。
そんな日の私は、動物的な勘が働くのであろう、ひとりでに活動的になる。
体を動かすことは、心を濡らす雨を払ってくれるからに違いない。
山口に出かけたのも、そんな日だった。
行きつけの書店に立ち、溢れる出版物に眼を走らせたとき、これなら帰りの車中で読めそうだと、手に取った本が上記のそれである。
作者自身が、逆境時代を生きた体験者なので、説得力がある。
著名な人たちのなかにも、逆境に立たされた時期を持つ人は多い。
第二章の<心の雨の日を過ごした人たち>の中には、森鴎外を初め、有名な人々の生き方を紹介している。
人生の成功者たちは、逆境をプラスに変えて生き得た人たちである。
誰にも訪れる老いの日には、とかく<雨の日>が多い。その問題を、第三章の<二毛作の人生を生きる>で、取り上げてあった。
先に引用した実際年齢と実力年齢の考え方が出ていたのも、この章であった。
現代は<二毛作>を生き得る時代なので、<再創造>を試みようとの勧めである。
<心の雨の日を過ごす五つの知恵>という章もあり、一つ一つ肯いて読みはしたけれど、知恵が即座に心に降る雨を晴らしてくれるとは限らない。
しかし、読書を通して得たものは、どこかで自分を変えようという力にはなってくれる。それが、読書の醍醐味であろう。
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