このところ比較的調子がいいと喜んでいると、下降の波がやってきた。
若い人でも、日々同じ調子にはゆかないに違いない。老女にはなおさら、大波小波の好不調があっても不思議はない。不具合の波が襲ってくれば、その波に身を任せて生きる。
その流儀が、少し身につき始めた。
昨日は終日、文句なしの冬日和であった。
前日、施設から帰ったばかりで、新鮮な野菜など不足している。
そこで、午前中、イオンへ買い物に出かけた。
昼食は、求めてきたお寿司で済ませた。そこまでは快調であったが、午後になって突如疲れ(倦怠感)が出てきた。施設では、いささか気を張って生活することが多いので、その疲れも帰宅後に出てくるようだ。
午後も好天だったので、草花舎で開催の『北原順子 個展』に出かけてみたい気もあったのだが、中止した。展示会の初日であり、その上、祭日の休みでもあり、草花舎を訪れる人が多いのかもしれないとの思いもあって。
明けて今日。
朝から、雨の日となった。
午前中は、<『遥かなる山旅』串田孫一 高岡卓編>を読む。(途中まで)
お昼になっても、食欲がない。朝食が遅いので当たり前である。
果物でも食べて昼食に変えようかと思っているところへ、玄関のベルが鳴った。
出てみると、斜交いのMさんだった。
「お芋を焼いたので一つ……」とのこと。
M夫妻は私より少しお若いが、80代である。
これは想像だが、昼食は焼き芋でということになり、ついでに私にも、ということになったのであろうか。
私も焼き芋は大好きである。いかにも昭和の匂いがする。
お裾分けが、さりげなくできるのも、いかにも昭和生まれ。
キッチンペーパーに包まれたほかほかのお芋をありがたくいただいた。
午後も雨が続いた。
外出できないほどの雨ではないけれど、今日も外出は諦める。
庭に降りず、裏口から外を眺めると、今日も、蝋梅と椿がわずかに花をつけている。
午後は、衆院予算委員会の国会中継を聞いた。
折しも、辻元議員が、「鯛は頭から腐る」という言葉を引き合いに出し、総理に対し幕引きの時期では……と迫ったのに対し、(いつもの如く)総理がヤジを飛ばして一時討議が中断。
なんだか呆れた気分になりながら、「鯛の尾より鰯の頭」は聞いたことがあるけれど、と思いながらタブレットで調べていると、佐高信さんの本に『鯛は頭から腐る』という題名の本があることを知った。読んでみようとAmazonへ注文。
先の国会の答弁(桜を見る会についての)で、「募集はしていないが募っている」という真顔での答弁には、ただ笑って済ませられない恥ずかしさを覚えた。国語の基礎力さえ疑いたくなるような、情けない気持ちになった。
哀しいお笑い劇場を見せられているかのような国会では、心底悲しくなる。
実は昨夜、表現は少し違ったかもしれないけれど、上記の記事を書き、投稿したつもりだった。が、気づくと、記事の全てが消去されていた。私の指が<元に戻す>か<やり直す>を押したのであろう。私自身のやり方に不備のあることは理解しつつ、書いた記事が消えてしまうほど情けないことはない。私自身の労力がすっかり無駄になったようで……。
2月12日のブログは中止にしようかと思ったが、残念な気もし、13日の今、書き直した。
今日(2月13日)の朝日新聞には、社説や他の欄でも首相発言が取り上げられている。
社説では、[荒凉たる国会 安倍首相の責任は重い』という見出しで。
記事では、[質問者を攻撃 首相荒い答弁]など。
追記 社説には、もう一つ、野村克也さんの死去を悼む記事も掲載されている。
[ノムさん死去 月見草の知的な野球]と題して。ボヤキめいた言葉に味があった。