ぶらぶら人生

心の呟き

10月22日・雑感

2021-10-22 | 身辺雑記
 老いのせいか、日にちや曜日が曖昧になりがちである。
 新聞を開くとき、今日は10月22日であることを確認する。

 父の祥月命日である。
 中也忌(詩人・中原中也の没後83年目)でもある。

 父の忌日は、毎年正確に思い出すのに、母の忌日・7月29日は、一日ずれて、<あっ、昨日は、母の命日だった>と、思い出す年があったりする。

 父の忌日を、忘れずに思い出すのは、<22>という数字に関係すると思う。
 22日は私の誕生日である。誕生月は1月だが、月々の22日も、特別な日に思える。特に近年は、ひと月の起点を22日において、またひと月無事に過ごせた、と思ったりする。

 今日は、一歩も外に出なかったので、外気を肌で感じることはなかったが、空模様は寒々としていた。
 父の亡くなった日も、10月にしては寒い日であったことを思い出す。

 父の死(1994・平成6年)から27年、母の死(1991年・平成3年)から30年が経った。父母の思い出は今なお鮮明だし、懐かしい。


 私自身のこととなると、昨日行なったことをふと忘れたりする。
 昨日、Amazonへ注文したものが、今日届くはずである。一つは、<天声人語・書き写しノート>、もう一つは、本である。が、その本の題名や作者が思い出せず、がっかりした。

 昼前に、施設の人が、包みを二つ部屋に届けてくださった。
 本は、大倉源次郎著『能から紐解く日本史』であった。この本を注文するに至った経緯を思い出した。藤沢周著『世阿弥 最後の花』を読み終え、インターネットで流罪となった歴史上の人物や歴史的背景などを調べているうちに、偶然、出逢った本であった。
 中身の濃い本のようだ。小説やエッセイと違って、理解に時間がかかるかもしれないが、勉強のつもりで読むことにする。


 今日、小中学生向きに書かれた本を読んでいて、<はもれび>というひらがな書きの言葉に出逢った。<木漏れ日>という言葉は知っているけど、<葉もれ日>もあるの? と、傍の電子辞書で確認した。が、出ていなかった。辞書にはない言葉でも、土地によっては普通に使われる表現なのかもしれない。木漏れ日の言い換えとして。

 最近、老いとともに、表現力や表記力の質が落ちてきたと感じる。が、人の文章を読んで学ぶことは多いし、上例のように、立ち止まって語彙を吟味することもよくある。
 私は斜め読みというのが苦手で、読書には時間がかかる。

 (読んだ本については、後日、書くことにする。)



  以下の写真は、昨日の散歩で出逢った植物や風景。


  




   

    チェリーセージ ?




   

    この畑の葉物は ?
           右側 セイタカアワダチソウ



  

   マリーゴールド



  

    河口の船




  

    日々、施設の廊下から窓越しに眺める光景



  

   (上に同じ)




  

   トベラの実




  

   日本海は荒れ模様(磯近く砕ける白波) 高島




  

   魚待ち灯台のある岬




コメント
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