ぶらぶら人生

心の呟き

三冊の本

2021-10-13 | 身辺雑記
 コロナのため、施設暮らしの日が長く続くなか、Amazonへ、本など注文したくても、施設の住所を追加する方法が分からないまま、日を過ごしてきた。が、先日、機器に詳しいSさんに電話して相談したところ、簡単に、送り先を追加し、施設の方へ届けてもらえるようになった。
 過日8日に、早速本を2冊注文した。
 翌9日の昼前には、その2冊と、以前、<買い物へ籠>へ入れたまま忘れていた本もあわせ、計3冊が届いた。
 新書を手にして、久々に心が弾んだ。
 早速、下掲の順に読み終えた。



  佐藤愛子 著

 『九十八歳。 戦いやまず 日は暮れず』
 
 




  森村誠一 著

 『老いる意味』


 



 山川方夫 著

 『夏の葬列』



 


 3冊は、それぞれ趣の異なる本で、三者三様の面白さがあった。

 『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』の作者・佐藤愛子さんは、来月5日で満98歳になられる。相変わらず筆達者。前回の『九十歳。何がめでたい』(2016年)から5年経っても、衰えは感じられない。が、帯に、<ヘトヘトの果でしぼり出した最後のエッセイ集!>とある。苦労の影は微塵も見えないけれど、10歳若い(?)私でさえ、日々、思いどおりに物事がすすまず、一日にできることが、数年前の半日分になってしまっていることから想像して、長年続けてこられた執筆とはいえ、大変なお仕事であったに違いない、と想像する。
 でも、どのエッセイにも、佐藤愛子さんならではの豪快な面白さがある。
 21編、みな楽しく読んだが、一番快哉を覚えたのは、「小さなマスク」であった。
 
 エッセイ集の最後は、

 「みなさん、さようなら。ご機嫌よう。ご挨拶して罷り去ります。
  二○二一年 庭の桜散り敷く日」

 とあり、自筆で佐藤愛子と書かれている。擱筆の覚悟がうかがえる。



 『老いる意味』の作者・森村誠一さんは、私と同年同月生まれである。
 たくさん小説を書いておられるが、私は作品を読んでいない。初めての読書が、『老いる意味』というエッセイ集であった。
 10月2日・朝日新聞の読書欄で、この本を知って求めて本である。
 筆者は、老人性のうつ病を乗り越え、さらに百歳まで現役を続ける、とおっしゃっている。その気概には感心する。そして、実際に、その思いを日々に貫いて作家業を続けていらっしゃるのであろう。

 気概は馬鹿にならないのかもしれない。私の父は、自分の父親(私の祖父)が86歳まで生きたから、自分はもう10年長生きすると宣言して、そのとおり96歳まで生きた。病院嫌いで、入院を勧められても、入院もせず。
 念ずればそうなるものでもあるまいけれど………。

 森村誠一さんの本を読んだからと言って、では私も100歳を目指して! などという気持ちは微塵も起こらない。朝を迎えれば、一日の無事を願ってその日を生きる。その積み重ねがどこを終点としているのか、それは全く分からない。一日を大事に生きる、それだけが私の願いである。
 ひどくボケないで生きられることも願っている。が、最近、日月の感覚がどうも鈍くなっている。怪しいな、と思うことが折にある。季節や月はまだ大丈夫だが、日にちや曜日は無自覚な場合が結構ある。
 そして、万事、能率が悪くなったことを自覚している。
 森村さんの真似はできそうにないけれど、私の老いとうまく付き合いたいとは思っている。


 山川方夫著『夏の葬列』中にとりあげられた中編小説、短編小説、ショートショートの全てに、魅力を感じた。1930年生まれの作家で、芥川賞候補にも幾度も選ばれている作家なのに、今までご縁がなかったのが不思議である。私がもっと若い時代に出会いたかったが、それは今更言ってみても仕方ないことである。交通事故による35歳の短い生涯が惜しまれる。編集者としても才腕をふるった人でもあるようだ。

 小説がとにかくうまい。味がある。作者と同時代を生きていたから、より納得できる場面もあった。
 今でも、愛読者は多いようだ。私の読んだ文庫本も、ずいぶん版を重ねている。

 興味を抱いて、Amazonの買い物カゴに入れたのは数か月前のことであった。
 いかなる本を読んでいて、山川方夫という作家に関心を抱いたのか、それが思い出せない。これも老化現象である。

コメント
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