森まゆみ著 『子規の音』
1月29日に読了しながら、感想を書くのが遅くなってしまった。
その後、本棚から、<日本文学大系10>『正岡子規 伊藤左千夫 長塚節 集』(筑摩書房)を取り出し、正岡子規の、作品の一部を読んだりしているうちに、感想を記すのが遅れてしまった。
全集の方は、簡単に読み終えられる内容ではないので、それは今後の楽しみにしておくことにして、上掲の本についての読後感を簡単にまとめておこうと思う。
『子規の音』とは、変わった題名である。
しかし、作者に言われてみれば、人口に膾炙した「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」にも音があり、確かに音の詠み込まれた俳句が多い。
少なくとも、明治から大正、私の知る昭和ににかけての時代を思い出してみると、生活の周辺は、今よりはるかに自然の静寂に取り囲まれており、心に響く、さまざまな音が存在していた。(現代社会では、人工的な無機質な音が多く、心に快適に響く音は、子規の時代に比べずっと少なくなっているのだろう。)
正岡子規は、就中、鋭い視覚や聴覚を生かして、詩的表現をなした人である。
題名に肯ける。
この本は、作者の視点で、実に詳細に綴られた正岡子規伝である。
子規の一生(1867<慶應3>年〜1902<明治35>年)を、私も共に歩んでいるような気分で読んだ。
子規に関係のある文学者など、多数の人物も登場する。私の知識の中では、個々バラバラに存在していた人々が、子規との関連において捉えられるようになった。夏目漱石との友人関係は知っていたが、例えば山田美妙が全く同世代であることなど、全く意識していなかった。
正岡子規は35歳という短い生涯であったのに、今では考えられないほど、文学の多岐にわたって道を究めている。俳句や短歌、小説や評論などなど。スポーツでは、野球好きであったことが周知されている。多才の人であったのだろう。
友人や同志の人にも恵まれた人であった。
子規は若くして結核を病んだ。
(子規とほぼ同時代の樋口一葉も、子規に和歌を学んだ長塚節も、結核による早世であった。)
それでも普通の人と同じように、あるいはそれ以上に行動派であり、しばしば旅にも出かけている。
結核を病む人として遠慮する気配もないようであったし、他人が避ける様子も見られない。
結核を病むことが、それほど恐れられていなかった時代なのかどうか?
サナトリウムでの療養や隔離療養されるのが一般的となったのは、いつの頃からであろう?
子規の場合、人との交流に距離間が感じられない。
21歳で喀血し、日清戦争に記者として参加したあと、ついにひどい病状となるまで、普通人と変わらない生活ぶりであったように思われる。
その後、脊椎カリエスを患い、凄絶な晩年を過ごすようになっても、子規の文学活動は衰えなかった。想像を絶する生き方である。そこに多くの人の真似がたい生き方がある。
500ページを超える大作中、一番楽しく読んだのは、松尾芭蕉の『奥の細道』のコースを子規も旅し、作者の森まゆみさんも、そのコースを辿る話の書かれた箇所である。
芭蕉、子規、森さんの旅に、私自身の旅の思い出も重ねて、読み進めたのであった。
いつか子規の作品を念入りに読みたいと思っていたが、『子規の音』は、その思いをさらに強めてくれる本であった。
子規については、まだまだ書きたいことが沢山ある。が、今日はここまで。